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鬱とわたしの20年

鬱。ながいこと、鬱と付き合ってきた。守護霊と自分みたいなもんだ。目に見えないけれどそこにいる。いつも鬱が私の人生にいた。鬱という名の自分自身。

最初に断っておくと、私は病院で鬱と診断されたわけではない。薬によってマインドをコントロールするということが怖かったから、心の件で病院に通ったことはない。薬で鬱がかえって重症化してしまった人のドキュメンタリーを見たことや、中島らもの鬱に関するエッセイ(※)を読んだりしたことも関係している。らも氏も、鬱をわずらい、薬で色々狂わされてしまった人だ。依存しないで適切に服用すればいいのだろうけれど、副作用が怖かった。それに、この心の具合を医師に説明して、辛さがわかってもらえると思えなかったし、わかってくれる医師にたどりつくまで病院を探し続ける根気もなかった。あっさりと「わかりました。じゃあ、お薬だしておきますね」と目も見ないで言われる想像をしてしまうと、病院に足が向かわなかった。私は私の心のありのままの状態をリスペクトする方を選び続け、自己流で戦ってきた。

(※)中島らも「心が雨漏りする日には」2002年

でも、医師の診断を受けていないからといって、ではこれが鬱でなければ一体なんだというのだろう、というぐらいに鬱だ。鬱でしかない。あるいはこの状態に勝手に「鬱」と名付け、鬱を抱えながら生きてきた。

鬱の正体

私の抱えているその鬱は、どんな奴か。

鬱がやってくるとため息が増える。深いため息が止まらなくなる。胸が、具体的に言うと乳房と乳房の間の谷間のところがものすごく痛くなる。どういう痛さかというと、その谷間の皮膚の内側に「心」というものが存在していると仮定して、その心がナイフでズタズタに引き裂かれているのでは?というくらいに痛い。酷い時はナイフでめちゃめちゃにされすぎて、おんぼろになってしまう。痛そうでしょ?これは比喩なのだが、しかし肉体的な痛みが本当に伴っている。

失恋したときなんかに胸が痛いという表現をつかうけれど、あれは本当に痛いのだ。比喩ではなく、本当に胸が痛い。失恋の時のあんな感じの胸の痛みが襲ってくる。はぁぁぁ、という重く深いため息を吐いてしまうくらいに痛い。胸が痛すぎてため息が出てしまう。このため息に色がついているとしたら、灰色だろう。吐き気がともなうこともある。

そして胸(=心)がとても重い。その心ってものが天井から吊るされているとしたら、吊るしている紐が引きちぎれてしまうのではないかというくらいに重い。鉛の玉がぶら下がっているみたいな感じ。はかりで重さを量ったら、重すぎて目盛がぐるぐる回ってしまうのではないかというくらい重い。この状態を擬情語で表すと「ズドーン」という感じだ。ズドーンと重い、ズドーンと落ち込む、と言うではないか。まさに、という感じだ。そして「どんより」も当てはまる。つまり、痛くて重くて、さらにどんよりしている。

そして痛みや重さやどんよりとともに、自己否定、自己嫌悪、後悔、羞恥心、情けなさ、寂しさ、敗北感、劣等感、絶望感、死にたさといった、ありとあらゆる不愉快な感情がつきまとう(寂しさが一番強いかも。…というか、こういう状態の時にふと「寂しい」とつぶやいている自分がいる。こういった感情を無意識に「寂しい」と総称しているのかもしれない)。自分が嫌で嫌で仕方なくなる。でも逃げられない。自分自身なのだから。自分自身から逃げられるわけがない。

私の中の私が、辛くて号泣している。

鬱状態の時に写真を撮ると、目がきつくなる。写真は笑って写すことが多いと思うのだが、写真の、目以外を隠すと目が全く笑っていないことがわかる。笑わなければという状況と心が一致していないので、その違和感が目に出る。

