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#57心が動いている。

ある日、ミドリーの用事にくっついて東京に行くことになったわたしは、のんびりした気持ちで、朝早い電車に揺られていました。

車内はそれほど混んでいません。わたしは周りの様子をしずかに観察してみました。夏頃に比べると、マスクを外している人が増えたな、という印象を受けます。以前は当たり前だったそんな風景が、しばらくの間、当たり前ではなかったため、少し新鮮な気持ちになります。そしてほとんどの人がスマホをのぞきこんでいます。

(手元の小さな画面ばかりのぞきこんで、何が楽しいのだろう)

昔、慣れないスマホを使いこなせず、一旦はガラ携に買い替えた頃のわたしは、誰も彼もが同じことをしているように見える車内の光景に、異様な空気を感じていたものです。ところが今のわたしは、

(ああ。あの人もこの人も、向こうの人も、今心を動かしているんだな)

と思うようになりました。人の心は目に見えない。でも熱心に食い入るように見つめている画面の先の何かに対して、その人の心が今、動いている。一見、座席にじっとしているように見えても、心は自由に踊っているのかもしれないのです。

「心というものは思ったり考えたりすることが唯一の仕事なのだ」中村天風さんの本で読んだ内容が、わたしの頭をよぎります。心を動かしたくなると、人はこの世界のさまざまな情報を脳内に取り入れ、それについてああでもない、こうでもないと思案する。心はそんな作業を休むことなく行なっているのでしょう。

「じゃあ、後でね」
表参道でミドリーと別れ少し街をぶらついた後、喫茶店に立ち寄りました。狭い店内で人々が大声で何やら話をしています。いやでも話し声が耳に飛び込んできます。わたしもそそくさとスマホを開きます。

(ああ。わたしは今、こうやって自分の心を守ろうとしているのだな)

周りの騒音に自分の心の声がかき消されてしまわないように、何か安心できる情報を目にしようと心が焦っているようです。見慣れたnoteの記事や、お気に入りのHPなどを眺めているうちに、やっと少し自分らしさが戻ってきます。わたしはもう一度、店内を見渡しながら考えごとを続けます。

たしかに東京は魅力的な街です。多くの刺激に満ちあふれています。でもオシャレな街を歩く人たちの表情は、どことなく不安げな落ち着かない空気をまとっているように見えます。

「それは都会に住む人たちだから?」きっとそうではないんだろうなあ。同じ人が一歩この街を出たら、山や海の広がるのんびりした場所へ行ったら、今日とはちがった表情で一日を過ごすこともあるのだろうなあと。

慣れない東京で数時間を過ごしているわたしの顔も、いつもの場所にいる時のぼんやりした顔つきではなくなっていることでしょう。人はそんな風に、自分を環境の中に適応させながら生きているものなのだなあ。

「やあ」
数時間後ミドリーと再会して、今度は神田へ移動します。ビルが立ち並ぶ街を、黄色い帽子をかぶった小学生たちが楽しそうにおしゃべりしながら歩いています。駅の近くに小学校があるようです。

学校に隣接している子ども図書館に一時間ほど座って本を読んでいると、わたしの隣りに下校前の女の子たちが四人ほどやってきて「ねえ、交換日記やらない」「いいよ」「すぐに書いて次の人に回さないとダメだよ」だの「今から○○ごっこやらない」「いいよ、じゃあ、あたしは○○の役」「わたしは○○」と役決めをして、すぐにセリフを喋り出したりと息つく暇もないほどの軽快なおしゃべりがくり広げられていきました。

(ああ。なんだか生き返った気分)

おばさんのチラ見が子どもたちの世界をこわしてはいけないと、決して横を見ないように気をつけながらも、見ず知らずの子どもたちが発する楽しそうな気配に包まれながら、田舎者のわたしの心は元気を取り戻したのでした。

人(わたし)ってどんなに年を重ねても、そんな風に繊細に心を動かし続ける生き物なのでしょう。




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