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東京オリンピックを振り返って #トレーナーレポート【後編】

トレーナーレポート【後編】です。

【前編】では具体的な話をほぼしておらず、回顧録的な感じになっていましたが、これまでの歩みを振り返るということが好きなタチなので、少しだけお付き合いいただけたら嬉しいです。

患者さんのカルテ管理は日常業務ですが、こういった振り返りはある意味”自分自身のカルテ管理”なのかもしれません。駄文だなと思いつつも面白がってくれる方が一人でもいれば、ラッキーくらいなモチベーションで書いてるので悪しからずです。

今回は目次多めなので、気になるところを掻い摘んでお読みいただく感じで結構。どうぞ、お付き合いください。


オリンピックに参加するにあたっての自分自身の心がけ

オリンピックは一大イベント。まぁ、説明不要ですね。

そんな大会に多少なりとも関わるということで、僕自身としては一言でいうと”襟がただされる想い”でした。ワクワクもドキドキもする一方で、「経験不足です」「やったことがありません」は通用しないイベント。もちろんそうならないための準備はしてきましたが、十分かどうかは実際にやってみないと分かりません。良い意味での緊張感が期間中ずっとあったと思います。

その一方で、ご存知のように新型コロナウイルスの蔓延が危惧された中での開催だったので、心に迷いがなかったかと言われれば嘘になります。自分が感染した場合、家族が感染した場合、職場の患者さんに感染させてしまった場合など、ウイルスを運ぶ媒体に自分がなりかねない状況です。万が一そうなってしまった時の影響は計り知れず、、、見えない敵と戦うって本当に大変ですよね。

また、世間が両手を上げて歓迎するオリンピックになっていなかったのも事前にわかっていたことでした。色んことを考えて移動の際にボランティアウエアを着用しないようにしたり、リアルタイムな発信も避けたり、いろいろと気を揉みました。

誰もがすっきりした状態でこのイベントを迎えたかっただろうに、そういかなかったのが本当に残念です。

ただ、延期の末に開催が決まった以上、もはやあれこれ考える余地もなく、当日はただただ選手の安全と大会の進行が無事に行われるように力を尽くすのみでした。それがトレーナーとしての役目。

オリンピックに参加するということで「おのぼりさん」にも「てんぐさん」にもならないように気をつけながら、以下のことを意識していました。

✔️ 競技結果や目の前のアスリートのパフォーマンスに見とれず、想定しうる危険をイメージして冷静に観察と救護を行うこと
✔️ 多言語対応を求められる環境の中でも救護に入れば凛としたやりとりを行うこと
✔️ 『歩兵』として組織の救護活動の中で与えられた任務を責任持ってやること


心がけ①〜冷静な観察と救護

陸上競技の場合は、一つの会場で同時に複数の種目が行われているので、みんなが目を奪われるようなハイパフォーマンスの影で、誰かが転倒して怪我をすることも珍しくありません。

なので、トレーナーは常に「競技を追わない」ということが鉄則になります。観客と同じ目で競技を見てしまうと、遅れてしまった選手や動きが怪しい選手を見逃してしまう可能性がありますからね。

配置場所に着くと、誰がどの角度でどの選手を見守るかを決めて観察スタート。陸上競技を純粋に見るのも、自分自身が走るのも未だに大好きですが、トレーナーとして救護に入れば、もちろんガラッと状況は変わります。とにかく冷静に観察する、必要に応じて救護するを徹底しました。

まぁ、当たり前のことですけど、毎回救護に入るたびに自分に言い聞かせていることです。


心がけ②〜多言語対応の中での凛としたやりとり

国際大会であれば、当然日本語だけで完結することはなく、外国語でのやりとりが求められました。

モゾモゾして話せませんなんて、トレーナーとして以前の問題になっちゃうし、外国語対応は東京開催が決まってからの長年の課題でした。言葉は使わなきゃ喋れないので、ここは十分な準備ができたとは言い難いですが、実際のやりとりに大きく困ったことはなかったので、必要最低限はできていたのではないかなと思ってます。

