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好奇心に殺されないために - シリアルキラーから考える「危険な好奇心」の扱い方

はじめに

こんにちは。上手に文を書けるようになりたい人、みそいちです。

最近、シリアルキラーの生涯を紹介するYoutube動画をよく見ていました。
人道を外れた倫理観が多く、悍ましい犯行内容も相まって、見ていて縮みあがります。

シリアルキラーの動画を見ると、寝つきが悪くなるし食欲も落ちます。娯楽のはずが、いわばストレスになってます。
娯楽のはずが、ストレスになっている事を、今日ではよく見かけます。SNSには頻繁に、他人の行いや事件に怒り心頭で書き込みを行っている人を見かけます。シリアルキラー達も、(人によりますが) マズイと思いながら犯行に及んでいます。

何故人は、ストレスを感じながらも、よくないと思いながらも、それを求めてしまうのか。
この記事では、「本人が害があると自覚しつつもそれを行なってしまう行為」を「危険な好奇心」として、これに対する理解を深めていこうと思います。


(今日の一曲)

「危険な好奇心」の定義

最初に定義を明確にしておきましょう。
先ほど、「危険な好奇心」は「本人が害があると自覚しつつもそれを行なってしまう行為」としました。
これは言い換えると、「(客観的に考えると)有害だけど(主観的には)楽しい行為」です。よく考えたら辞めた方がいいと思いつつ辞められない、というやつです。

客観的有効性と、主観的快楽からマトリクスを作ると、「危険な好奇心」は次の形で整理できます。

自由時間の4象限

有効性も快不快も、設定されたコンテキストで変わります。自分の場合は、以下になるでしょうか。

  • 好きで有益(強みになれる活動):読書、料理

  • 嫌いだけど有益(義務のタスク):資産管理、運動

  • 嫌いで有害(無関心の社会活動):ギャンブル、深酒

  • 好きだけど有害(危険な好奇心):SNS、ホラー鑑賞

分解「危険な好奇心」

「危険な好奇心」に当てはまる例には、他にも次のような例が考えられます。ギャンブル・集団暴動(暴走族とかフーリガンとか)・スマホゲーへの過度の課金・暴言・万引きなど各種の犯罪行為・暴飲暴食や色欲など"大罪"の行為。

こうして見ると、一口に「危険な好奇心」と言っても、様々に種類があります。
宗教やホストやアイドルに過度にのめり込むことは、奉仕の目的が考えられ、仲間内での危険行為やスマホゲーへの過度の課金は、その集団でのプロップスの希求が考えられます。それらは全然別物です。

今回の考えの発端は、「なんでシリアルキラーの動画を見てんだろ?(見るとストレスがあるのに)」という謎でした。
この謎にあたる「危険な好奇心」とは、前段に挙げたような、「ある集団との関係性の中から産まれる危険な好奇心:他律的に作られる危険な好奇心」ではなく、「純粋に自分の中で消費し完結する危険な好奇心:自律的に作られる危険な好奇心」です。

今回は、後者である「自立的に作られる危険な好奇心」について考えていこうと思います。

「危険な好奇心」の魅力

ようやく本題です。何故、人は不快でもある行為を求めてしまうのか。

「不快でもある行為」は、不快でもあるわけですが、快でもあります。快が不快を上回っているから、それを行為してしまうわけです。
「不快でもある行為」は、どの様な快を行為者にもたらしているのでしょう?

自分の場合から考えてみます。
私は、シリアルキラーの犯行内容に、不快な一方でワクドキを感じます。そのワクドキの理由は、犯罪内容そのものに対する関心というより、社会の禁則行為:普段は触れられない世界へ触れられる興奮にあると思います。

不良少年がタバコを吸うのは、タバコがこの上なく気持ちいいというより、それが禁じられているから行いたいという理由があると思います。つまり大人たちや社会への反抗。
禁則行為が生まれる理由は様々ありますが、禁則行為は「社会が禁じている」という固有の性質により、ある種の魅力があります。

禁則を破る行為の報酬

知らないことを知ることは、独特の知的興奮があります。禁則行為を知ることは、更に独特な魅力が考えられます。それは、(社会からの)抑圧に対する反抗です。

出典を思い出せませんが、「人は行為の発端でありたい」と願う生き物だそうです。
最もストレスが溜まる職場条件とは、裁量権(自己決定権)がない職場と聞いたことがあります。幼児期には、立てた積み木をまた崩すなど、自分の権力を確認する遊びに、私たちは夢中になります。
その様にして人は、自分で出来事をコントロールすること=自由であることを求めます。
それはつまり、支配欲:社会が・子が・親が・自分自身が・自分の意のままであってほしいという欲望です。

