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小さな積み重ねが実を結ぶとき

数年前に、わたしが養護施設に勤めていたときのことです。

ある年、小学校低学年のAちゃんが施設に入所してきました。

入所したての頃は、少し不安げな表情を見せたり、きょとんとしていることが多かったのですが、時間が経つにつれ、徐々にAちゃんの本当の顔が見え始めてきました。

なにか思い通りにならないと癇癪を起したり、他の子に手を出してしまう。1度わーっとなるとなかなか収まらず、ひと通り泣き喚いたあとは心ここにあらずな状態になる。
いずれも入所前の引継ぎで知っていたものの、実際の様子を目の当たりにすると、どう関わっていけばよいのか難儀しました。

Aちゃんはよくこう言っていました。

「○○さん(わたしの苗字)、好きー!」

「Aにも好きって言ってー?」

この言葉はわたしに対してだけではなく、他の職員に対しても同様のことを言います。その様子を見ている他の職員は、Aちゃんは誰にも同じことを言うのよ~なんて茶化していましたが、そんなAちゃんの姿を見ていると切ない気持ちになりました。

さみしいのだろうな、と。

私が見てきたこどもたちの中で、他者との信頼関係を築くのが難しい子を大雑把ですが2通りに分けると、Aちゃんのように誰に対しても好意的な態度を見せる子と、自分から関りを求め(られ)ない子がいました。

前者の子は一見、人懐っこくて他者との良好な関係性があるようにみえますが、この人なら安心できると思える特定の愛着対象がいない点ではどちらも同じです。

Aちゃんは大人の愛情を求めるのに貪欲・・という言い方が正しいのかわかりませんが、愛情を受け留める器があるとしたら、その器の底に穴が空いていて、注いでも満ち足りることがない。そんな状態に思えました。

そう気が付きつつも、日々の忙しさに追われ、器に空いた穴を修復する方法を見出すことはできませんでした。


施設には他のこどもたちもいるので、常にAちゃんだけを相手することは、できません。あるとき、Aちゃんが何かとぐずついてばかりいて、次の行動へ移るのを渋っていました。

また始まった・・

他の子も見なくてはいけないのに・・

時間が・・

そんな焦りと苛立ちが募り、とうとう私は「いい加減にしなさい!!」と大声で怒鳴ってしまいました。


今思うと、未熟だなあ・・と反省しています。Aちゃんの気持ちを考える心の余裕がありませんでした。

それとおそらく心のどこかで、人に甘えられず、言いたいことを言えない小さなわたしが、甘え上手なAちゃんに対して嫉妬していた気持ちがあったと思う。職員としての自分と小さなわたしが、うまく折り合いをつけられなかったのも、余裕のなさを生んでいた原因のような気がします。

後悔したところで事実は変わらないですが、日々積み重なっていたであろう、うやむやな気持ちを爆発させる前に、心の中を点検しておくことが大切なのだと、自分への戒めとしておきます。

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そんなAちゃんは入所したときから、文字の読み書きができませんでした。
なので学校での勉強は、ひらがなを1文字ずつなぞるところからスタートし、徐々に単語のなぞり書きへとステップアップしていきました。読む勉強も同時進行です。

Aちゃんは意欲的だったので、学校での勉強や宿題にも毎日コツコツ取り組みました。時々、早く遊びたくてえんぴつを投げることもありましたが・・。

学校の先生も「吸収する力のある子」と信じて、根気強く指導してくださいました。


学年が上がり、なぞり書きだったのが少しづつお手本を見ながら書けるようになってきたある日。学校の帰り道をいっしょに歩いていると突然、街中に掲示してあったポスターのひらがなを読み出したAちゃん。
びっくりでした。それと同時に嬉しかったです。思わず顔が綻んでしまうような。

就寝前に絵本を読むときも、絵だけではなく文字の方にも興味を持つようになり、「これ、あー!」「これはAのえー!」と嬉しそうに指さします。

日々の積み重ねが実を結んできているのだなあ、と感じました。


それから月日が経ちまして。
ある日、夕ご飯と入浴を終えて、寝る前ののんびりタイムを過ごしていたときのこと。お絵描きをしていたAちゃんのそばに寄り、何気なく「ねえねえ、職員さんの名前を書いてみて?」と言ってみました。

すると、ぽかーんとした表情をしつつも、渡した裏紙に職員ひとりひとりの名前を書いてくれました。わたしが職員の名前を1文字ずつ声に出している横で、Aちゃんが字を書いていく。

1年前、みみずが這うような線しか書けなかったAちゃんは、まだ間違えはあるものの、職員の名前を自分の力で書き上げました。

「すごいじゃん~!」
そう喜びの声をあげると、Aちゃんも嬉しそうに笑顔を見せてくれました。



ライン ドット 黄色




その時の、私の名前が書かれた紙を今でも持っています。

その紙はいつか、Aちゃんが大きくなったときに会いに行って、見せてあげようと思っていました。
Aちゃんががんばっていたこと、ひらがなが書けるようになって嬉しかったことを伝えたかった。

けれどもAちゃんとは、理由があってもう会える機会はありません。おそらく。


いまごろどうしているかな。


元気にしているだろうか。


・・・ふと思い出して、書いてみたくなりました。Aちゃんにはこれから先、会えることは多分ないかもしれませんが、Aちゃんが書いてくれた名前の紙は思い出とともに、大切にしまっておこうと思います。



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