ただ、これはより言葉が喋れた方が良いのは間違いありません。引き続きの課題ですね。


心がけ③〜『歩兵』として与えられた任務を責任もって行う

今回のオリンピックでは、僕は救護活動に中心的に関わるような立場ではなく、医療スタッフの中でもあくまで『歩兵』にすぎません。誤解を招かないように補足すると、自分を卑下する意味でこの表現を使ったわけではなく明確な役割分担の一つとして『飛角金銀桂香』ではなく『歩』という言葉を選びました。

自分にとってもこのオリンピックまでの様々な過程があるものの、それを出そうというのは自分のエゴです。与えられた役割の中で最善を尽くすことが大事なので、それ以上は求められない世界です。
(緊急を要する対応時は除く)

組織としてみんなで連携して動かないと、こんなビックイベントの救護を円滑に回すことなんてできません。なので『歩兵』に徹しました。

普段の治療院では院長としてリードする場面が多いので、普段と違う感覚でした。でも改めてスーパーバイザーとして指揮系統のトップに立ってくれたトレーナー(←大学の先輩です)の淀みない指示を見ていると、学ぶところは本当に多かったです。

★ 指示を受けるトレーナーが動きやすいような明確な指示
★ 質問に対する的確な返答
★ 大変さを見せない気丈さと、場を和ませてくれるユーモアさ
★ 誰もが話しかけやすいように、自ら率先して声掛けしてくれる腰の低さ

どれをとっても本当に的確でした。

今回のオリンピックは「学ぶ場」ではなく、「自分がやってきたことを出す場」だと思っていましたが、やっぱり改めて学ぶことも本当に多かったです。


配置場所でチームを組んだ仲間の存在

僕が担当になったのはPEC(ポストイベントコントロール)という場所。フィニッシュ後の選手がマスコミの取材を受けるミックスゾーンを超えて荷物を回収するまでの導線近辺の救護でした。

競技中は緊張やテレビ放映の影響で気丈に振る舞っている選手であっても、フィニッシュラインを超えて緊張の糸が切れた瞬間にトラブル起こすことも少なくないので、本当に大事な配置場所。そしてそこに僕含め3名のトレーナーが配置されましたが、そのメンバーが今回実質的に共に活動する仲間でした。

お二人とも経験豊富で本当に優秀なトレーナーでした。広島、福岡、東京と普段の活動場所はバラバラ。日頃から一緒に活動しているわけではないのに、陸上競技という現場に慣れているからこそできるあうんの呼吸というか、スムーズなコミュニケーションがあって、それが日本陸連のトレーナー部がこの東京オリンピックに向けて作り上げてきた財産なんだと感じました。

短い期間の中でも、いろんなことがあって濃い時間を共有できました。大変だと感じることももちろんあるのが常です。今回アイキャッチに使わせてもらったのは、チームを組んだ3人で撮った休憩中のワンショット。

一緒に活動できたことが今回の大きな財産の一つです。


選手を支えるトレーナーとして

今回はオリンピックを目指す選手に関わる機会をいただきました。今年の冬ごろから治療院に来てくれていた選手たち。

全てはご縁なので、昔から見ているとか、成長の軌跡をともに歩んだとか、そう言ったレベルの関わりではありません。サポートしましたよーと大々的に言うのもおこがましいかぎりですが、色んな話をさせてもらい、代表の座を勝ち取るべく必死になって戦ってきた姿を他人事じゃなく見れた事は治療家冥利に尽きる話です。

SNSへの掲載OKをもらったので少しだけ紹介させてもらいます。

◉館澤亨次選手(DeNAアスレチックエリート)

箱根駅伝のイメージが強い館澤選手ですが、現在は1500mを主戦場にして戦ってます。男子1500mは今年飛躍的に記録が伸びて、とても盛り上がっていたのですが、そんな中で東京オリンピックを目指してトレーニングに励んでいました。

SNSで「親方」と称されることもある彼ですが、物腰が柔らかく会えば誰もがファンになるだろうなという選手でした。なかなか勝てずに苦労したシーズンでしたが、日本選手権の時に見せたディフェンディングチャンピオンとしての走りには鳥肌が立ちました。

