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#68臨場感の元にあるもの。

「母ちゃん、この春、この映画だけは何がなんでも観にいくよ」
ミドリーが力強くオススメしてきた映画は、SFものの『DUNE砂の惑星PART2』でした。SFか…。わたしは心の中で思います。壮大なドラマが繰り広げられるあの世界に投げ込まれて、果たしてわたしは眠り込まずにいられるのだろうか。SFが嫌いというわけではないのです。ただ設定が複雑すぎる場合には、その異世界に入り込む前に、まぶたが落ちてくるというわけなのです。

どんな映画でも、夕食後のお腹いっぱいな状態では、決してクライマックスまで到達できないわたしという人間をよく知っているミドリーは、PART2の映画鑑賞に向けて、わざわざTSUTAYAでPART1を借りてきて、昼間にDVD鑑賞会を開催してくれました。ここまでされたら、観ないわけにはいきません(笑)。その後PART1の興奮冷めやらぬうちに、二人で映画館に向かいました。

結論から言うと、「すごすぎる映画、凄まじい面白さ」でした。紀元102世紀末、宇宙で最も価値のある物質「メランジ」の供給源である、砂漠の惑星アラキスの管理権をめぐる多民族の攻防の物語です(物語の中で「メランジ」とは人間の寿命を伸ばし、超人的なレベルの思考力をもたらし、超高速の航行をも実現するスパイスとして知られています)。物語が丁寧に描かれていく中で、この世界に確かに砂の惑星が実在するかのような臨場感に包まれます。広大な砂漠が広がる世界で、香料を手に入れるための民族同士の激しい戦いが繰り広げられるのですが、登場人物たちの苦悩が大画面でせまってくるのです。

(これほどの映画を作り上げようとする人間の思い、エネルギーは一体、何処から出て来るのだろう)

と、心の中で唸ってしまいます。わたしはここで、映画の詳しい解説をするわけではありません。したくでも出来ません(笑)。なぜなら話の展開についていくのがやっとでしたから。それでも登場人物のポールやレディ・ジェシカ、チャニの眼差しに込められた強い思いが、今もわたしの中に残っています。

映画の中では、人が生きている間に体験するさまざまな感情が、それぞれの場面の中で表現されていきます。反面、わたしたちの普段の生活を振り返ると、どれほど激しい感情が内面で動いていても、その気持ちをストレートに表す場面は、多くはありません。感情は「わたし」という身体の枠に治まるようにコントロールされていますし、そうすることで、わたしたちは社会という枠の中で大きな軋轢を起こすことなく暮らしています。

映画に行くと、その枠が取り払われるような体験をします。人の内面に秘められたエネルギーの強さ・激しさを目の当たりにします。これは映画の中だから?そうではないと思います。映画に刺激されて、自分の感情が枠を超えて動いているように感じます。

映画を作るために、どのような技術が急速に発展してきているのか、わたしはよく知りません。パソコンなどを駆使してリアルな映像を作り上げる技術の進歩には驚くばかりです。とはいえ、だから映像を作るのが楽になったのかといえば、そうでもないのかもしれません。美しく作り上げた映像に負けないくらい、人間の生き様がしっかりと画面に反映されなければ、観客の気持ちを動かすことはできないでしょう。

若い頃、わたしは映画を娯楽のひとつだと考えていた時期がありました。面白いか面白くないか、よく出来た作品かそうではないか。観客とはそれをジャッジする立場にいるのだと思っていました。でも間違っていました。どんな映画も、そこで発見するのは「人間の生き様」です。自分の心がちゃんと揺れ動いたら、わたしはその時、映画を通して「人間の生き様」に触れる体験をさせてもらったことになるのです。この春、いくつもの試練にぶつかった時、わたしはDUNEの世界を生きる人たちのことを思い出すことでしょう。




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