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「オトラジ小説コンテスト」で受賞作に選んでいただきました。
なななななんと、わたしの短編小説「白熊」が、「オトラジ小説コンテスト」の受賞作の一つに選ばれました!!
――やったあ!! めちゃくちゃ嬉しい!!!
「オトラジ小説コンテスト」というのは、『石田衣良 大人の放課後ラジオ』の番組内で行われた小説コンテストです。
『石田衣良 大人の放課後ラジオ』(通称「オトラジ」)は、小説家の石田衣良さんを中心に、プロインタビュアーの早川洋平さん、声優コンテンツを
『太宰治は、二度死んだ』第三章・東京篇Ⅱ(第28話)
わたしは、新橋駅にいました。
先ほど見送った武雄兄と秋乃さんの顔が、瞼を離れませんでした。
二人が東京へ来たのが十一月二十五日。東京見物も二十六日の僅か一日だけで、二十七日にはもう慌ただしく広島へ帰っていったのです。
二十五日と二十六日は、わたしもホリウッドを休んで、兄夫婦と一緒にいました。
東京に着いた日の晩は、順蔵も一緒に食事をしたのですが、兄夫婦がかなり露骨にわたしにだけ話がある様
『太宰治は、二度死んだ』第三章・東京篇Ⅱ(第27話)
「修治さん、その恰好どうしたの?」
「どうもしないさ。おかしいかい?」
東京帝大仏文科に在籍している修治さんが、東大の制服制帽を身につけているのは、むしろ本来あるべき姿なのかもしれません。
でも、いつもは殆ど絣の着物姿で、ついぞこういう恰好を見たことはありませんでしたし、またその制服が仕立て下ろしのように真新しく、なんとなくお芝居の衣装みたいに見えてしまうのです。
修治さん自身もその点は気に
『太宰治は、二度死んだ』第三章・東京篇Ⅱ(第26話)
結局、お島姐さんがホリウッドに戻ることはありませんでした。
まだ傷も十分に癒えない身体で、わたしにも行き先を告げず、姐さんはいなくなってしまったのです。
わたしの胸の真ん中に、ぽっかりと穴が開いてしまったみたいでした。
でも心のどこかでは、こうなることを知っていたような気もしました。
姐さんの部屋の様子が、思い出すともなく目の中に浮かびました。
女の部屋とは思えない、あのがらんとした佇
『太宰治は、二度死んだ』第三章・東京篇Ⅱ(第25話)
人間は哀しい。生きることは、つらい。
そうなのかもしれません。
人生がそういうものであるなら、人はなぜ、生きていかなければならないのでしょうか。
それでも、自分の過去を語った姐さんは、意外にさばさばした顔をしていました。
「なんだかお腹空いちゃったわ。こんな時でもお腹が減るんだから、不思議なものよね」
「姐さん、わたし、どこかで夜泣き蕎麦でも誂えてくるわ」
「うん。じゃあ、お願い」
姐さ
『太宰治は、二度死んだ』第三章・東京篇Ⅱ(第24話)
「莫迦な人。こんなことしたって、どうにもならないのに。本当に、莫迦な人……」
蒲田の難波先生のところへ運ばれる途中、お島姐さんは目を閉じてぐったりとわたしにもたれかかりながら、譫言のようにずっとそう言っていました。
鍔鑿という先の尖った鑿が姐さんの太腿に刺さっていました。
ホリウッドの支配人が無理に鑿を抜くとかえって危ないと言うので、応急の止血措置だけをして、すぐに円タクで難波先生のところへ
『太宰治は、二度死んだ』第三章・東京篇Ⅱ(第23話)
夏がゆき、いつか秋風の立つ季節になっていました。
そんなある日のこと、ホリウッドにやってきた修治さんを見て、わたしは思わずあっと叫びそうになりました。
修治さんの顔はすっかり血の気が引いて、まるで蝋でも塗ったようでした。
時刻はまだ宵の口で、先ほどザアッと一雨きたのですが、その中を傘も差さずに歩いてきたと見え、全身ぐっしょりと濡れていました。
「どうなさったの?」
「なんでもない。ビールだ
『太宰治は、二度死んだ』第三章・東京篇Ⅱ(第22話)
その日、内幸町のアパートへ帰ってから、わたしは豆電球の灯りの下で、『細胞文藝』創刊号の表紙を開きました。
どこから這入り込んだのか、小さな蛾が一匹、豆電球にぶつかってぱさぱさという音を立てました。
順蔵はいつものように酒くさい鼾をかいて寝ていました。
足に煙草の火を押しつけて、わたしを拷問したあの夜からずっと、順蔵は妙におどおどと、わたしに対して遠慮する態度を見せているのですが、こうし