彼を東京オリンピックの舞台で観たかったです。叶わなかった目標でしたが、彼ならきっと高みに届く選手だと僕は思います。


◉森智香子選手(積水化学)

笑顔が印象的な森選手。駅伝で笑顔で快走するイメージが強かったのですが、トラック種目で個人の結果を出したいという真剣な想いを最初に聞いたときに、彼女のアスリートとしての覚悟を感じました。

自分たちが何かを提供できたというよりも、提案したトレーニングを欠かすことなくやってくれたことや、今回の3000m障害にかける思いの強さが彼女の調子を引き上げてくれたと思ってます。

素直な性格が彼女の強み。物事を明るく前向きに考えられる森選手をみていると、率直に応援したくなります。女子3000m障害で今回山中選手がオリンピックに出場しましたが、森選手の積極的な走りはレース全体を大きく引っ張っていました。

オリンピックに向けてポイントを稼ぐ時間がたりませんでしたが、森選手との関わりも、今回のオリンピックにまつわる印象的な出来事です。

ちなみに、「腰痛・肩こり専門治療院」ではあるものの、この症状しか見れないわけではなく、今回の選手たちのサポートを経て運動パフォーマンスの向上につながる介入については、かなりの知見が溜まりました。

ランナー向けとか、アスリート向けのサービスを治療院としてメニューに正式に含めるかは検討中です〜


家族の理解と協力

夏のオリンピックなので、長時間にわたる活動が求められました。お昼の暑時間帯の競技をさけるため、モーニングセッションとナイトセッションという形に分かれるからです。競技は9時から22時くらいまで続くので前後の準備や片付けの時間を加味すると当然これに数時間は付加されます。安易にはできない活動ですよね。

今回はコロナ禍ということもあり、小さな子供を抱える我が家としては、当然様々な心配があったと思います。様々な国と地域から選手や関係者があつあり、そのど真ん中で活動することになりますもんね。

オリンピック期間中は家族が寝た後に帰り、起きる前に出発する生活になるので、家族の負担が相当増えていたのは間違いありません。活動してる自分だけが大変なんてもちろん思うことはできないし、その点は本当に頭が上がらないほどの感謝だなと思ってます。

子供と妻を起こさないように、期間中は居間で寝起きしてましたが、やっぱりそうもいかず、自宅の扉をそっと開けると「おかえり」とLINEが入ってきました。子供が起きちゃうので、寝室から出てくることはしませんでしたが、結局毎日寝ずに待っていてくれていたようです。そして食卓には夕食が置いてありました。

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支給されるお弁当だけじゃ不十分と判断し、栄養が偏らないように軽い夜ご飯を作ってくれてた妻。こういう支えがあったことは忘れちゃいけない大切なことです。


最後に①

今回の活動は平たく言えばやりがいのある大変な仕事でした。

でも、組織員会の苦労、トレーナーを取りまとめてくれたトレーナー委員の方々に比べれば、オリンピックの裏側の一部しか分かっていないので、そんな状態で「大変だった」というのはおこがましいですね。(重々承知してます)

個人の主義主張を超えた話があるので、オリンピックを快く思っていなかったとしても、決して個人を責めないでもらえたら嬉しいです。

本来は平和の祭典であるはずのオリンピック。感染が拡大している今の状況とどれほどの因果関係があるかは分かりませんが、みんな一生懸命だったことはお伝えしたいと思います。


最後に②

今回選手がミックスゾーンでインタビューを受ける場面を間近で見ることが多かったので、少し付記しておくと、コロナ禍での開催による特殊な環境を加味したコメントが本当に多かったです。

本来なら喜びや悔しさをもっと前面に出していただろうなという選手もいたと思います。彼らの胸中は想像でしかないけれど、やっぱりいろんなものを気にしていたはず。そして、彼らの耳にもオリンピック開催に反対する声を耳にしながら競技に向かってました。

責めるべきも恨むべきも人ではありません。このなんとも言えない想いをぶつける対象が今後アスリートに向かないことを願ってます。


長くなりましたが、、、おしまい

最後までお読みいただきありがとうございます。現在様々なメディアで情報発信しています。サポートいただいた分はメディアの運営に使わせてもらおうと思います。