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素敵なおばあちゃん

先日、定期的に通っている病院で素敵なお婆ちゃんに会った。

私が通う病院は、精神内科の中でもとくに特殊で、多動性の大人患者が多め。私は軽い癲癇だが、そうは言っても見てもらえる病院がちほうでは少ないため、仕方なく症状重めの患者が多い病院に通うしか他なかった。

病院内には、至る所でワーワーーと寄声を発したり、受付や看護師に「私は誇り高きフランス人なんだから!早く通しなさいよ!」と怒鳴りつけている人、落ち着かずにウロウロ動き回りながらブツブツしゃべり続けている人など様々な人がいる。

通い続けて数十年と経っている私からすれば、この光景にもすっかり慣れた。
私と母は、待合室に行くと必ず端っこを選び、名前が呼ばれるまで静かに待つようにしている。

病院の患者は大人が多いとはいえ、必ずといっていいほど付き添いの親がいる。親は携帯をいじったり、静かに座って本を読むなど。時折、子供が暴れた時だけ手を引っ張って助ける。

先日、その中でも毎度といっていいほど通院の度に必ず会うお婆ちゃんに話しかけられた。
お婆ちゃんの詳しい年齢はわからないけど、見た目だとおそらく80〜90代。いつもニコニコとしてて、時には私の母と話をする時もある。
そしてお婆ちゃんは、50〜60代と思われる娘さんといつも一緒だ。

娘さんのことは詳しくは知らないが、いつも病院内を喋りながら走り回るため、時々お婆ちゃんが皺皺の手で引っ張っては連れ戻している。
本当は、お婆ちゃんが誰かのお世話になりたいハズなのに、と。いつもお婆ちゃんのすっかり丸くなった背を見てはぼんやり思っていた。

お婆ちゃんは、私の娘の顔を覗き込んで「まぁ、なんて可愛らしいこと」と言ってくれた。私がすかさず「ありがとうございます」と言うと「これからも、きっとこの子にいいことがいっぱいあるよ。楽しいことがいっぱいあるよ」と。

そんなお婆ちゃんの目はうるうるしていて、今にも涙で溢れそうだった。
母も私も、お婆ちゃんの言葉に何も言い返すことはできなかった。

お婆ちゃんと別れた後、母はボソッと「あのお婆ちゃん、娘さんのお世話で人生大変だったと思うのに、自分を抑えて人の幸せを願えるなんて。凄い方ね」と呟いた。私も、コクンと頷いた。

私が不妊だった頃、妊娠出産報告や、子供がいる家庭を羨ましく思っていた。
あのお婆ちゃんのように、素直な気持ちで「おめでとう」って誰かに言えただろうか?不妊が続くにつれ、ますます言えなくなっていたように思う。

あのお婆ちゃんのように、人の幸せを願えるって実はとても難しい。とくに大人になればなるほど、嫉妬や邪念など余計な心が働いてゆく。
そんな中、自分の苦労を踏まえた上で第三者の幸せを願えるって本当に凄いことだなと思った。嬉しさのあまり、久しぶりに涙が出そうになった。

こういうちょっとした人の優しさに、心が救われるのだと思う。この出来事をきっかけに、肝心な時に自分を抑え、人を応援できる、人の幸せを願える人を本当の意味で私は素敵な女性であり、大人の女性なんじゃないかって思った。

私はなかなかお婆ちゃんのようにはなれないかもしれないけれど、いつか娘に伝えてあげたい。
あの日あの時、素敵なお婆ちゃんがあなたに素晴らしい言葉をかけてくれたんだよ。
だから、君の人生は楽しいことがこれからいっぱいあるよ、と。


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