鬱がくる

鬱はどんな時に襲ってくるか。予測がつかない。仕事などで気を張っている時はあまり来ない気もするが、デスクワークの時はこいつが予測もなくやってきて、これと闘いながらパソコンを打っていた。「あぁ、今日はだめだ」とかいってトイレに逃げては、深いため息をついて呼吸を整えていた。接客業の時は動いたり笑ったりと動きがあるからか、鬱で辛くてどうしようもなかったという記憶はあまりない。襲ってきていたのかもしれないが、気が紛れていたのかもしれない。というか、鬱が当たり前に自分にいすぎて、思い返してもどうだったかはっきりと思い出せないくらいに、私は鬱と共存してきたんだと、これを書いていて改めて思う。鬱が私とともにいることが当たり前すぎて、どんなときに鬱がやってきて、それとどう戦ってきたのか、はっきりと記述できない。休日など自宅にいるときに鬱がきたら、迷わず布団に逃げ込む。ベッドは私にとって逃げ場であり、自然治癒の場であり、エネルギーチャージの場でもある。どんよりしてきたら、布団に入る。

しかし、確実に鬱を呼び寄せてしまいやすいシチュエーションというのがある。それは家族の食卓だ。それも、誕生日会やクリスマスパーティなどの賑やかで楽しい場面は特に。それがどうしてなのかは、理由はきっとあるのだろうけれど、分析が割と得意な私にもわからない。私は繕うのがとてもうまい。少しの鬱状態なら笑えるし、楽しそうに振舞うことができる。私の心に異変が起こっていることなど誰もわからないのではないかと思う。

しかし一度、家族の誰かの誕生日会に、激しい鬱が襲ってきたときがあった。言葉が少なくなる。表情が硬直する。動きが緩慢になる。ずっと一点を見つめてしまう。あ、これはやばいなと思った。何とか乗り切って、のちにちょっと鬱っぽかったことを妹に打ち明けると「お姉ちゃん、やばそうだったよね」と言われたことがある。

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はじめての心の異変

私が一番最初に心に異変を感じたのは、忘れもしないハタチの夜だった。ベッドに横たわって私は自分の心が石になるのをありありと感じていた。あれ、おかしいと思った。それと、もう以前の私には戻れないのだと絶望していた。こんな自分ではなかった頃の自分には、もう戻れないのだと。

私が鬱と出会ったのは、「自分自身」という名前の世界から、はじめて「世間一般」というものと出会ったことの象徴だった。私はそれまで、自身と他者との境界線がきっちりあり(そんなこと自分では全くわからなかったが)、またそれを守ってもらえていたと言えるかもしれない。しっかりと「自分の世界」という殻の中で生きていたし、家族に守ってもらいながらそれができていた。ナイーブだったのだ。

高校を卒業して大学に入り、初めて異性と交際をしたのが19歳だった。人生で初めて、家族以外の他者と家族以上に接近したショックだったのか、とても現実的な人だった彼が運んでくる現実的な価値観がフェアリーテイルの世界にいたような私にはショックだったのか。それに大学生になるまで、アルバイトもしたことがなかった。

居酒屋の安っぽい食器、バイクが走る構造、いつもの風景や空。すべてのものが今までと違う風に見える。なんというか、マジックの種明かしを見てしまったような、魔法が解けていく様を見ているような、世界から色が消えていくような。世界が味気なくつまらないものにしか見えない。そして、魔法が解けてしまったからには、種明かしを見る前の自分には戻れないのだと絶望していた。私は生まれてはじめて世間というものに放り出されてショックを受けていた。「自分の世界」では生きていけず、「世間」が私の中に流れ込んできた感じ。ある日私の心が石になったのは、その頃だ。

