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有余期間

少しずつ暗くて何も見えない空間にいた自分が意識を
取り戻し始める。
まだ目は開けていないが随分眠っていたのだと
体から感じる。
今は何時だ。
昨日の記憶と今日の始まりの狭間に今、私はいる。

私が鑑賞したのは細田守監督が手掛ける
「時をかける少女」だ。

主人公の紺野真琴は、友達の功介と千昭と毎日を過ごしていた。平凡で楽しい毎日を過ごしていたある日のこと、真琴はある出来事をきっかけにタイムリープ(時を、肉体はそのままで記憶だけが入れ替わる現象が起こる)ができるようになる。しかし、タイムリープは長くできるものではなかった。タイムリープができていた原点は千昭だったからである。千昭は今を生きるものではなく、時を超えてやってきた未来を生きるものだった。未来へ帰らなければいけない千昭。「未来で待っている」と真琴に残し、姿を消していく姿真琴がいつまでも見つめているところで作品は幕を閉じた。

細野守監督の「時をかける少女」

私はこの物語で一番心に残った言葉がある。
「帰らなきゃいけなかったのにいつの間にか夏になった。お前らと一緒にいるのがあんまり楽しくてさ。」
これは、千昭が自身の秘密を真琴に話したときに
口にした言葉だった。
たのしかった毎日を噛み締め、戻りたくても、もう戻れない物恋しい気持ちを痛いほど突きつけられた
言葉だった。
特にこの「戻りたくても戻れない」という感覚が15歳の私にとってとても共感できるものだ。
時間、というものの中でも子供から大人に成長する時期で子供でもありたいし、大人にもなりたい、何者にもなりたくないという気持ちは、
「大人と子供をうろうろする」という時間単位として
多いに私の日常にあるものだ。
ずっと友達だと思っていた男友達と一歩踏み入れた関係になったり、まだ遊んでいたい気持ちを制して勉強したり。この青春という有余期間があるからこそ日常で起こるちょっとしたことにもがく。
何度もつまずき、また、立ち上がる方法を見つける。
それを捨てて未来に帰らなければならないという事実はとても苦しい。
この言葉を通じて、私が生きるこの「今」であったり、「今」を通じて前に進むこの「有余期間(=青春)」の
大切さを知った。
きっとこの「今」が私のいつかの財産となる。
この作品を通して、今という時間の大切さ、一歩踏み出す意味を学んだ。
そして「今」をこれからはもっと大切にしていきたい。

少しずつ暗くて何も見えない空間にいた自分が意識を取り戻し始める。
まだ目は開けていない。
でも今はもう、わかる。大人でも子供でもいたくない。それでいい。
昨日から今日へ移り変わる自分が、
すぐそこに、
すぐ隣にいる。
時間が進むたびに私も前に進める。
少しだけ目を開けるとカーテンの隙間から微かに朝日が指していた。

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