見出し画像

今の自分の原点になった「怪我をして感じたこと」の話〜大学生⑥〜

大学時代の振り返りブログも遅々として進みません(笑)

細かく書き始めるとどこで収束したらいいのか分かりませんね。「当時考えていたこと」「今考えていること」「今だからわかること」がごちゃ混ぜになっていますが、それぞれを頭の中で整理していまの自分のコアな部分をはっきりさせたいと思いながら書き綴っています。

自分自身の「棚卸し」も大学生編に差し掛かると、書きたいことはたくさんあるので、時間がかかりそうな気しかしません。大学生編は今回で6回目ですが、まだ入学して数ヶ月分しか書いていないことを考えると何回構成のお話になることやら・・・

気長にあたたかくお付き合いください。

■大学生になってすぐの怪我

箱根駅伝のこと、仲間のことなど書いてきましたが、少し自分のことに話を戻したいと思います。

大学の練習に合流して1ヵ月ほど経った頃、膝のお皿の下に激痛が走りました。動けば動くだけ痛みが増すような症状。オスグッド病(いわゆる成長痛)は経験済みでしたが、ちょっと違う。この微妙な場所は初めてでした。せっかく入学して頑張ろうと思っていた矢先の怪我だったので、自分にガッカリ。浪人生活のツケでしょうね。

今まで痛くなったことのない場所だったので、どうしようと途方にくれましたが、先輩に相談したらすぐに「シツガイジンタイエンだね」と言われました。

シツガイジンタイエン?

柔道整復師になった今ならもちろん基本中の基本であるスポーツ障害ですが、当時は聞いたこともない障害名でした。体育専門学群というだけあって、当然スポーツ医学の勉強もするし、筑波大学の陸上競技部にはトレーナー委員というものもあり、毎週水曜日の夜に勉強会が開かれていました。学生(選手)のケアは学生(トレーナー)が行うというもので、さらにすごいのがトレーナーの中には選手としてしっかり活躍している人もたくさんいて、まさに「二刀流」。大学生はこんなことまでやっているんだと驚き、それと同時にこんな場所で勉強できるんだということに幸せを感じたことを覚えています。

トレーナーの先輩曰く、「太ももの前を入念にストレッチして筋トレしなさい」とのこと。その通りにやっていたらちゃんと2〜3週間で痛み消失しました。その後「膝蓋靱帯炎」自体は再発することなく、4年間を過ごせたし、トレーナーってすごいな身を持って感じた出来事でもありました。

**■関東甲信越大会 **

ただ、怪我からの復帰は実はあまり良い復帰じゃありませんでした。関東甲信越大会という国公立大学だけが参加する大会が夏にあって、1年生の大学対抗戦デビューのような位置付けになっていました。ただ、この大会に出るためには部内選考があり、出場を希望する上級生とタイムトライアルを行い、勝って出場権を争う必要があります。既にインカレなどで活躍している先輩はこの大会に出ないので、対抗戦デビューできていない先輩と1年生がガチンコで戦って出場権を争うという結構下克上的なものでした。

故障明けでまともに練習ができていなかったのですが、どうしても出たくなり、練習も十分にできていない状態でタイムトライアルに参加しました。今の自分の立場だったら選手に絶対やらせない行動です。んが、それをしてしまったのは若さなのか、無知なのか・・・若い頃の自分をぐーパンチしてやりたい気分です(苦笑)

結果は勝っちゃいました。無事に関東甲信越大会出場の切符を手にれて、晴れて大学対抗戦デビュー。でもその陰で出られなかった先輩や同期がいたので、今考えれば素直に喜べない複雑な状況だったと思います。

■怪我の経験

今回の怪我に限らず、大学生の間はいろんな怪我を経験しました。大きいものから小さいものまで様々。どれも自分にとって考える時間を与えてくれたし、今となってみれば意味のある怪我ばかりだったと思います。柔道整復師という立場になった時、自分自身が経験した怪我は本当に財産になりました。

怪我をして色々な葛藤の中でもがいた自分や仲間たちの話は、尽きません。しっかりブログネタにさせていただきます(笑)今となっては懐かしいお話といった感じですが、もちろん怪我なく競技生活ができたことに越したことはないし、そういう悔しい思い、頑張りたいのに頑張れないもどかしさなんかを少しでも無くしてあげたいといつも思います。これは今の自分の思いであり、柔道整復師として大事にしているコアな部分です。

その当時は自分がこういった仕事につくとは思っていませんでしたが、きっとこの時すでに何か縁があったんでしょうね・・・

最後までお読みいただきありがとうございます。現在様々なメディアで情報発信しています。サポートいただいた分はメディアの運営に使わせてもらおうと思います。