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J-BRIDGE 3.

「楽しくねえなあ」
 記憶を辿った明石が見つけたのは、話せるような時間を積み上げてこなかったという色彩の薄い事実のみ。明石から漏れ出た言葉には、岡本も武田も何の反応を示すことが無く、自分を置き去りにすることが既に総意となっていることを、明石は静かに噛みしめた。
 時計の針が少しでも早く進むことを願いながら、ひたすら胃にアルコールを流し込む。胸に「はるか」と書いた名札をさげた店員がラストオーダーを聞きに来た頃には、五感のうちのいくつかが鈍くなるほど酒が回っていた。
「あー、ちょっとトイレ行ってくるわ」
 そう言って席を立った明石を歓迎するかのように送り出す二人。自分のいないテーブルで行われる会話について、素面なら考えすぎていただろうと酔いに感謝しながら用を足した。
「何もなさ過ぎて笑えるな。情けない顔がよく似合う」
 鏡の前。そこに映る赤ら顔の男は微塵の狂いも無く同じ言葉を明石に返す。笑えると言ったはずの顔に笑みは浮かんでおらず、明石はその男を嘘つきだと思った。
「そろそろ帰ろう、もういいや」
 席に戻るまでの道すがら、いったいどんな理由をつけて帰ろうかと考える明石。酔いが深まり騒々しさがピークに達している店内は、あちらこちらで朗らかな声が飛び交っている。その中でも一際大きく、また一際品の無い声が明石の鼓膜を揺らした。
「な、俺が言ったとおりやったやろ? あんな感じの女は押したらいけるんやって、今度俺にも分けてくれや」
 明石達がいた席とは数席分離れたところのボックス席。声色だけでなく、その内容にも品性を感じない声の持ち主はそこにいた。いちいち威嚇するような大声に眉をしかめながらも、関わるまいとその横を通り過ぎようとする。
「ほんま、人生は楽しいてしゃあないわ!」
 通り過ぎ去ろうとする直前に男が言ったその言葉に、明石は自分でも不思議なほど体が過剰な反応を示した。
 目をカッと見開く、ふっと横切る足が止まる。唇を一度舐めて発した言葉は、相手には聞こえないであろうぎりぎりの声のはずだった。普段であれば想定通りの声量が出ていただろうが、明石はひどく酔っていた。その分、想定よりも大きかった。その事を、明石はすぐに後悔することになった。
「うるさい、もっと周りのこと考えて喋れよ」
「あ?」
 ずれた声量は番狂わせを起こすこと無く男の耳に届いた。男が肩からまとめて身体を捻り、自分を窘めた馬鹿ものを探そうと目をぎょろつかせる。そこに明石はまだ立っていた、自分の行いを後悔するかのように、ただ突っ立っている。
「あ……、いや、今のは」
 慌てて次の言葉を探す明石の腕を男が掴む。その強い握力は明石を酔いから覚ますのに十分なほどで、明石は情けないほどに身を竦ませた。さっきまでの騒音はまだ朗らかだったのだと思わせるほどの、低く重たい男の声が、凄みを利かせて明石の鼓膜を揺らした。
「なんや兄ちゃん。えらいこと言うてくれるやんけ」
 酒臭い息を撒き散らしながら、今にも襲いかかってきそうな獣のように明石の顔から目を逸らさない男。腕を掴まれ身を固くした明石は、まるで目を合わせたら取って食われるかと言わんばかりに、少し先にある床に目を落とす。 

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