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読み耽り、発散し、俯瞰する

この夏は、私の大学があるインディアナ州・リッチモンドに2か月間残って、教授の研究アシスタントをしました。その経験が、個人的にめちゃくちゃ楽しかったので、今回は記録と情報の共有を兼ねて、まとめていきます!




どんな研究?

比較政治学、その中でも中東地域を専門とする教授のもとで、「パレスチナの国家主義」についての研究を行った。
研究の目的は、パレスチナの国家主義に関する包括的な書誌(本を探すための情報、すなわち著者名・書名・発行者・発行年など)を作成すること。パレスチナ研究へのアプローチが時代と共にどのように変化してきたかを探ると同時に、長年にわたる文献の成熟と集約の理解に努めた。


どうやって研究?

研究の手法としては、パレスチナの歴史について過去に書かれた記事や書籍、あらゆる文献を調査することから始まった。
他に2人の生徒と共に研究を行ったので、最初は時代別に分け、各々調査を進めた。週に2回のミーティング時に、それぞれが調査の進捗を報告し合い、新しい発見の共有や疑問点のディスカッションなどを行った。
また、それぞれ夏休み中で母国に帰省していたため、zoomを通してミーティングを行った。

ミーティングの様子。時差は3時間、9時間、13時間の場所からそれぞれ参加 :)

その後、特定の歴史的出来事に焦点を当てた。様々な文献を通して、違う角度から、同じ出来事の真実に迫っていった。
その具体的な内容について、以下にまとめていきます!


問題提起

私達が焦点を当てたのは、「オルメルト(当時のイスラエルの首相)とアッバース(当時のパレスチナの大統領)の秘密会談。」

オルメルトは2008年8月末、アッバースに包括的な和平案を提示した。その内容は、ヨルダン川西岸のほぼ94%を割譲し、イスラエルが維持するヨルダン川西岸の6.4%、イスラエルの入植地の多くの立ち退き、パレスチナ国家の連続性の維持、ヨルダン川西岸とガザ地区を結ぶ安全な通路の建設、その他多くの重要な点を約束した。これらの内容は、イスラエルがパレスチナに提案したものの中で、過去史上最も条件の良いものだった。にもかかわらず、8月の会談で、オルメルトはアッバースに最終提案と思われる地図を見せたが、アッバースはこの取引を拒否した。

ここでの問題提起は、「なぜ」だ。
なぜアッバースは申し出を拒否したのか、パレスチナ人がこれまでに受けた申し出の中で、最高のものであることは明らかなのに。


研究結果1

そこで私たちは真相を探るため、この出来事に関する文献を読み漁った。今回はその中で、大きく2つ紹介していきます!

タイムズ・オブ・イスラエル紙によると、アッバースはイスラエルのオルメルトからの提案を拒否した。なぜなら、アッバースは領土交換のアイデアを支持したにもかかわらず、オルメルトは提案した内容を記す地図を分析することを許さず、計画に同意するよう迫ったからだ。
また、象徴的な数のパレスチナ難民をイスラエルに受け入れるというオルメルトの申し出は、問題の解決にはならないとアッバースは感じていた。(なぜなら、パレスチナ難民の子孫は当時、数百万人にのぼり、その多くが地域を横断して散らばっていたからだ。)
さらにアッバースは、交渉を継続したが、オルメルトの法的問題が悪化するにつれて決裂したと述べた。オルメルトはその後、収賄と汚職の罪で有罪判決を受け、6年以上の禁固刑を言い渡された。

この記事から、オルメルトが権威によって和平プロセスを強要している印象を個人的に受けた。


研究結果2

エフード・オルメルト著「Searching Peace: A Memoir of Israel」によれば、パレスチナ政府側は唖然とし、困惑し、そして何よりも、オルメルト政府の和平へのアプローチが、それまでの全てといかに異なっているかを理解し始めたという。

「お金はあなたのものです」と私(オルメルト)は言った。アッバースが500人の囚人の釈放を要求したのに対し、私は900人の囚人を釈放すると言い、アッバースが5000万シェケルを要求したのに対し、私は1億米ドルを提供した。私は彼らの期待に応え、それを上回った。

Searching Peace: A Memoir of Israel

そして最後に、彼はこう締めくくった。

私は、永続的な隣人であるパレスチナ人との間に和平をもたらそうと、下心なく全力を尽くした。私がそうしたのは、時間が経つにつれて強くなった、他に選択肢はないという信念からだった。

Searching Peace: A Memoir of Israel

この著書では、オルメルトがアッバースに地図の分析を許さなかったことについて、全く触れられていない。また本書を読む限り、オルメルトとアッバースの関係に問題はなかったようだし、オルメルトはイスラエルとパレスチナ両国の和平のために、彼にとっての最大限の正しい行動を取ったと感じられた。


感動ポイント

同じ出来事でも、文献によってこんなにも見方・解釈が変わるのか!ということに心から感動した。この視点の違いに驚かされ、だからこそ、異なる角度からの文献を通して、自分なりの解釈をすることの大切さ・真実を見つけることの面白さを痛感した。
今まで本は知識のインプットとして享受していたが、研究を通して、本を比較し吟味することで得られる悦びも味わえるようになった。
この経験は、私の文学に対する姿勢を大きく変えてくれ、読書の新たな楽しさまで教えてくれたのだ。


研究発表会

大学で開催されたカンファレンスで、この研究内容を発表した。多くの学生や同窓生が、私たちの研究に興味を示してくれたのがとても嬉しかった。
そして何かを知ること・学ぶことの強力さを感じる良い機会となった。

研究発表の様子。楽しかったあ…<33


結局、何を学んだ?

まず第一に、学術研究に対する理解が大きく変わった。
この研究に参加するまでは、研究というと、理系分野が主流で、ラボ(科学や技術の分野での実験が行われる場所)での活動が連想された。
しかしこの考えは、固定概念に過ぎず、実体験を通して、研究に対するイメージが180度変わった。特に私が行った「共同」研究では、各々が文献を読み、チーム内で同じ事象について議論するので、毎度異なる視点を得ることができ、とても楽しかった。(自分の固定概念やバイアスが取り除かれて、より高い次元で物事を俯瞰できるようになる瞬間がとにかく気持ちいい!)
博士課程に進み、研究者になる選択肢も、自分の卒業後の進路として考えるようになりました☻


最後に

引き続き、楽しいこと・ワクワクすること、自分の心に抗わずに素直に生きることに忠実に、ここでの生活を送っていくつもりです。
そして、ここに来てやっと得られた「勉強楽しい!!」という感覚を大切に、日々好きなだけ学んでいきます!

▶ 英語バージョンはここから


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