「グラクソ・スミスクライン」という製薬会社の名前は私にとって20代前半の記憶のうちのひとつだ。心の状態がおかしくなって、その原因をインターネットで調べたときに出てきた製薬会社の名前だ。インターネットが普及し始めた2002年頃だった。鬱病診断みたいなものをウェブサイトに掲載していたのだと思う。私は鬱診断を色々なサイトで何度も試した。結局あてはまる項目ほとんどにチェックが入り「鬱です。病院にかかりましょう」という結果が出るに決まっているにも関わらず、病院には行かずにネットの色々なサイトで診断ばかりしていた。経緯はよく覚えていないが、グラクソ・スミスクラインから電話がきたことがあり、自分の心の不調を誰かに知られたことが恥ずかしくて、以後電話をかけてこないで下さいと伝えたのを覚えている。おそらく鬱病診断をやったときに自分で電話番号を入力したのだと思うが。

わたしの性格と鬱とHSP

私の性格は能天気で楽観的で明るいほうだと思う。ものごとの捉え方も大雑把だし、物の扱い方も雑な方だし、おっちょこちょいでお調子者でせっかちで早とちりで、「おしとやか」の逆と言えばいいのか、…おしとやかでは全くない。母に言わせれば子供の頃の私は病的に神経質だったらしいが、年を重ねるごとに神経質さは消えていった(自分ではまだ神経質な一面が残っていると感じるけれど、周りから見れば雑な人らしい)。

私を知る親しい人が私とはどんな人か説明すると、ボケてると言うかもしれないし、実際にかなりボケている。真面目に生きているのにかなりズレているし、でも自分では大真面目なのだからズレていることには人から指摘されるまで気づかない。親しい人を笑わせるのが大好きで、早口だからサバサバして見えるだろうし、快活で社交的に見られる方だろうと自己分析をしている。実際に社交的だし人とのコミュニケーションが好きで、初対面の人ともだいたいすぐに打ち解けることができる。外から見た自分の性格はざっと言ってこんなところだと思う。

性格と鬱は関係ない。鬱は病気だからだ。明るく能天気な人だって病気にはなる。それと同じだ。

私はHSPだ。感じやすく傷つきやすい。大きな物音や大声が苦手だ。自分の知覚できる範囲で誰かが大声で怒られていると落ち込むし、それを引きずってしまう。人が何をどう感じるかがとても気になる。スプラッターなど残虐な映画は痛くて観られない。残酷なストーリーの映画も、フィクションとわかっていても共感しすぎてしばらく立ち直れないので観られない。HSPは性質だ。病気ではない。

つまり私はベースに上記のような元来の性格があり、鬱という病と(病院で診断されていないので断言するのは少しはばかられるのだが、でもそうだろうと思う)、HSPという性質を持っている。でもそれで生きづらくて手首にカミソリを当てるほど苦しいかというとそうでもなくて、元来の自分の明るさとか社交性、楽観性が生きにくさをうまくカバーしている感じだ。辛いけど、全然シリアスじゃない。

鬱とアトピー

ところで、鬱とアトピーは似ている。私は幼少の頃からアトピーを患っている。2歳には腕の関節と足の関節に、皮膚科でもらったステロイドを塗ってもらっていた記憶がしっかりある。大人になってから少しだけ顔にも出るようになった。大学に入って化粧をするようになり、安い化粧品がきっかけで顔にも出るようになってしまった。

あくまで私の場合の話だが、アトピーの、どんなときに症状が出てどんな時に悪化するのかはっきりと原因がわからないところが鬱と似ている。
はっきりと原因がわかる時はあって、無理をし続けて心身が疲れた時、そして睡眠不足の時はてきめんに痒くなる。これも鬱が出る原因と共通している。そんなときは「あ、無理しすぎたんだな」とか「疲れだな」とわかる。

でも、アトピーはそうでない時も、ノックもせずに急に訪れることがある。気づくと症状が出ている。あれ、なんか痒いなと思って掻いていると、どんどん悪化する。口の周りから出始めたアトピーは、放っておくと目の周りや腕など、ほかの場所まで症状が飛び火する。鬱もそうだ。はっきりとした原因がないのに、ふと気づくと心いっぱい、鬱な気分に覆われてしまって、どんどん嫌な考えが連鎖のように私を支配する。

