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感受性や共感性が高い人間を生き切らせる

noteの下書きが溜まりに溜まる。言いたいことはたくさんあるのだけど、うまく落としつけられない。しかも見返すといいたいことは一貫している、言いたいのに言えない、スマホに向かってでもうじうじしてるんだなと。もっとぱぱぱっとことばが出てくる人になりたいけど、そうすると何いってるかよくわからなくなるからきちんとしたい。ちゃんと生きたい。 うじうじしてるのはたぶん、自分の表現方法と葛藤しているからだ。昔は「言いたい」「わかってくれる人だけわかればいい」自分がいたけど、あまりにも自分の表現が下手くそでズレて伝わることも多かったため、もっと相手スタンスを学ばなきゃいけないと反省したからである。私は「断り」が苦手だ。動物占いは「言い訳の得意なコアラ」 だけど、言い訳できるのは大抵関わりの少ない人間に対してである。ネタみたいなもん(怒られる)。だから「○○のため〜で…」みたいなのも言い訳の前置きがうるさく感じてしまうから「いけない、ごめん」みたいになってしまってあとで後悔する。それで後悔したあとは「😭」とか「💦」とか使ってみたりするけど、またあとで見返してウザかったな、って思ってまた後悔する。じぶんが嫌な表現やタイミングがあるように、人それぞれカンに触るような表現がある。ここでいう表現とは主にネット上でピコピコされるこのことばたちである。私は、ことばだけでも本来伝えたかったであろうニュアンスがわかるし、逆に上手く伝わってないな〜という汲み取られようにも気づくことができる。ただ残念なのが、自分の話だと別問題ということである。自己表現の下手さは、感受性の豊かさにも関係していると思う。もともと自分の意見を殺してしまっていた人やひとりで感情を処理していた人は、他人のバックグラウンドがわかったり、寄り添う力をもっていると思う。最近、私の周りにはそういった「共感性」が高い人が多いけど、やはりそういう人は自己表現を抑えてしまう。痛みや弱さを知っているからこそ人に寄り添えるが、自分の意見を押し付けてはいけない、受け止めてあげるべき、という想像からその想いを表現できる場がないのだ。うーん、ないというか、できないし、もしかしたらそこを生き切る自信をつける場がないのかなと思っている。そんな共感性の高いすてきな人たちが悲しい思いをするのを何度かみてきた。それは、論理立ててしか理解できない人の強さである。感情論と理論は永遠の議題なのかもしれないが、私はどちらも兼ね合わせて表現できると信じている。もちろん、得意不得意はあるが、感性豊かな人間がロジックに負けてしまうのはいかんせん許せない。論理立てて説明できる人は強い。誰にもわかりやすく、かつ根拠を述べて、自分の思いをのせられる。だけど、それができていない人に対して「根拠は?」「実績は?」と詰められても「そこ?」ってなってしまう。「わかってもらえない」圧に押され潰れてしまう人もいる。どちらが良い悪い、という話ではない。お互いに強さを盗みながら、根拠でなく自信のある自己表現をしなければいけない。 私は過去の「分かられなさ」から、伝えることに向き合っていなかったと思う。その人にはその人なりの理解する方法があるし、相当興味がない限りわからないものから目を背けるのが人間である。それこそ、分かられないんだったら体現するしかないとも思っている。動いて、自己表現してリアルに落とし込まないとわからないものもわからない。だけど、現実体現していても分かられていない人をたくさんみてきた、分からないからこそ批判されることも。
だったら、伝え方を変えなければならない。斜に構え伝えることから目を背けていたら、伝えたい人にも伝わらない。手を差し伸べようとしてくれている人の手も握れないかもしれない。だから私は自己表現をする人を増やしたいし、できるようになる居場所をつくりたい。過去の怒りや悲しみで蓋をしてしまったこころを体現させることが私の使命である。勝手にな。そのためには、じぶんと向き合う必要があり、過去と今の感情と向き合わなければならない。きちんとその感情を昇華させて、生き切って、しあわせにならなきゃいけない。一度背けてしまった過去から向き合わないといけないときもある、嫌なものもあるけど、そこで今しあわせになりきれてないなら、やってみてもいいかもしれない。かくいう私もまだ向き合い続けてる人間だ。「嫌」な感情と向き合い「好き」を引き寄せよう、と言っておきながら、この間も嫌なことを言われたときに「私は嫌なんだ」といえなかった。でも以前はその状態にさえ気づかなかったのだから、大きな進歩だと思う。こうやって自分の感情を知り素直になることで、だんだん伝わり力は上がってくると思うし、理解や共感が得られれば人は自信を持てるようになる。 私もまだまだなんだから、大丈夫だよ、一緒にしあわせになろうね、といえる人たちに囲まれて生きて生きたい。分かられなくても、伝え方次第で分かられるときがくると、私は思うよ。


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