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#55モンステラ。

晴れた日の朝、差し込んでくる陽の光を受けて、我が家で一番うれしそうな表情をしているのは、窓際にならべられた観葉植物たちです。彼らは何も言いませんが、ほどよい日光と水分が与えられていると、葉のつや、緑色の深さで、自分たちの心地よさを表現しているように感じられます。

ずっと憧れていたものの「どうせわたしは、すぐに枯らしてしまうにちがいない」と思って躊躇していた、観葉植物を育てること。自分でもやってみようと決心したのは、四年前の、ある女性の方との出会いがきっかけでした。その方は体調を崩し、長く入院されていたのですが、自分の部屋においてきた観葉植物のことが気になって仕方がないと、わたしに話をされたのです。

一人暮らしの女性にとって、自分の部屋でいっしょに暮らしている観葉植物たちが、家族みたいな存在だったのかもしれません。ご自身の家族とは、思いがすれ違いやすく、お互いに優しく接することがむずかしいと話をする彼女が、なんのためらいもなく朗らかに、育てている植物のことを愛情たっぷりに話す姿を見ているうちに「ダメ元でいいから、わたしもやってみよう」と思えたのです。

三種類ほどの鉢植えを初めて購入し、それからテル坊のお母さんにシェフレラの株分けしたものを頂いて、いくつか枯らしてはまた付け足し、今は十個ほどの鉢植えを室内とベランダで育てています。サンセベリアは乾燥にも強くて、春になると細長い葉っぱが地中からぐんぐん伸びてきます。

中でもわたしが一番、温かな眼差しで見つめてしまうのがモンステラです。サトイモ科の植物で、大きな葉に切れ込みの入った美しい形をしています。これは初めに購入した一株なのですが、当初から茎が少し曲がっていて葉っぱは二枚しかついていませんでした。

大きくなるうちに葉っぱも増えるだろうと思っていたのに、育て方が悪くて片方の葉が落ち、三年ものあいだ、葉っぱ一枚だけの状態でした。「いつか枯れてしまうだろう」と思いつつも、他の鉢と同じように日に当て、水をやり、様子をみていました。すると一年前の春から一枚、また一枚と新しい葉が伸びてきて、今では七枚の大きな葉を広げて、伸び伸びした姿をしているのです。

「みて、また葉っぱちゃんが生まれてるよ」(つい擬人化したくなるほどの感動なのです)

わたしは何度、寝ぼけ眼のテル坊に、このセリフを口にしたことでしょう。だまっていても、ちゃんと生きている。時期がくれば、条件が整えば、ちゃんと大きくなっていく。植物たちに教えてもらったのは、「育てる」ということの本当の意味でした。

「育てる」とは、そのものに内在している「育とう」とする力が動き出すのを、ただじっと待ちつづけることのようです。これが対人間である場合、待たれているとすら感じさせない程のさり気なさで、ただ一緒に暮らしを続けていくことになるのかもしれません。なぜなら人は、自分の中にある「育とう」とする力を、きちんと自覚できないことがあるから。育ち始めてようやく「あ、こんな力、自分にもあったんだ」と驚くようなことも多いからです。

緑色の植物たちが、教えようとせずに教えてくれたから、へそ曲がりのわたしの心が、こんなささやかだけれど大切なことに、気づけたのかもしれません。

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