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「平穏死」Fさんの場合・・・不思議がいっぱい💛息子さんに会ってからの旅立ち
桜が満開になるころ、毎年Fさんのお看取りの事を思い出します。
Fさんは88歳の女性で、15年以上前から認知症を患っておられました。
Fさんは元々眼科医で、当時はずいぶん苦労して医師になったのだと伺っていました。
ご主人も医師で、実は当老人ホームの嘱託医師を担ってくださっていました。一男二女を儲け、息子さんは、訪問診療をされる、在宅の緩和ケアの医師で、他県で開業されてました。
Fさんの様子
認知
「平穏死」Yさんの場合~命を使い切るってどういうこと?~
Yさんは100歳の女性でした。
98歳まで一人暮らしをし、ほとんど自立した生活を送っていました。
水墨画が趣味で立派な絵がたくさん自宅で保存されていました。
ある日自宅で、急に倒れて、救急搬送された病院で急性膵炎がわかり、入院治療され、4週間後リハビリ目的で転院しましたが、その後自宅に帰ることは出来なくなり、施設入所となりました。
Yさんの日常生活
Yさんは食べることが大好きでした。
施設で
「平穏死」Hさんの場合・・・・・・ 許し許され送られた最期
Hさんは88歳の女性。
若い時にご主人を亡くし、小豆島で、女手一つで助産婦をしながら一人娘を育てました。娘さんは大学進学の際に、地元を離れ大阪に転居。その後からHさんは長年一人暮らしをしていました。
施設入居時の様子
Hさんは、10年前から認知症を患っていて、小豆島で一人暮らしが出来なくなり、一人娘さんが引き取って同居していましたが、誤嚥性肺炎で入退院を繰り返すたびに、認知症が悪化し、ご自宅で
「平穏死」Oさんの場合
お見送りの決断までの道のり
ご主人が悩んで悩んで、平穏死を選ばれた最期
Oさんについて
Oさんは80歳の女性でした。主介護者であるご主人は88歳。お二人暮らしでした。ご長男を若い時に病気で亡くし、次男は学校の校長先生をされていました。
Oさんは16年前(64歳の時)にアルツハイマー型認知症を患い、徐々に進行し要介護5の状態となり施設入所されました。
全介助で食事も何とか全介助で食べられていま
人は生きてきたように、亡くなる・・・と教わった Cさん お茶会をしながら、お見送り
出会った時の様子
アルツハイマー認知症で、精神科病棟から入居されたCさん。車いすに安全ベルトで固定され、頭にはヘッドギアを装着していました。
意思疎通困難で無表情のCさんでした。
施設では拘束ゼロですから、入居と同時に安全ベルトを外し過ごしていただきました。すると、どうでしょう・・・一生懸命立とうとされるのです。
両脇を抱え立っていただき、歩行の訓練を行うと、あれよあれよという間に、自分で歩