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10月19日の移住から11月11日イワオが死ぬ迄の山小屋生活で出た結論

振り返れば目まぐるしい日々だった。
自給自足といのはそういうもんだし、私の家の場合、家畜頭数が多過ぎるのが忙しさに追われる原因でもある。
それでも家畜を減らすわけにはいかないのは私のアレルギーのせい。
市販の肉や卵が食べられない。食べたらどうなるか分からない。今度こそただじゃ済まないかもしれないし大丈夫かもしれない。博打みたいなもんだ。
そこまでして市販の肉や卵を食べる必要性は感じないけど、肉や卵無しの人生は受け入れられない。だから生きている以上はやめるわけにはいかない。

11月11日イワオが死に、事実上私の山奥暮らしは強制的に終了した。
私はとんでもなくショックな事や心がボロボロになるような事が起こった直後、即座に感情に従い嘆いたり悲しんだり出来ない。物事が起こった後の2~3日間は通常発揮出来ないほどの集中力と行動力で動き続ける。これまでの人生、いつでもそうだった。思いついたまま手あたり次第に色々な事を次々にこなす。そして、それが一端止まってしまうと精神力も体力もなにもかもが止まってしまい、一歩も歩けないどころか起き上がる事さえできなくなる。
目も開けられないし指も動かせられない。真っ暗な部屋、布団の中で途切れる事のない涙が頬を伝うのを感じるだけ。
それは永遠に抜け出す事が出来ないような闇の日々だけど、不思議なもんで闇深ければ深いほど、悲しみや喪失感が強ければ強いほど潜在意識との対話が捗り、その状況から「抜ける」のが早まる。
自給自足に目覚め歩んできた10年間。何一つ達成も完成も無く、私が描いていた自給自足生活を創造することは出来なかったように思う。
イワオの死で心底疲れた。もう嫌だと思った。
山奥でイワオが死にそうな瞬間、私の手でイワオを「楽にさせてやる事」が出来なかったのは、私がイワオを「家畜」と認識しながらも「ペット」のように扱っていたのが原因だ。家畜というものの定義は「安定した採卵と採肉」つまり豊かな食卓のためで、どんな理由であれ家畜が死んだのならそれは「肉」でしかない。それが私の考える自給自足思想だったけど、イワオの死をそんな風には捉えられなかった。
つまり私は甘かった。俗世間との距離を取り山奥で自給自足をしていくだけの器ではなかった・・・という事になる。
その小さな「器」ですら今はもう粉々。私はもう、あの山小屋で暮らす事はできない。短かい期間だったけど、あまりにも美しく楽しい毎日だったあの山小屋は辛すぎる。
私は下界の家に戻る事・隠者を引退して半現代人に戻る決意をした。つまり結局オヤジ(元旦那)との同居という事になる。それにあたりオヤジと話し合い、数々のルールと秩序を決めた。
自給自足に関しては、畑→当分やめる・家畜→いままで通り・雨水や薪などのライフライン系→いままで通り・・・という事でケリがついた。
納得はいかないけど、それが今現在の”最善”だと思うしかない。
イワオ以外のエミュー(チヨ・サザレ)は早く下界の家に戻さないと日に日に大きくなるから移動させるのが困難になるし、他の鶏連中も下界に戻す必要があり、当分はそういう業務に追われる事になる。
私はこれからどうすればいいのか今はぼんやりとしか分からない。
ただ、もう本当好きにやってやる。徹底的に心の底から好きにする。今度こそオヤジには何も奪わせない。渡さない。侵略させない。台無しにさせない。そういう世界を創造してやる、クソ!





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