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私がミニバスで、「絵」を描くことを教える理由

みなさま

大変ご無沙汰しております。半人前コーチ@研究室です。前に投稿したのは3月4日。はや3ヶ月が経ちました。
ミニバスの活動は3月からお休みとなりまして、今月から徐々に活動できそうではあるのですが、その間はオンラインで活動しておりました。練習をしていたというよりも、2時間授業みたいなことしておりました。4月より毎週行っていたので、10回くらいやってていて、現在も継続中です。毎回宿題を出したりしながら。

私が教えているミニバスは、元々すこし特殊なことを取り入れているチームで、バスケットの練習ももちろん徹底的にやりますが、その他に漁業体験を行ったりチームで映画を見たり、試合が終わってからは付箋で出来たことと出来なかったことを貼り出して、KJ法で大事なことをまとめる。みたいなことをやっていたりします。

なぜそのようなことを行っているか。私が大学教員をして学生と接したり、会社の仕事でチームメンバーに新卒と話したりしたときに、自分の意志を感じる若者が少ないと感じたことが、最初のきっかけでした。言われたことを処理する能力は高いのですが、自分から行動をしたり、自分で課題を見つけ出したりすることがとっても苦手。
私の研究室の学生にも、「真面目だしお勉強はちょっと優秀。でも、全然面白くないね」と言ったりしています。
※ 関係がしっかり出来ている学生にしか、こんなこと言えませんが。。。。

もちろん全員が全員というわけではないですが、全体的にこのような傾向は強まってきている気がしています。その原因は何か、と考えた時に小学校~高校までの教育が良くないのではないか、と感じたのです。

小学校~高校までは、勉強のできる学生が「優秀」と評価されます。何をするにしてもすぐに点数化され、5段階評価もしくは偏差値に置き換えられ、全てのゴールが”良い点数を取ること”に収斂されてしまうのです。学校の評価のために、子どもに最適な進路ではなく、より学力の高い学校に進学することを勧められてしまうのです。これって、勝負至上主義で避難されている部活動と何が違うのかな?と思ったりしています。

では、社会に出たら評価されることはどのようなことでしょうか?多分、評価の基軸ってすごい色々あると思います。真面目にコツコツ作業できるということもあれば、コミュニケーション力が評価されることもあるし、人と違う発想ができるということが武器となったりもするでしょう。でも、学校生活では集団に同調しない異物は、排除されてしまいます。自分の意志がある生徒よりも、意志を持たずに集団に同調する生徒のほうが”良い子”であると評価されるのです。私はそのことに違和感を禁じえません。

だから私は、子どもたちの”自由”を少しでも取り戻したいのです。自分で考えることや、人の評価を気にすること無く、自分が楽しいと思えること、夢中になれる体験を少しでも増やしたいと思うのです。逆にこのような体験が少ないがために、”自由”であることを苦痛と感じ、意志が必要のない選択肢に逃げてしまうのではないか。と感じることが多くなりました。


この2ヶ月のオンラインの期間に出した課題は、例えばこんなものです。

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ゲームに出てくる脇役を主人公とした物語を書いてくる子もいました。新しい生物の絵を書いてくる子もいました。見たこともない料理を作ってきた子もいました。やってみると、思っていたよりもいろんなカタチが出てきて、見ている方も楽しめました。

そして、ある保護者の方からこんなご連絡をいただきました。

「うちの子が、”私、文章を書くのが好きなのかも。”ってつぶやいてました。今までむしろ嫌いかと思ってたのに、信じられません。」と。




私は保護者宛に、こんなメッセージを送りました。

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「自由にやってみてください」という課題。これを最近の子供達は、問題を解くよりも難しいと感じてしまうようです。
その発想に、間違いも正解もありません。間違わないように行動する必要は全くありません。そして、他人よりも”上手”である必要もありません。比較することに、大した意味は無いのです。

最も重要なことは、自由に発想するという過程を、その時間を、楽しめたかどうかということです。夢中になるような時間を過ごせたかどうかということです。夢中になることができたのであれば、アウトプットのクオリティなんてものは、気にすることではないのです。そしてまた、夢中になる時間を探して、それを続ければいいでしょう。
その夢中を続ける中で、「もっとこうしたい」「もっとこういう表現をしたい」みたいな気持ちが出てくるでしょう。そうなったら初めて、絵の技術を学べばいいのです。文章表現を学べばいいのです。それが、子どもたちがやるべきお勉強(インプット)なのだと思います。正解を出すことがゴールなのではなくて、自分のやりたいことのレベルを高めたいという意識と、その意識に貢献してくれる知識を手に入れること。それが学びなのだと思います。そして、自分がイメージしたカタチを絵や文章や料理や・・・で表現するための知識・知恵を手に入れて、イメージをカタチにできるようになった時、また新しい喜びを手にすることができるでしょう。


だから、夢中になってつくってみたものに対する人からの評価なんて、まずはどうでもいいと思うのです。自由な発想の課題を楽しめたか?自分が夢中になれたなら、そういう時間を増やすようにしてほしいです。ゲームや動画など、時間をただ消費するための作業に、多くの自分の時間を費やさないでほしいです。自分の夢中を探したり、夢中になったことを次のステージに進めるための時間に使ってください。

で、そういうことを考えていくと、

「すんげーーーー」って思う絵に出会ったり、「おもしれーーーー」っていう本や文章に出会ったりすることは、とっても大事だと思います。文章が好きになったり、絵に夢中になったりした後に出会えば、この絵ってどうやって書くんだろう。とか、この料理ってどうやって作るんだろう。とか。そういう動機づけにもなるし、この表現すげーなー。みたいな技術の学びの場にもなりるでしょう。
だから、美術館に行くことは大事だし、本を読むことは大事なのだと思います。でも小学生のときは、美術館に行くことを目的にされたり、読書をすることを目的にされたりする。それはちょっと違うと思うわけです。(それが目的にされちゃうから、感想文とかを書かされるのでしょう)。

「考えて/やってみて面白かった」が、「これをやりたい」というゴールになって、「そのためにこうしたい」という学びの意欲になる。

だからまずはやってみて、面白かったら、いろんな過去のすごいものを見てみるといいと思います。今回絵を書いた子には、色んな絵を見せてみてください。今回文章を書いた子には、いろんな本を薦めてみてください。それはきっと、「楽しい学び(お勉強)」になるんじゃないかなと、おじさんは思っています。
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私がなぜミニバスで絵を描くことを教えるのか。それは、とにかく自由に発想してほしいから。子どもが子どもである時間を過ごしてほしいから。そしてそれが、「自由に生きなければならない時代」に必要な、生きていくチカラにつながっていると思うから。なんとなくそんなことを保護者の方々と話していたら、ものすごく共感をいただいたので、ここのblogにもアップさせていただきました。


次からは、もう少し頻繁に記事アップしますね。
※ って、毎回言っている気がする。

では、またお会いしましょう。


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