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最後の予選会「前夜」〜大学生㊷〜

夏が過ぎればあっという間に秋。この時期は毎年あっという間に時が流れていくのを感じていましたが、大学生ラストイヤーはとにかく早い!時間の感覚って不思議なもんですよね。

noteを書くに当たって、当時の練習日誌をよく見るのですが、この時期の練習日誌は実は空欄が目立ちます。そもそも、練習日誌は提出用と自分で見返す用の2種類作っていたので、表面的な練習内容は「提出用」を見ればわかるのですが、その時の想いなどを4年間ずっと書き続けてきた「内なる記録用」の練習日誌が途絶えていたところに、当時の心境が現れていたのかもしれません。書けないくらい余裕がなかったんでしょう。

予選会を突破することがどれほど難しいか。わかっているけど、認めたくないし、立場上それも言えない葛藤のようなものが確かにありました。言ったら全てが崩れてしまう恐怖と戦っていたように思えます。

僕にとって最後の予選会。振り返れば苦しいものでした。

■最後の仕事

4年生はやはり特別な学年です。大学を卒業すれば陸上は引退っていう子も多いですし、大げさではなく、みんなの人生において大きな節目になってたでしょう。

1日の中で多くの時間を走ることに割ける生活は普通はありえない。学生もしくは走ることを生業にしない限りは無理ですよね。最後のこの時間をいかに過ごすかはそれぞれの人生における大事な一場面になっていたと思います。

4年間ともに頑張ってきた仲間たち。とくに同じ学年で意見をぶつけ合った仲間は本当にかけがえのないものでした。文章で書くと何だか平べったくなりますが、卒業して10年以上たち、それぞれが社会人経験を積み上げていく中で、その当時の仲間の特別感を噛み締めています。

僕がキャプテンとして予選会の前に行わなくちゃいけなかった大きな仕事が実はまだ残っていました。それは「メンバー選考」。誰を走らせて誰を補欠に回すかということをすべて僕が引き受けました。冷静に考えると結構特殊な、、、というか異常なことなのですが、そんなストレスを他の四年生にかけるくらいなら自分が背負ったほうがいいと本気で思っていました。バカだなぁ、自分。

予選会でしっかり力を発揮することに集中すべきだったはずなのに、それができていませんでした。


■当落線上の4年生

以前ウトさんの話を書きました。自分で振り返って読んでも、色々思い出してグッとくる内容です。今は九州の大学に勤めていて、陸上部の監督もやっていますが、怪我に泣かされたウトさんだからこそ、選手の痛みがわかる監督として学生から慕われていることでしょうね。そんな指導者に出会える学生は幸せです。

どの学年にも似たような境遇の選手はいて、僕の同期にもいました。彼の名前はスギヤマ。みんなからは下の名前で「ゆうくん」と慕われ(いじられ)るような存在。みんな個性は強かったけど、ゆうくんはとくに存在感あったなぁ。

工学系の学生だったので、とにかく理屈っぽい子でした。高校までは部活で中心的に走るくらいの走力もあったし、筑波大に一般受験で入学するくらいなので勉強もできたことでしょう。それまでの人生においては勉強も運動も「人並み以上」という評価を受けてきたと思います。

ところが、大学の陸上部に入れば全国大会で入賞、優勝するレベルの選手がゴロゴロしてるし、勉強の面でも同じ学群には優秀な学生ばかり。彼の中にあった文武両道マインドは崩れてしまったでしょう。まぁ、筑波大に入学する学生の多くが直面しがちなことなんですけどね。

朱に交わっても朱に染まらないタイプの子だったので、いろいろマイペースでした。少しでも痛みが出ればすぐに練習を抜けてて、頻繁にそんなことが起こるもんだから、本音では「もっと頑張れるんじゃない?」「痛みにナーバスになりすぎだよ」と思ってしまう事もありました。みんなと同じ練習をしっかりやっているイメージがあまりないなぁ。

厳しい先輩と同室だったので、下級生の頃は僕の知らないところでも随分叱られていたと思います。周りとギスギスしていた時期もあり、僕もきつく当たっていました。未熟でしたね(苦笑)

どんなに色々と言われても自分のペースを崩さないゆうくんも、ストレスでヘルペスが口の周りに吹き出ていた時期もありました。ゆうくんはゆうくんなりに色んな悩みもあったでしょうし、苦労していました。

それでも、腐ることなくコツコツトレーニングを続け、徐々に結果がでたのは3年生のとき。初めて予選会のメンバーに選ばれ、チームのちょうど真ん中の順位でゴールしました。三年生の予選会が終わった時点で、彼の想いとしてはきっと、翌年は快走してチームに貢献したいという気持ちが強かったと思いますし、最後の予選会は主要メンバーでガンガン引っ張ってもらうはずでした。言葉の端々にゆうくんの決意を何度も聞きましたしね。

