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夏の日のふくろうノート

あの日もらったノートには、学生から大人になるまでの私のすべてが詰まっている。

大学1年生の終わり。なぜか「どこか行かなくては」と誰からでもないプレッシャーをひとり感じていた。シンガポールに行こうと決めたのは第一言語で習っていた中国語も英語と並んで公用語だったからという浅い理由で特にかっこいい決め手はない。

そのころは丁度サークル活動やバイトをだらだら続けていて、『このままじゃいけない』という危機感だけを常に募らせていた。今考えれば、他のサークル活動や学生団体や趣味に打ち込むとか色々選択肢はあったのだけれど、海外に1人で行くことで何かが変われるような気がしていたのかもしれない。そこらによく居る、少し浅はかで自分に自信のない女子大生。

『1人で行く』と決めたから大学の提携ではなく寮から学校から全部自分で手配。なのに空港に着いた時も、ケチったが故のぼろっぼろの寮に着いた時も不安で不安で、仲介会社のお姉さんに学校の手続きをしてもらっているあいだ日本語を話せたのが本当に安心したことを覚えている。

一番安いところを選んだだけあって、割と、いやとても汚い寮。部屋でご飯を食べればアリがぞろぞろ出るし、お風呂はシャワーしかなくて壁も古びてひび割れが各所にある。4階建て最上階の角の2人部屋のルームメイトは母国に帰っていて、幸か不幸か1人部屋になったところから私の大学2年生の夏は始まった。

その寮にはいろんな国から来た色んな年齢の人が集まっていたけれど、みんなが談笑したりダーツをしているフリースペースにしばらく足を踏み入れる事が出来なかった。視線が、こわい。話されても、困る。そんな中「新しい日本人の女の子が来たよ」という噂を聞きつけて声をかけてくれたのがケイコさんだった。

ケイコさんは8歳年上の綺麗なお姉さんで、優しく寮のまわりのスーパーや中心街のシロップをたっぷりかけてくれるかき氷屋さん、女の子が行っても大丈夫なホーカーズ(屋台)を教えてくれただけでなく、他の日本人の友達も紹介してくれた。
ホーカーズについてはこちら。

ケイコさんは働いていた会社を辞めて貯金でずっと来てみたかったシンガポールに長期留学しに来たのだという。ケイコさんの仕事のことは詳しく分からなかったけど社会人と接する機会なんてほとんどなかったから、「会社を辞めて留学だなんてそんな思いきれるなんてすごい!!!」となんとなく崇拝していた。

ケイコさんは特にやりたいことも得意なことも分からない大学生にいろんなことを物腰柔らかにでも嘘じゃないなと思えるケイコさんの言葉で教えてくれた。

働く楽しさや仕事の選び方。シンガポールで出来た彼と海辺にデートに行くことやどんなところが好きなのか。いろんな人生があっていいこと。

当時はスマートフォンが出始めの頃だったけれど、私は現地で持っていたのは電話とメッセージだけ使えるプリペイドフォン。英語もままならない私は「kyou gohan ikimasenka?」と日本語でメッセージをして、ケイコさんに語学学校で中国人の子が名探偵コナンを知っていたことや吉野家のお米の固さの話をした。
(短期留学に行ったことがある人は分かると思うが、この留学で語学力は全く上がらなかった)

プリペイドフォンしかなくPCも上手く接続出来ずにインターネットが使えなかった私は学校が終わった後、ひたすらに街を歩いた。

チャイナタウン、アラブストリート、ブランド街のオーチャードロード、マリーナベイサンズのまわり(そのころはガーデンズ・バイ・ザ・ベイが出来てなかった)、ラッフルズロングバー、すれ違った人と好きではないコーラを飲んだクラークキー・ボートキー。
クラークキー周辺は好きだったので是非興味がある人は行ってみて欲しい。

歩きながら写真を撮って何を感じたのかずっとノートに書き綴る。ここに行った・こんな人がいた・売っていたもの・においや雰囲気・日本に戻ったら何をするのか・自分はどうありたいのか・不安なこと。
シンガポールに来たときに感じた孤独感は、「異国の地でひとりで過ごしている」というちょっとした達成感と優越感がかき消してくれた。
じめっとする湿度に外国の香水や食べ物の匂い。わたしの夏はあっという間に過ぎていった。

日本へ帰国する前日、ケイコさんはわたしにメッセージが入ったポストカードとカラフルなふくろうの柄をしたA4サイズの分厚いノートをくれた。
わたしが歩きながら色々書きためていたことを覚えていてくれたのだ。

「色んな事があると思うけど、大丈夫。自分のことを信じてね。」
ありきたりなメッセージかもしれないけれど、シンガポールに出発する前のわたしにはきっと響かなかったと思う。今だから、すっと入ってくる綺麗な言葉だった。

わたしは折を見てふくろうノートと向き合う。
自分が何をしたいか分からなくなった時は「やりたいことを100個書き出して振り返る」ことをしながら小さな達成感を得たり、モヤモヤしたときに気持ちを書き出したりしている。

読み返してみると、昔は他人から認められたい欲が強かったけれど(特に恋愛が全くうまくいってなかったとき)、少しずつ自分がどうなりたいかを考えられているような気がする。就職活動も恋愛も仕事も。全て自分と書き出して向き合ってきた大切なノート。

あれ以来ケイコさんとは会っていない。ケイコさんはこんなにノートが活用されているなんて思ってもいないだろう。今考えれば強い意志を持っていたように思えるケイコさんもいまの私と同い年。きっと迷ったり苦しんだりしながら不安な気持ちを抱えてシンガポールに行くことを決めたんだろう。28歳は思ってたほど大人ではない。

ただ。あの時のケイコさんがわたしに接してくれたように、もし同じように迷っている子に接することがあれば、わたしも嘘なく自分の言葉で誰かの背中をふわっと押せる人になりたい。

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