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協調性を持ちなさい:私の中に残る鎖

皆さん、こんにちは。

私はこの秋からカーネギーメロン大学の博士課程に進学をするのですが、そんな中で、先日入学をするプログラムのオリエンテーションがありました。今日はそこでの出来事と、自分が感じたことについて書きたいと思います。

3日間のチームプロジェクトを含むオリエンテーション

私のプログラムのオリエンテーションは、通常のプログラムの説明を受けるようなものとは違うものでした。内容としては、学生が3人1組のチームに分けられ、3日間のチームプロジェクトに取り組むというものでした。

私のプログラムは、データ分析のスキルが求められるプログラムです。そのため、このプロジェクトも、実際にサンプルのデータが与えられ、それを使って、仮説に対して何か分析をして、その結果を発表するというものでした。

但し、何か優れた解析をたった3日間で出しなさいというお題をもらっているというよりは、チームで動きていく中で、お互いを知って仲良くなってね、というのが大きな目的だと思います。

1日目:私のチームは個性の強いメンバー揃い (T&Dさん)

さて、私のチームですが、とても個性に富んだメンバーが揃いました。一人は元々南米出身の男の子(Tさん)で、冗談を言うのが好きで、またよく喋り笑う子でした。もう一人は、中国の北京大学を卒業したばかりの女の子(Dさん)で、すごく真面目な一面もある一方で、自分の考えや、やりたいことに対して真っ直ぐで強い思いを持っているような子でした。

初日は、自己紹介もしつつ、お互いにどんな子かを知りながら、チームとしてどのような仮説を検証したいかを議論しました。まだぎこちないチームでしたが、なんとか方針も決まり、じゃあ明日はこんな仮説を示せるような分析をしていこうとまとまったところで初日が終わりました。

2日目:自分のやりたいことに向かって飛び出したDさん

そして事件が起きた二日目。朝集まってすぐに、Dさんが、切り込みます。

「チームみんなで同じことをするのは効率が悪い
 だから、私は、今日はこのデータを使ってxxxという解析をしたい」

ここで彼女がやりたいと言った内容は、昨日3人で話した内容とは大きく逸れるような内容でした。それに対してTさんは、

「昨日3人で話合ったことを覚えている?
 Dさんの言っていることは昨日話した内容と合っていない
 もちろんみんなで全く同じことをする必要はないけど
 何かしら3人で決めた方向性に関連していることをやるべきだ」

のように返しました。私はそりゃそうだ、うんうん、と彼の話をうなずきながら聞きました。でもDさんは諦めません。

「言っていることはわかるけど、昨日話した内容を実現するのには
 全員は必要ない。Dさんと(私)だけでそれはできる
 だから私はこれをやりたい」

このようなやりとりを続けた後、結局私たちのチームはDさんと私の進める分析と、Tさんの分析という大きな二つの分析をする方向で進んでいくことになりました。また、Dさんと私の進める分析の中では、私はどちらかというとその分析の下準備を、Dさんが下準備をしたデータを用いた分析を担当するような形で進めることになりました。また、私はTさんが分析を進める土台を作ってあげるためにも、そちらの下準備も手伝っていました。

私個人的には、
Tさんはなんて我儘なんだ。
協調性が全くない。
こんなんじゃチームで働けない。
というような気持ちが募っていました。

3日目:最終的に発表会で輝くDさんと裏方に回る私

そんなこんなで迎えた最終日、成果を発表しなければなりません。初日に議論をしていた内容では、3人の成果が綺麗に一本の線に繋がるような形を描いていましたが、実際には大きく二つに分断をされる結果になっています。

私たちのチームは、そんな二つの分析をなんとか一つの資料に無理矢理繋げて、発表に臨みました。私は他の二人が分析ができるように下準備をするところを中心にしていたので、メインの発表者にはならず、他の二人がメインで発表をしました。私としては、私が二人を繋ぐ下準備のところに入ることがチームとして成果を最大化できる方法だと考えていたので、この形には特に不満がありませんでした。

実際のプレゼンテーションでは、Tさんは綺麗なストーリーに沿って発表をしました。しかし、それ以上に輝やき、周りからの注目を集めたのはDさんでした。

彼女は、とにかく熱量たっぷりで、彼女が何をやったのか、何がうまくいったけど、何がだめだったのか等を熱弁しました。その熱量が周りにも伝わって、最終的には私たちのチームのプレゼンは一番盛り上がりました。

自分のやりたいことを貫いたDさん vs 周りとの協調性を重んじてサポートに回った私

というような経験を経て、私は結局このアメリカという地で、どういう振る舞いが正解なのかがわからなくなってしまいました。私は、小さい頃から日本で教育を受け、協調性を重んじる文化で生き、それが体に染み付いています。チームの輪を乱すと非常にストレスを感じますし、チームがそうなってしまわないように、努力は惜しまないという考えです。

しかし、アメリカは、協調性以上に、個が重んじられる社会です。Dさんのように、私の視点から見れば自己中心的と考えられるような行動でも、その人の思いや、その人が成し遂げたことで、他の人の共感を得ることができるような社会に感じています。

一方で、私のように、裏方に回って表に出てこないような人は、表に出てこないので、今回のような場所ですぐに評価をされるようなことはありません。長期的には、そういうサポートの部分を評価してくれる人もいると思いますが、今回のような短期間で何か成果をあげたいような場合に、輝けるような動き方ではないと思いました。

自己主張をする難しさ

私は、まだどうしても周りを重んじて、周りに合わせてしまうことがたくさんあります。絶対に自分はこうなんだという思いを貫いて、他の人をそれに巻き込んでいくようなことは本当に苦手です。

でも、今回の彼女の動きを見て、自分の芯を持って、周りの反対を押し切ってでも進むことで新しく拓ける道もあるのだろうと感じました。

そして、そのように貫くことを恐れて、前に出て行かないがゆえに、手に入らないチャンスも多くある気がしました。

協調性0になることが正解だとは思いませんが、自分を主張する、自分を貫くという強さを持つこともこの国で生きていく上では大事なのかもしれないと思いました。

あまり、まとまりのない文章ですが、今日は以上です。


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