『太宰治は、二度死んだ』第三章・東京篇Ⅱ(第21話)
待つというのは、不思議です。
わたしに支払いの立て替えを頼んだ日を境に、修治さんはふっつりとホリウッドに来なくなってしまいました。
最初のうちこそわたしも腹を立て、次に来たらうんとつれない素振りをしてやろうとか、辛辣な皮肉を浴びせてやろうなどと、修治さんをいじめる方法をいろいろ考えて溜飲を下げていたのです。
ところが、来て下さらない日が二日になり、三日となると、だんだんひりひりと灼けつ
『太宰治は、二度死んだ』第三章・東京篇Ⅱ(第20話)
「ねえ、修治さん」
「なんだい、接吻がうまいあっちゃん」
わたしは修治さんを打つまねをしました。
「怒るわよ。ひとが真面目に話しているのに」
「おっかねえな。カチカチ山の兎が、狸を睨んでいるような顔をして」
「どうしてわたしがカチカチ山の兎なの?」
「あの兎はきっと、あっちゃんみたいな美少女なのさ」
「修治さん、わたし本当に打つわよ」
修治さんは大仰に首を竦めてみせました。
一見、余裕をもっ
『太宰治は、二度死んだ』第三章・東京篇Ⅱ(第19話)
その日、修治さんは『幽閉』という短い小説を、わたしに話して聞かせました。
井伏鱒二というのが『幽閉』の作者の名前で、修治さんは最近、この作家に弟子入りしたらしいのです。
なんでも修治さんは中学生の時、ある同人誌に載っていた『幽閉』を読んで、ここに埋もれたる不遇の天才作家がいる、と座っていられないほど興奮したのだそうです。
「いくら天才でも、埋もれて不遇ではつまらないわ」
わたしは頬杖をつい
『太宰治は、二度死んだ』第二章・広島篇(第18話)
広島第一高等女学校時代に、〝李白〟というあだ名の国語の先生がいらっしゃいました。
なんとなく中国の大人のような風格があり、小太りで、まるでお酒でも召し上がったのではないかと思うくらい、頬などいつもつやつやと血色がよく、またついぞ声を荒げたりすることのない穏やかな先生でした。
わたしたちは皆、この先生が好きだったのですが、好きだと余計揶揄いたくなるのが女学生の悪い癖です。
〝李白〟先生が授
『太宰治は、二度死んだ』第二章・広島篇(第17話)
秋乃さんの献身的な看病のおかげで、わたしは一週間ほどで床上げをすることができました。
わたしの健康回復を祝おうと、秋乃さんの発案により、武雄兄も一緒に三人で、可部へハイキングに出かけました。三入高松城跡などをゆっくりと歩きながら、いろいろおしゃべりに興じました。
もっとも、話すのはもっぱら秋乃さんとわたしでしたけれど。
郊外を歩くのが、こんなに気持ちいいものとは知りませんでした。
命の洗
『太宰治は、二度死んだ』第二章・広島篇(第16話)
気がつくと、順蔵の部屋の天井が見えました。
往診に来て下さったらしい白衣のお医者様が、診療鞄を片付けているところでした。
「おそらく過労が原因じゃろう。ブドウ糖を注射しておいたが、とにかく暫くは絶対安静じゃ、わかったな」
それが癖なのか、右の人差し指でしきりに度の強そうな黒縁の眼鏡を押し上げながら、お医者様が順蔵に話している声が聞こえました。
お医者様は、こまごまとした注意を与えて下さって
『太宰治は、二度死んだ』第二章・広島篇(第15話)
カフェー〝チロル〟は、順蔵の狙い通り、芸術家気どりの若者の溜まり場になりました。
正直、わたしは〝チロル〟の常連さんたちが嫌いでした。
ここにくる人たちは本当に芸術家になろうとしているわけではなく、ただ芸術的な雰囲気に酔っているだけなのだ、という気がしました。
小説家志望と言いながら、指にペンだこもなく、インキで汚れてもいません。
そんな手で長い髪を掻きあげながら、横光利一の『上海』
『太宰治は、二度死んだ』第二章・広島篇(第14話)
「あの芸者上がりのおかみさんに、さんざん愚痴をこぼされて参ったよ」
武雄兄の顔には苦笑いが浮かんでいましたが、その眸にはわたしを思い遣る気持ちが溢れていて、わたしの目から自然に涙が零れました。
「泣くんじゃない。シメ子にゃシメ子の考えがあるじゃろうし、それなりの理由もあるんじゃろう。わしも正直言うて……名前はなんじゃっけ? ああ、お住さんか。あの人にゃあ、あまりええ感じは持っとらんかったけぇ、別