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向田邦子によせてⅡ 父と娘

 父と娘は、難しい関係だ。

 最近は、母と娘に関しては母が娘に及ぼす影響の大きさが取りざたされ、毒親という言葉とも相まって、娘が母に愛想を尽かすケースというのが多く散見される。SNSの漫画などにも多いテーマだと思う。

 しかし、父と娘に関しては、意外と語られることが少ないように思う。

 最近までは子育てに関して父親が関わることが少なかったというのもあったし、思春期を迎えるととたんに娘のほうが父親から離れる、ということもあると思う。娘はいつか独り立ちし、他の男性と家庭を築く、と言うこともある。

 どちらにせよ、異性である父と娘はあるとき世界が別れ、別の世界に住む。それは近隣に住んでいるとか、父親の退職後に一緒に住んだり介護をするとか、そういうこととは全く別の話だ。

 近年は父親も直接子育てに関わるケースが多くなっているので、父と娘の関係については新しい見解が生まれてくるのかもしれない。また、息子の場合も「家」の概念が崩れれば、息子と父母の関係もこれまでの時代とは変わらざるを得ないと思う。

 向田邦子『父の詫び状』はかなり有名な短編だ。
 なぜ「かなり」有名なのかというと、昭和平成の一時期、頻繁に受験などの試験問題に出ていたからだ。
 今はどうなのだろう。今は試験を受けないのでわからない。

 現代文の試験や、あるいは模試、受験問題集などで向田邦子と出会った人は多いと思う。私も高校受験の時に試験問題が向田邦子だったということで、以前、別の媒体で記事を書いたことがある。

 内容に関してはすでにその記事で書いてしまったので、今日はちょっと変わった方向から父と娘について書いてみたい。

 ネタバレがある。
 未読の方はご注意いただきたい。

 『父の詫び状』の筆者・向田邦子の父親というのは、絵にかいたような戦前の男性である。女子供には決して弱いところを見せず、居丈高で、決して謝らない。馬鹿とどなりつけたり、そんなこともわからないのかと娘を叱る。

 邦子の母はそんな父をたて、陰に日向に支えている。転勤の多い保険会社の支店長だった邦子の父は、ことあるごとに客を家に呼び、家人は夜中の突然の訪問でもその世話をするのだった。

 その父親が一度だけ、邦子に手紙で不器用な謝罪と感謝をする。
 父親は実は人一倍苦労人で、辛苦を舐めてきたからこそ、家庭をまもろうと頑張っているのだと母は言外に娘に伝える。娘は反発を感じながらも、父を理解しよう愛そうと努め、父の詫び状を受け入れるのだ。

 先日、私はこの詫び状のことを、とあるアニメを観ていて思い出した。

 『ジョジョの奇妙な冒険』第六部である。

 父は空条承太郎くうじょうじょうたろう。娘は空条徐倫くうじょうジョリーン

 ボーイフレンドの罪をかぶって刑務所に送られた娘に、父親が会いに来る場面がある。

 奇妙な冒険、と言う通り、これは空想小説のような漫画である。
 なんとも形容のしがたいシュールな展開が続くから、物語の設定や進行に関しては、ここでは不問にしたい。

 徐倫は、不在がちでまるで家に寄り付かず結局は母と離婚した父親に対し、憎悪に近いような感情を抱いていた。
 ボーイフレンドと遊び歩いたり、問題を起こして補導されたりも寂しさ故だったが、どんなに悪いことをしても父親が振り向いたり、駆けつけてくれたことはなかった。
 だから今回も、まさか父親が刑務所に面会にくるなどとは思っていなかったのだが、父は突然現れる。

 父親の承太郎の登場とともに、危険な状況に陥る承太郎と徐倫。徐倫を助け出すつもりで来た承太郎は、命を狙ってくる者たちに対し、徐倫とともに命がけで戦うことになる。

 結果的に承太郎は徐倫を守り倒れ、意識不明の重体となる(本来は死亡状態なのだが、いちおうここでは重体、としておく)。

 大変な思いをして脱獄を果たし、父が事前に手を回していたとある機関に父の身体を託すと、徐倫は刑務所に戻る。それは父親の意識を取り戻す可能性に賭けたもので、父を救うためだった。

 承太郎は決して謝ったり、優しい言葉をかけて甘えさせてはくれない。この逃避行の最中も、徐倫が期待したようには情をかけてくれず、父親には自分より大切な何かがあって、自分のことは二の次だと常に思い込む。
 しかしそれは誤解だった。
 承太郎は、死を悟った直前、娘に言う。

 お前の事は…
 いつだって大切に思っていた

 娘の徐倫は、この短い邂逅で、これまでの父親のすべての言動は自分を守るためだったと理解する。生まれてからこれまでずっとそうだった、と。

 最終的に父娘は再び会い、さらなる過酷な状況に陥るのだが、その時は別れを惜しむ言葉さえ言えないほど切羽詰まっている。

 最後の時、徐倫のそばには徐倫を愛する男がいて、承太郎は究極の状況で娘との精神的な離別まで強いられ動揺するのだが、その時にはもう娘は自分が守らなくてもいいほど自立した存在に成長していることを実感し、安堵もする。

 この漫画を読んだとき、作者の荒木先生には、娘さんがいるのではないかと思った。実際、後でお嬢さんがふたりいらっしゃると知り、さもありなんと感じた。

 荒木先生が私生活で家族に対して不器用な方かどうかは存じ上げない。
 ただ、この物語における父と娘の距離感が、とてもリアルに感じられたのである。

 我が家も父の子供は娘たちだけだ。
 仲がいいとか悪いとかとは無関係に、父と娘の距離感は、母と娘たちの距離ともまたちょっと違う独特なものがあるように思う。
 そのなんとなくなじみ深い感覚が、この第六部にはよく出ていたような気がするのだ。

 『ストーン・オーシャン』は、極上のエンターテイメントであると同時に、「父の詫び状」お父さん版、でもある。

 世のすべての父と娘が、向田邦子と父親や、徐倫と承太郎のような不器用な関係にあるわけではない。特に問題もなく他家に嫁したり婿を取ったりして老いていく親子の関係もあるし、いつまでも恋人のような関係の父娘もあるかもしれない。相容れない関係となり、二度と接触しない父娘もいるだろう。

 向田邦子の『父の詫び状』は、普段手紙など出さない父が娘に手紙を出し、しっかり勉強しなさい、としたためた後に、最後のほうで「この度は格別のお働き」という言葉に朱線が引かれていたというものだった。

 ありがとうでも、悪かったでも、嬉しかったでもない。

 「格別のお働き」。

 娘の行動ふるまいを、父は見ている。

 徐倫の場合も、父親の承太郎は、娘の心理より行動を見ている。行動から、娘の心理状態を把握していると言ってもいい。
 行動より感情を察してストレートに言葉で伝えてほしい娘とは常にすれ違うのだが、徐倫は例のひとことで、すべてを理解し父を許す。

 この作品は蝶がモチーフとして沢山出てくるが、娘が大人になるのはまるでさなぎが蝶になるようなもので、驚くほどあっという間だ。瞬く間に保護者のもとから離れていく。

 当初は「ママに会いたい」と涙していた徐倫も、終盤はタフな大人の女性に変貌している。
 父と娘は、いつまでも昔の面影を引きずっていると心ばかりがすれ違う。大人として互いを認め合った時に、初めて何かが通い合うように思う。

 娘目線から見た『父の詫び状』と、父親目線の『ストーンオーシャン』。

 父と娘の物語はやはり、どこかぎこちなく、切ない。
















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