合宿の休息日に二人でウォーキングに行きました。なぜここで写真をとったかは不明(笑)


でも、駅伝の神様はなかなか意地悪で、その通りにさせてくれないものです。結局怪我が再発して満足に練習ができなくなり、予選会前になってもなかなか調子が上がりませんでした。いろんな話をしたからこそ、ゆうくんには最後の選手選考会で結果を残してメンバーに入って欲しかったです。当落線上の4年生は毎年いますが、いざ自分たちが四年生になり、そんな仲間と膝をつき合わせて話をすると非常に複雑な想いになるもんですね。

個人の感情を混ぜた上で”一緒に走りたいメンバー”と、走力と調子を考慮して一番タイムが狙える”ベストメンバー”は違います。もちろん、いくら学生主体であっても情は混ぜません。後者でチームを組みます。

分かっちゃいるんだけどなぁ苦笑


■仲間に引導を渡す時

「引導」という表現は適切じゃないかもしれませんね。大げさかもしれません。でも、その時の僕の気持ちは「引導を渡す」ような気分でした。

・誰が走って誰が走らないかを決める
・それをみんなの前で発表する

これが予選会前夜に僕がやらなくてはいけない大事な役目です。ゆうくんは自分が当落選上であることを分かっていました。情に訴えるというわけではないのですが、僕に言ってきたのは、

「明日は4年間の想いをぶつけたい」
「そのための時間をずっと過ごしてきたし、明日はちゃんと走れる!」
「自分はできることをやってきた!」

ということ。打算的なものではなく、心の声が漏れたものでしょうね。僕にはそう聞こえました。

大事な戦いの前なのにゆうくんの言葉が頭からはなれず、落ち着かない時間を過ごしていました。夕飯も一人で食べ、とぼとぼ立川の町を歩いていました。

この時点で誰をメンバーに選ぶかはすでに決まっていました。決めたはずなのに、ダメですね。キャプテンである前に、1人の人間。優しすぎたのかもしれませんが、その時の僕が持ってちゃダメな優しさでした。

最後はキャプテンの責任において自分の口でメンバーを発表する。全てを自分である引き受けると決めた時に自分と交わした約束でした。そして、12人のメンバーを読み上げる時、ゆうくんの名前はありませんでした。


ゆうくんが最後の予選会を走ることはありませんでした。彼がどんな気持ちで僕の発表を聞いたかは本当の意味で理解できません。ただ、ミーティングが終わったときに、ゆうくんが僕の所のきて一言。

「宮川、ありがとうな。明日は頑張ろう」

目に涙をためながら彼が僕にかけてくれた一言がとても大きかったです。ゆうくんが泣くなんてこの時以外記憶がありません。泣き虫の僕とは大違いですね。

◾️この瞬間がどんな意味を持つか

ゆうくんにとって最後の予選会のメンバーから外れたことは決して小さなことではなかったと思います。僕にとってもこのミーティングでの発表はかなり負荷が高かったです。キャプテンになってやった仕事の中ではダントツで一番印象に残ってますね。

大学生になってから何度もサポートを経験してきたからこそ、最後の予選会でゆうくんは最高のサポートをしてくれました。傷みを分かっている人間。その点において僕はこれからもゆうくんには敵わないだろうな。

悔いが残らない競技生活を過ごせた人なんてほんの一握り。多くの人は挫折や悔いを色んな形で経験して卒業していきます。

でも、そんな陸上人生も競技を離れたら全てをおしまいというわけではありません。ある人はその経験をビジネスに活かし、ある人は自身のアイデンティティとして心の中に生き続けたりします。

ゆうくんは卒業してからマラソンを始めました。怪我が多かった彼でしたが、市民ランナーとして着実に記録を残していき、大学までのベストタイムを次々と更新。

そして、卒業してから数年後に福岡国際マラソンの舞台で彼と共に走ることになりました。これはほんとうに嬉しかった!!!

過去に引きずられることは決して良いことではない。引きずられるのではなく、過去に意味付けをして今の自分やこれからの自分に繋げていくことがとても大事でしょう。

いくつになってもマイペースでこだわりの強いところは学生時代のまま。変わらないゆうくんにちょっと呆れ、ちょっと安心しました。挫折や悔いをたくさん経験したことで、強く優しくなっていった気がしてます。いつの日か競技者として過ごした日々よりも、市民ランナーとして走る日々の方が長くなるでしょう。そうなった時に、走っててよかったと心から言えるようにありたいものですね。

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Miyakawa Kota

株式会社ウィルフォワードアスリート代表。筑波大学体育専門学群卒/元高校教師/柔道整復師/日本陸連A級トレーナー。ランナーのための情報メディア「RUNNING CLINIC」を発信中〜https://runningclinic.jp/

My LIFE1.0〜学生時代

走ることが自分の価値観や人生観の基礎を作ってくれました。僕が陸上競技を通して養ってきた想いを綴ったマガジンです。
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