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母は精神疾患でした【詳細版】➃|母を殺そうと思った中学生時代


▶不快に思われたり、辛く感じる方がいるかもしれません。
▶この体験談では私の母親が実際に罹患していた、『うつ病』『統合失調症』『パーソナリティー障害』を扱っていますが、あくまで「私の母親」の場合であり、これらを患う全ての方々の症状や回復過程を指すものではありません。一事例としてご覧頂ければ幸いです。
※2022年10月21日に公開した記事を加筆・訂正しています。更新2023.7.28


■母への憎悪が限界突破した出来事※閲覧注意


最近思い出した記憶です。

その日は、母の様子がいつもに増しておかしい日でした。
家の中を歩き回っているなーと思いきや、リビングに立ち尽くして無言で一点を見つめていたり、何かごそごそ怪しい動きをしていたり・・
とにかく行動がおかしかったのです。

私は母の様子を観察しました。
なにやら、キッチンにある棚のあたりをしきりに気にしていました。

私は、母が棚から離れた隙に、その棚の中を確認しました。
中には、精神薬が大量にストックしてありました。

「あぁ・・またオーバードーズ(薬を過剰服用すること)して自殺図ろうとしてるな・・」と察した私はすぐにそれを隠しました。
(今までに何回もあったからです)

母はすぐに薬がなくなったことに気が付きました。

「ここにあった薬どこやってん!!!」

母は叫びました。

私が知らないふりをして、「知らない」というと

母は何かぶつぶつ言いながら、しばらくそこに立ち尽くしていました。
私は、次に母が何をするかわからないので、母の近くに立って母を監視していたところ・・

母が急に激しい動きで、いきなりキッチンにある包丁に手を伸ばしました。

「やばい!包丁で自分のことを刺すんだ!!」と思った私は、瞬時にその腕をつかみ、必死に包丁から母を遠ざけました。

「もう死なせてよぉぉぉ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

大絶叫し、必死に包丁に手を伸ばす母。

力づくでも何とか包丁から母を遠ざけようとする私。


まだ、ここで落ち着いてくれた良かったのですが、母は私に全力で抵抗してきました。

お互いに服を掴み、腕をひっぱり・・・
キッチンにとどまらず、リビングにまで拡大する大乱闘になりました。

母と、もみくちゃになっている最中、私の中で何かが崩れました。

それは、母に対してかすかに残っていた「自殺しないでほしい」「治ってほしい」という母を想う気持ちです。
当時の母は、自己中心的で病気を盾に好き放題していたという背景もあり、
この乱闘中「お前さえいなくなれば」という母に対する憎悪が一気に私を満たしました。


「もう、殺そう」


乱闘中、本気でそう思ったのを覚えてます。
本当に限界でした。
私は感情に任せ

「お前のせいでな・・こっちがどんだけ迷惑してると思ってるねん!!!!!!!!!」

と声を荒げ、暴れる母の胸ぐらをつかみ、無理やり地面へねじふせ、母に馬乗りになりました。

ここで、私は母を殴りつけようが、首をしめようが何でもできました。

そんな私を我に返らせたのは、リビングの隅で妹がすすり泣く声でした。

感情が落ちついてくると、過呼吸かと思うほど息が荒くなり、今までにないくらい心拍数が上がっている自分を感じました。

母を解放したあとのことはあまり覚えていません。


■学校生活

こんな状況だったので学校に行きたくなかったです。
特に母が大暴れした次の日は、行く気力もありませんでした。

しかし私は、意地と気合で毎日学校に行ってました。
私が学校を休めば、父にさらなる心労をかけると思ったのです。

学校にいっても自分から家庭のことを言うことは、あまりありませんでした。
先生から事情を聞かれても、「大丈夫です」と平気な顔をしていました。

一度、仲のいい友人に打ち明けてみたことがありますが
「そうなんだ・・・」と当然ながら返答に困らせてしまい、
「人にはもう言わないでおこう」と心に誓ったのを覚えています。

そのため、1人で全てを抱えていました。

身も心も極限状態で、消えたいと思いました。

そんな状態でも、平然と学校に行き、友人と談笑し、部活をし、家に帰って母の対応をし、家事をし、勉強していました私は、どこかおかしくなっていたんだと思います。

そして、私は高校生に進学しました。

▼▼次の話▼▼

母は精神疾患でした|#4 母に「サタンの子」と言われた高校生時代①







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