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どこに向かうか

世の中は、「一見大事そうに見えるけどそうでないもの」で溢れている。
地位、年収、肩書き、年齢、所属する会社・・・

当たり前のように「よーいどん!」で就活が始まり、新卒で会社に入ることで〝なんとなく〟世の中の一般的なレールに乗っかってしまう。
それが、大きな会社、安定した会社だと、周囲からの目や自分自身の堪らないプライドが邪魔をして、余計にそこから抜け出すのは難しい。

年収が上がったり、花形と言われる部署で仕事をしたり、 プロジェクトに任命されたり・・会社という組織の中にいる時間が長い分、そこで認められる事は“なんとなく”自分の価値が上がっていく気になってしまう。
それに伴って、自分の意思が徐々に薄れていってしまう感覚がある。会社勤めをしている限り、一見自分で決めていると思う事でも「相手はこう言って欲しいんだろう」「今はこう動くべき」など、相手を読んで動くことがどうしても多くなる。

もちろん、仕事で成果を出したり、一生懸命考えたアイディアが形になった時はとびきり嬉しい。一つ一つの経験は身になっているし、運やタイミングで掴んだご縁の数々にも感謝している。
でも〝これから〟に目を向けたとき、どこに進むべきなんだろうと考えてしまう。自分は何がしたいのか?を問われた時、組織の中で自分の意思を貫くには障害が沢山ある。

* * *

先日、友人と旅行にいった。
大学卒業と同時にカナダへ行って仕事を見つけ、永住権までとってしまった彼女は、自分の意思を持って着実に理想を実現しているのに、柔らかくて温かい心を持ったギャップのある人。
その彼女と過ごした3日間、時折現れる彼女の考え方が新鮮でとても心地よかった。

何が心地よいのだろうと考えたとき、自分がありたい姿を見据えて世間の価値観ではなく自分の価値観で動いている事だった。お花畑のような夢や「頑張らなくていい」のような努力から逃げることではなく、数年後の目標に向けて着実に努力を重ねて進んでいる。それでいて、がつがつした感じはなく、すごくナチュラルなのだ。
そんな彼女は、世間的に一流と言われる名だたる企業からのオファーを断り自分に合う会社を選ぼうとしている。決して傲慢ではなく、自分のなりたい姿や目標に近づくため本当に必要なものを理解し、世間の評価に流されず自分の基準で選んでいる。

それでは、自分の基準とは何だろう?
それを知るためには、最終的な目標を明確にしておく必要がある。人生の最終目標とは究極、「死ぬときに何を考えてどういう死に方をしたいか」ではないかと思う。
子供や孫、家族に囲まれ惜しまれながらなのか、一人でひっそりとなのか・・その時自分の人生を振り返り何を思いたいか。何を成し遂げたいか。何を貫きたいか。
そこから逆算して考えれば、何を基準に選んでどこへ向かうべきかが見えてくる。

人生は思っているよりもきっと短い。
だからこそ、全ての選択が自分の向かいたいところに繋がるようにしたいと、彼女との旅で強く思った。



Miu

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