木下昌輝『剣、花に殉ず』 剣と友情に生きた男が最後に辿り着いた場所

 これまで宮本武蔵を題材とした長編を二篇発表してきた作者が、その武蔵が最後に立ち会ったという剣豪・雲林院弥四郎を主人公として描く剣と友情の物語であります。剣の名門に生まれ、己の剣に悩みつつも、終生の友である細川忠利のために死地に赴く弥四郎。彼が最後に辿り着いた場所とは……

 鹿島新当流兵法の奥義「一の太刀」の伝承者である父とともに、修行の旅を続けてきた雲林院弥四郎。しかし関ヶ原の戦の際、父と石垣原の戦いに参加した弥四郎は、そこで宮本武蔵と遭遇、彼の自由奔放な太刀筋に圧倒されながら、強く惹かれることになります。
 味方の裏切りもあって敗走した弥四郎は、以前から感じていた新当流の剣に飽きたらぬ想いをいよいよ強くし、父の死を契機に流派と袂を分って江戸に出るのでした。

 そこで自分同様、強さを求めて武術の腕を磨く男たちと友誼を結び、共に汗を流す弥四郎は、とある大名の小姓だという少年・光に、剣を教えることになります。
 やがて仲間たちが戦場を求めて海を渡るのに対し、一度国元に帰った後、家を出て外つ国に渡ると語った光を待って、江戸に残る弥四郎。そんな弥四郎の前に見違えるような姿で現れた、光の真の名は……

 本作は、この弥四郎の新当流との決別と、光こと細川光千代――すなわち細川忠利との出会いをいわば序章として展開する物語であります。

 忠利に細川家への仕官を求められながらも、「友のままでいたいから」と断った弥四郎。彼はその言葉を守り、友として、忠利のために剣を振るうことになります。
 大坂の陣で豊臣側に入った忠利の兄・興秋。細川家お取り潰しを狙う幕閣。九州で蜂起せんとするキリシタン。ついに勃発した島原の乱を率いる天草四郎。そして忠利の弟を指嗾して追い落としを図る細川忠興――弥四郎と忠利が出会ってから約四十年の間に、幾度となく忠利と細川家を窮地に陥れる相手に、弥四郎は挑むのであります。

 そんな弥四郎は、武蔵を含めて、これまでどこか陰性の、あるいは受け身の主人公が多かった印象のある作者の作品には比較的珍しい、陽性で豪快な造形のキャラクター。
 普段は道場の用心棒として暮らし、事あらば弟分の元風魔忍びの宇多丸を連れて乗り出す彼の姿は、その行動理由も含めて、まず剣豪ヒーローと呼んでよいといえるでしょう。

 しかしもちろん、そんな弥四郎にも、背負ったものが、そして内に秘めたものがあります。父から学んだ流派を捨ててまで拘った己の剣――自分の中でもどこに向かうべきか、どこが終着点なのかわからぬままで彼が歩む剣の道は、本作の縦糸として描かれることになります。
 そんな彼の前に立ち塞がるのは、あの足利義輝の落胤である非情の剣士・足利道鑑、その息子で、自分では相手を斬らず相手の前に出した刀で自らを斬らせる魔剣士・西山左京といった新当流の強敵たち。彼らの存在は、ある意味迷える弥四郎を映す、一種の鏡のような存在といえるかもしれません。

 そして何よりも、弥四郎の剣の道は、宮本武蔵へと続いています。
 かつての戦場での出会い以来、弥四郎の心の中にあった武蔵。いつの日か武蔵と戦いたい――その想いを抱きつつも、武蔵と出会うことができず、そしてついに出会った時には武蔵が剣を捨てていた(この辺りのエピソードは、作者の『孤剣の涯て』を読んでいると胸が塞がる想いがします)という運命の皮肉に、弥四郎は翻弄されることになります。

 しかし、それでも道をたゆまず歩み続けた者のみがたどり着ける境地があります。物語の結末において、ついに忠利を前にして武蔵と対峙した弥四郎。そこで彼が武蔵に語る剣の道とは――そうか、そういうことか! と、誰もが強く胸を打たれることでしょう。
 江戸で紅白の椿という花をきっかけに始まった忠利との友情、戦場で武蔵と出会ったことをきっかけに踏み込んだ新たな剣の道――様々な戦い、出会いを別れを経た末に、その二つが絡み合い、一つの美しく、爽快極まりない境地を描く様には、ただ嘆息するほかありません。

 作者がこれまで描いてきた宮本武蔵の物語とはまた異なる角度で描かれた――それでいて武蔵にとっても一つの結末ともいえる――剣と友情の物語。それは己の道に迷う者たちの、強い支えとなる物語だと感じます。


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