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言葉にならない感情は刃となる

今日は月に1度のカウンセリングの日、でした。こんなご時世ですのでオンラインでのカウンセリングです。

終わった後、なんだかもやもや…
申し訳ないことしてしまった…とひとり反省会の絶賛開幕中です😥

というのも…

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担当のカウンセラーさんにはかれこれ数年前からお世話になっています。
いつもやわらかな笑顔で、丁寧な話し方をされる方。
カウンセラーさん自身のもつ優しさや、穏やかさがすごく雰囲気に表れています。

発する言葉ひとつひとつがあたたかい。落ち着いた声のトーンも、ゆっくりとした話す速さも。知らず知らずのうちに、そのような言葉の選び方、話し方がわたしの心に溶け込んでいる気がします。

誰かと向き合って話すとき、「こんなとき、カウンセラーさんだったらどうやって話をするかなあ?」って心の中で考えてしまうくらい。

カウンセリングのときはいつも、拙い言葉も聴き逃さずに受けとめてくれて、言葉がなかなか出てこないときには、私のペースに合わせて待っていてくださいます。

もともと相性がよかったのか
数年の付き合いで関係性が培われたのか。
カウンセラーさんの顔を見るとほっとする。
安心した気持ちになる。

ずっと前に話をしたとことを覚えててくださったり、以前と比べて(よい方に)変わりましたね、と言われたりすると照れながらも嬉しくて、自分自身の存在が受け入れてもらえているんだ、というように感じます。


前置きが長くなってしまいましたが、今日お話ししていたことは主に最近の出来事や、そこから繋がる過去のことでした。

最近起きた心にひっかかる出来事について、ゆっくりと言葉にしながら、頭の中を整理していく。

カウンセリングでは
「過去にもそのように感じたことはありましたか?」と聞かれることがあります。う~ん…と記憶を遡るようにして思考していると、現在に起きたことでも、意外なところに過去との繋がりがあったりして、そうだったんだ!と自分の中で気づきを得られることがあります。


言葉にしていく過程で、いろいろな感情がまとわりついていくのを感じていました。

苦しい。
怖い。
気が遠のきそう。
心配。
絶望的だ。

改めて振り返るとネガティブなものばかりですね…(以前と比べたら感情と言葉がリンクするようになったのですけどね;)

そのような感情を纏う言葉に対してカウンセラーさんは、1つ1つそっとすくい上げるように、どのようなことを思いましたか?、どのように感じましたか?といった問いかけをしてくださいます。
その問いかけが自分自身の心と向き合う糸口となっていきました。

対話を続けていくうちに
みぞおちの辺りがどくん…どくん…と鳴っていて、どろっとした沼の水のような感覚が湧いてくるのを感じ、言葉にすること自体が辛くなってきてしまいました。

なんでもいいから言葉に変換して、口にすることで楽になるかもしれない。
カウンセラーさんはきっと
受け止めてくれる。
でも、言葉にすることで自分の心が壊れてしまうかもしれない、と思うとすくんでしまいました。

このときに選択した方法がよろしくなかったのだと思います…。

湧き上がってきた感情をどのように扱ったのかといいますと、今思えば無意識だったと思うのですが、無理に作った笑顔で笑い飛ばしたり、歯を食いしばるように耐えたりしていました。感情を抑圧することで、無かったことにしようと思ったのかもしれません。

よくなかった。
この場を凌ぐことはできても、私自身が向き合わない限りいずれまた同じようなことを繰り返すと思う。

カウンセリング終盤、次回の予定はどうしましょう?というときになって、急に意識が遠のきそうになった…かと思えばみるみるうちに怒りのような感覚が込み上げてきました。しかもおもむろに態度に出ていたのだと思います💦

様子を察知したカウンセラーさんが
「どうした?」と尋ねてくださいましたが、返事ができず。体に力が入って、特に顎のあたりに力がこもってしまい、がたがたと震えていました。言葉にならない何かが喉の辺りまで込み上げているけれど、口にすることができない。

ようやく口にできた言葉が
「…別になんでもない」
凍り付いた視線を向け、投げつけるような冷たい言葉でした。
(思い返すと申し訳なくて…次回謝りたい…)

そんな態度を取られても、画面越しに居るカウンセラーさんは冷静で動じず、微笑むような表情でいました。
いつもどこまでも優しいカウンセラーさん…

このときに抱いた感覚、中学生のころにも同じようにあったなと記憶がふと蘇りました。中学生の私が当時、表現できなかった何かを今も訴えているような。
この辺り、もう少し自分の中で向き合ってみよう。そのことを次回、カウンセラーさんに伝えてみようと思いました。

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なにか嫌なことや悲しいこと、苦しいことがあったとき、その感情をなかったことにしたり、言葉にしないまま抱えてしまうと、それはいつか刃のようになる。

内に向くときは自分自身を、外に向くときは周りにいる誰かを痛めつけてしまう。

自責や他責、怒りや悲しみという形となって。

私はいつも、前述のようにどうにもできない感情を内に向けることで、周りの迷惑にならないように、自分自身だけでなんとかなるようにと対処していました。

感情を扱うのは難しいです。
自分自身のことなのに。

もう少し客観的に見られたら
感情に飲み込まれすぎないのかな。
そうするにはどうしたらいいのかな。

そんなことを振り返りながら過ごす夜。

カウンセリングの時間は
癒されるだけの時間でないこともある。
自分自身と向き合うことで、ときに
目を背けたくような気分になることもある。

わかっていた。
覚悟していた。

でもちょっと疲れてしまいました。
今夜はお気に入りのアロマオイルを布団のそばにおいて、眠ろうと思います。

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