シリアルキラーの多くは、幼少期や青年期に厳しい躾や抑圧を経験しているようです。彼らの多くは、自分の思った通りに行為することから断絶しています。
社会の禁則を破ることは、ある意味では究極の自由の獲得・究極の支配欲の充足になると思います。皆々で決めたルールを、自分だけは無視し、思うままに振る舞う。人生を縛っている社会の抑圧に抗して、いま一度自らで自由に選択する。この快楽こそが、禁則を破る行為の魅力だと夢想します。

シリアルキラーの紹介動画を見て思うのは、支配欲がとんでも無く強い人間が、あるタイミングでそれを封印された末に、他人の殺害という究極の形での支配欲の発散へと向かっていく印象を持ちます。
ヤフコメで怒り散らしている人は、コメントという形で、自らの意思に反してある社会を、自己の尺度の下に設定し直そうとしているのかも知れません。それは社会に対する支配欲の充足です。
私がシリアルキラー初め、ホラーな動画に関心があるのも、「私の想定ではもっと多彩であるはずの社会が、実際に体験する社会が平凡であるというギャップ」を埋めて、社会に対する自分の理解を充足させようとしているのかも知れません。

「危険な好奇心」に殺されないために

前段までに述べたことは、要するに「ストレス発散として悪い事をしちゃう」です。悪いことしちゃうと、当然ですが罰を受けます。
禁則行為の多くは、それが自分の心身を損ねるから禁じられてもいます。法的に、社会的に罰せられなかったとしても、浪費や暴力的なコンテンツの消費は、行為者を蝕みます。

「危険な好奇心」は非生産的なので、まずはその自覚の上で、適切にコントロールできる様になる事を考えてみましょう。


対応方法を考えるなら、原因と結果を分けて考えることが得策です。

まずは原因への対処です。
これまでの憶測に従えば、抑圧の強さがそれほどでもなければ、不快を伴う行為に惹かれる強度は少なくなるはずです。
問題に対しては、対抗すること・逃げること・無視することなどの対応類系があります。
もし、自分が「危険な好奇心」へ取り憑かれてると自覚できるなら、原因となるストレッサーが何かを考え、それから逃れる事を始めとした、対応方法を考えて見るべきです。

次に、結果の対処方法も考えてみます。
抑圧を感じているとしても、全員が禁則を犯し始めるわけではありません。ストレスコーピングの手法を学べば、それを生産的な活動へと変えていく機会を増やせるはずです。
例えば代償行為。ストレスの捌け口が、不快を伴う行為になってしまうと、巡り巡って自傷へと繋がってしまいます。しかし、そのストレスを発散したいというエネルギーを、うまく努力目標や創作活動への糧に向けられれば、今までよりも生産的な自由時間へと変わっていくでしょう。
私においては、こうしてnoteを書くことが、蓄積されゆく日々のストレスを解放する、代償行為になっているのかもしれません。

おわりに

この記事では、「なんで"不快だなー、ムカつくなー"と思う事をやってしまうのか」という謎について考えてみました。

つまりそれは、「非経済的だけど楽しい行為」になるわけですが、その中でも、社会の禁則を覗く・触れる・侵す行為についていえば、「日常で感じていた抑圧・支配欲の清算」としての効果が考えられました。

「非経済的だけど楽しい行為」は、やらない方がいいはいいと思われます。その行為の不毛さを自覚できれば、色々と対応方法が考えられます。


以上で、今回の考察を終わりにします。
今回も、あくまで自分の疑問を解消する目的で書いたので、他人や社会のメンタルイルネスに対応することは出来ないわけですが、自分の考えを整理できて個人的にはスッキリしました。

対応方法については、専門的な知見も薄いので、他にも増して浅いことしか書けませんでした。機会があれば学習を深め、許容できる不快さとできない不快さ・許容してもいい不快さとしてはいけない不快さについて、より深く考えてみたいなとも思います。

最後までご覧いただきありがとうございますmm
「不快でもある行為」を求める理由について、皆さんの意見もぜひ教えてくださいmm

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