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『女ぎらい』を読んで

先日、勉強になる書籍を
ご紹介いただきました。

「しんちゃん」さんの

読みにくい、
でもオススメしたい本

にて、著者 上野千鶴子さんによる
『女ぎらい』です。


とても興味深いご紹介をされていたので、
さっそく最寄りの図書館で調べて
手元に取り寄せました。


『女ぎらい ニッポンのミソジニー』
 著者 上野千鶴子
 出版 朝日新聞
 初版 2018年10月30日

今回は、上記の書籍を読んで
わたしの所感を
皆様と共有させてください。


「女ぎらいとは?」
「ミソジニーって何?」
「どういった本なのか」

興味のある方は
読み進めていただけると幸いです。

では、いってみましょう♬





✔『女ぎらい』を知る

今回の書籍のタイトルとなる『女ぎらい』

とてもインパクトある言葉です。

「女ぎらい」とは、
男性目線からみた女性の姿、
女性目線からみた女性の姿を総称した
言葉の意味だと本書で語られています。

また、「ミソジニー」という言葉も
同時に使われています。

「ミソジニー」とは、直訳すると
「女性嫌悪」、「女ぎらい」です。


なぜ、このようなタイトルで
本書は綴られるのか。

それは、
上野千鶴子さんのフェミニストという
観点から社会的歴史にもとづき、
”女性の価値観を知ってもらうため”
だと感じます。

そして、
女性の価値観を知ってもらうために
”男性という存在”をとおして
生々しくリアルな視点で描かれたのが
本書の見どころでもあります。

注)性的描写は一切ありません。
  ただ、人によって不快に感じる表現が
  多く記されています。



✔ミソジニーの男

本書のはじまりは
”ミソジニーの男”から進みます。

「女ぎらいの男」は、別名「女好きな男」。

いや、「女性を蔑視する男」について
語られています。

そこには、
男性特有の女性を見る視点。

悪い言い方でいえば、女性を
「モノ(記号)」で見る視点について
けして的外れではない
歴史的文学書をもとに説明されています。


男女の関係性について…
女性の価値観について…
性という対象の捉え方について…

ホモ、ジェンダー、非モテ、
児童性虐待者など

さまざまなキーワードをもとに
”ミソジニー思考の刷り込み”
長年の歴史から紐解くように語られます。


リアルな側面を描いているので
読み進める中では
目をつむりたくなる描写も多々ありました。

その都度、時間を置き
また興味本位で読み進めている
自分もいました。

すべてを読み終えたとき、
新たな男女の因果関係を知れて
満足しております。




✔気になるキーワード

本書の中で
とくに気になったキーワードについて
2つほど、共有させてください。

1、母と娘
2、東電OL事件

上記の2つを
カンタンにご紹介します。


1、母と娘

本書は、男女間の問題だけでなく
女性同士の問題にもメスが入ります。

日本の歴史を見ると
女性の社会進出は、ここ最近の話し。

40年~50年前に戻れば、
女性は職場に不必要と言われた時代が
存在しているのも事実。

だからこそ、近代の母親は
「娘の手に職を与える」ために
大学進学を全力で勧めます。

そして、同時に生まれるのは
「母から娘への嫉妬だ」と綴られています。

キャリアウーマンとなった娘。
他人のモノとなった娘。
ミソジニーを母から学ぶ娘。

女性と女性だからこそ見える…

男には理解のし難い世界線を
本書は教えてくれました。



2、東電OL事件

皆さん、
東電OL事件をご存知でしょうか。

1997年3月に起きた
東京電力女性社員 殺害事件です。

こちらの事件は
いまも未解決のままとのこと。

当時、多くのメディアによって
ニュースやテレビ特番、
書籍、映画化もされている事件です。



事件の被害者となった女性社員は
昼は東京電力の管理職、
夜は立ちんぼの売春婦を
行っていたとのこと。

事件の発端となった要因は
未解決のため、いまだ謎のままです。


当時、被害者の女性は
東京電力初の女性管理職に付きます。

一方で
会社内の居場所にも苦労したのでは
と推測されています。

そして、ストレス発散のためなのか
毎晩、売春行為に走る。

現代の闇をかかえた時代背景を持つ
とても考えさせられる事件です

本書でも
東電OL事件の被害者について
切実な思いが書き記されています。



* * * * *




本書の一節に
「ミソジニーは超えられるのか」
があります。

上記の一節の冒頭では
以下のように述べられています。


男は女とのつい関係のなかで
「男になる」のだ、と思っていた。

まちがいだった

男は男たちの集団に
同一化することをつうじて
「男になる」。

男を「男にする」のは、
他の男たちの承認あってこそ。

女はせいぜい、
男が「男になる」ための手段、または
「男になった」証明として与えられたり
ついてきたりする報酬にすぎない。


これにたいして、
女を「女にする」のは男であり、
「女になった」ことを証明するのも
男である。

「女ぎらい」より引用

ミソジニーから脱却するために
上記の概念を理解する必要があります。

「そんなことはない!」と思いつつ、
歴史はすべてを物語っています。


上記の記事は目新しく
いまだ多くの問題を抱えています。

そこには
「ミソジニー」を無意識に信じる
畏怖の念が隠れているように感じます。



この世は突き詰めれば
”男と女しかいない”からこそ、
いま一度、本書によって
男女の新しい価値観を知れたのは
良い機会だと思いました。

ご興味のある方は、ぜひとも本書を
手に取っていただければ幸いです。

では、また。
失礼します。

しんちゃんさん、
ステキな本をご紹介いただき
ありがとうございました!!


サポートしていただければ、あなたの習慣活動を全力で応援します!!