一時期ステロイドが怖くて脱ステロイドをしていたこともあったけれど、あまりに悪化して手に負えなくなって駆け込んだ皮膚科で、「アトピーを火事に例えると、症状が出たらすぐにステロイドで火消しして、肌が症状が出る前の状態に戻るまで塗り続けて、皮膚の中の炎症まで完全に消すことが大事」と先生に教わった。それからはステロイドとうまくつきあっている。症状が出たら悪化しないうちにステロイドを塗って、しっかりと症状が収まったのを見届けてから塗るのをやめる。

鬱とこれから

私の懸念は、鬱もこれと同じで、放っておくと重症化してしまうのではないかということだ。これまで自己流で生き延びてきたけれど、ほったらかしておくと取り返しのつかないことになるのだろうか。「あ、これは薬の助けがいるかもしれない」と思ったことは数知れずある。それでも私は病院に行かずになんとか乗り切ってきた。

もうひとつの懸念は、遺伝だ。もしかしたら私のこれは、父からもらってしまったものかもしれないという疑惑がある。私の両親が結婚して、私が生まれる前に「子供が俺に似たら嫌だな」と父が繰り返し言っていたと、母が教えてくれた。

父はどうしようもなく苦虫をつぶしたような苦しい顔をしていることがある。母は「お父さんが朝起きて早々しかめっ面で、あれが本当に不愉快なのよ」と言ったことがあるのだが、あの顔は紛れもなく精神の不愉快さに耐えている顔ではないかと私は思っている。朝起きて早々、気分が最低で、あんな顔に私もなっていると思うのだ。あれは誰にとか、何に不満であんな顔になっているのではない。苦しみに耐えている顔なのではないかと私は思っている。

私は子供を欲しいと思ったことが一度もない。もし子供ができれば全力で育てる私であるとは思っているけれど、子供はずっと子供ではない。子供が欲しい=人間が欲しいという意味だと私は思っていて、私の持っている、できれば受け継がなくていいもの、アトピーとか鬱とかを彼女/彼に引き継いでしまう恐れがあることも、子供を作らない人生を選択すべきなのではと思う理由のひとつだ。

あとがき

私の親しい友人たちも、ありがたいことに私のnoteを読んでくれているということもあって、もしこれが友人たちの目に触れたらと思うと、投稿を躊躇した。こういうことは自分の胸の中にしまっておくのが人間関係のマナーで、明らかにしてしまうと優しい友人たちは心配してくれるだろうし、気を遣ってくれるかもしれない。私と接しづらくなるかもしれない。考えすぎかしら。でも、今まで通りの付き合い方でいて欲しいと言う勝手な思いもある。…大袈裟かな。

それでも書いてみたのは、長いこと共存してきたこの「鬱」と名付けたものに、書くことで少しでも形を持たせてみて、客観的に眺めて見たかった。自分の手帳に書くだけではとどまらず、投稿して公にしたのは…やっぱり誰かに知ってもらいたかったのかもしれない。

医師の診察を受けて具体的な病名(あるとすれば)を教えてもらえたら、こんな長い文章を書かなくてもそれが叶ったのかもしれないが、怖くてまだそれができずにいる。病院に行ってみてけっこう「あぁ、よくあることですよ。人間は感情の生き物だからね。本当の鬱はそんなもんじゃないです」と言われるかもしれない。そうなると、この投稿で堂々と勝手に「鬱」と書いてしまったことは罪になる気すらする。

薬を飲んだら、生きるのがもっと楽になるかもしれない。もっと早く飲んでおけばよかったと思うかもしれない。でも、その薬なしには生きていけなくなる自分になるのが怖い。だからもうしばらくは、今までみたいに誤魔化しながら、このモンスターと一緒に生きていくのだと思う。

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