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滝沢志郎『エクアドール』 海を越える同胞愛と、明日に踏み出す人々の物語

 中世の琉球王国に始まり、東南アジアへと展開していく、希有壮大にして爽快な海洋冒険ロマン――琉球を外敵から守るため、ポルトガル人から新型兵器を手に入れんとする琉球王府の人々の旅路を描く快作です。

 時は種子島に鉄砲が伝来する二年前――倭寇だった過去を持つ琉球王府の下級役人・眞五羅は、湾に迷い込んできた倭寇船との交渉に当たる中、倭寇時代の友・弥次郎と再会することになります。
 弥次郎と共にかつて所属していた船団を明国の仏朗機砲で壊滅させられ、九死に一生を得た過去を持つ眞五羅。彼は琉球を倭寇から守るために港に仏朗機砲を設置することを思いつき、上役の王農大親に提言するのでした。

 提言が受け入れられ、仏朗機砲入手のためマラッカに向かう使節団の一員に選ばれた眞五羅。同行するのは王農大親と名門与那城家の嫡男・樽金、通詞の梁元宝、そして弥次郎――さらに途中のアユタヤから、近頃頭角を現している倭寇の頭目・王直、そしてポルトガルの貿易商人・メンデスとその通訳の少年・マフムードが加わり、生まれも育ちも異なる面々による旅が続きます。

 かつてのマラッカ王国がポルトガルに滅ぼされて以来、三十年ぶりにマラッカを訪れた琉球一行。そこでポルトガルの長官を相手に交渉を行う一行ですが、この当時のマラッカ海峡周辺は、マラッカ、ジョホール、アチェが三つ巴でにらみ合う一触即発の地となっていました。
 やがてその争いの中に巻き込まれることとなった彼らの選択は……

 海に囲まれた国のわりには――それは間違いなく鎖国政策の存在があるわけですが――決して数が多くはない日本の海洋歴史時代小説。しかしそれだけに、本作のように記憶に残る作品も少なくありません。

 本作の始まりとなるのは十六世紀半ばの琉球ですが、この当時は第二尚氏による琉球統一から百年弱が経過して中央集権が確立し、最もその版図を広げた時代。それだけに、琉球に暮らす人々も様々なルーツを持ちます。
 琉球本島だけでなく周辺の島々、朝鮮、中国、そして「日本」――対馬人の父と朝鮮人の母の間に生まれて倭寇として暮らし、そして今は琉球の役人となっている本作の主人公格・眞五羅は、その多様性の象徴といえるでしょう。

 当時のヨーロッパでは、誇り高く同胞愛の強い人々として、半ば伝説となっていた琉球人(レキオス)。その「同胞」の意味は、決して民族的、血縁的に繋がったものではない――本作で語られるその姿は、狭い同胞意識が広がる現代に生きる者にとって、憧れにも似た強い印象を残します。

 そして本作において印象的・魅力的なのは、それだけではありません。
 様々な出自を持つ本作の登場人物は、それだけに背負うものも様々にあります。仲間たちが仏朗機砲によって皆殺しにされたことにより、いわゆるPTSDを背負う弥次郎。レキオスに強い憧れを抱く舌先三寸の面白キャラと思いきや――というメンデス。そしてこの時代のマラッカを象徴するようなその出自が物語に大きく影響するマフムード……

 そのほかの登場人物も含めて、誰もがそれまでの人生で背負ってきた、それぞれの過去。本作で描かれる旅路の中で、彼らはその過去と、それぞれのやり方で向き合うことになります。
 しかし本作の素晴らしいのは、それが彼ら一人の贖罪や犠牲といった形で終わるのではなく、いずれも「同胞」の手を借りて、一歩前に踏み出すという形を取る点であります。
 それだからこそ本作の物語は、時に流血を伴う激しい戦いを描きつつも、どこまでも前向きで、そして感動的に映るのです。

 海洋という広大な世界を舞台に交錯する様々な人々の姿を通じて、人間愛ともいうべき「同胞愛」の在り方と、過去から一歩踏み出して明日に向かう人々の姿を描く本作。
 美しいラストシーンに至るまで、ひたすら痛快で爽快で、そして心を熱くする物語です。


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