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仕込みとジョークとご長寿と


私の職場では複数の再雇用の、おじいちゃんと呼べる世代の方たちがまだまだ元気に働いている。その中に私が密かに“師匠”と呼ばせていただいている方がいるのだが、ここ数年は体調が不安な時期があったりして、職場の仲間から心配されていた。さすがにご本人もこの3月での退職を考えていて周囲もその方向で動いていたのが、状況が変わり急遽もう1年続行となったのだ。私としては嬉しいような、心配なような。ただ本人はいたってお元気で、周囲からダメと言われても大好きなタバコやコーヒーがやめられない。口の悪い同僚なんかは、「コーヒーは利尿作用があるんだから、あんまり飲むと干涸びますよ」などと、まあジョークなのだが、私は心配の裏返しだと思っている。そういう事が言える仲間がいるってことが良いと思う。


そんなイジりもアリな師匠だが、体調を崩したあたりから、生き死にに関わるジョークを口にするようになった。例えば週末や長いお休みの前には、
「お元気で。生きていたらまたお会いしましょう。」
と言うし、何かというと
「これが人生最後かも知れない」
なんて言って、こっちの反応を待っている感じだ。もちろん言われた私たちは
「そんなことないですよぉ」とか
「またまたぁ、そう言いながらいつまでもお元気じゃないですかぁ」
などと返すのだが、いつもいつもだと結構めんどくさい。たまには
「そうですね」
などと肯定してあげるのもアリなんじゃないかって。そう思い始めたのは、ある方の記事を読んだから。(こういうの、“ご長寿ジョーク”って言うらしい。)

テッセンさんにコメントしてみたら同意してくださって、その上『ひょっとしたら肯定した先の返しが用意されているのかも』とのお返事がきて、それはめちゃくちゃ興味深いのでチャンスがあればマジで試してみようかと思っている。
そういえばつい先日読み終えた小説の主人公はとてもユニークなおばあちゃんだった。歳をとったら、いかに周囲を笑わせることができるかが勝負、みたいなこと、言ってたな。例えば「おばあちゃん、お元気ですか?」と問われたら「半分、死んどる」とか「死にかけとる」みたいな。実はお年寄りは、日々そういう返しをいろいろ仕込んでいるのかも知れない。これは是非披露の機会を与えて差し上げたい。


うちの義母が、長年通っていた美容院をやめて別の美容院に行くことにしたらしい。理由はいろいろあるらしいが、ずっと通っていたので一応気を使って、「ここに来るのは今日で最後です。今までありがとう」とわざわざ挨拶したらしい。すると美容師さんが「あー、はいはい。年寄りは皆、そう言ってはすぐにまた来るんだから」どうやら、“ご長寿ジョーク”だと思われたのだろう。義母も「そういう意味じゃなかったのに」と笑っていた。わざわざ釘をさす美容師も美容師だと思うが、長い付き合いだからこそ一見失礼なもの言いも親密さの表れであり、まさか義母がこのタイミングで突然美容院を変えるなんて思ってもいなかったのだろう。そしてそう言われた義母はなんとなく決意が鈍ったらしく、これからも毎回ではなくとも時々は、引き続きその美容院に行くそうだ。


私も年齢を重ねてくると、友人と会っても“痛い自慢”みたいになることが増えた。「もういい歳だから」とか「歳には勝てないね」とか、平気で口にしている自分にギョッとする。そりゃ、痛いところは増えたし、だんだん若くはならないけど、歳を取ってもまだ人生初めての経験はあるし、頭の中はいつまでもミーハーだ。おかげで「いつまでも若いね」ってよく言われる。(多分頭の中が、だ。)今までは「そんなことない、ない」って謙遜してたけど、これからは「そうなのよーっ」って肯定してみよっかな。


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