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短編小説 『半分のわたし』


変わってしまった町、それともわたしが変わってしまったのか...
窓からの風景はいつもと同じなのに何が決定的に違ってしまって見える。

薄暗い部屋の中に横たわる薄っぺらな体の中で、夜の気配を含んだ見知らぬ感情が流れつづけていた。まるで開いた傷口から滴る新鮮な血が、子どもだったわたしを押し流して行くように。
ついさっきの出来事が、わたしをわたしから少しづつ確実に引き離して行く。引き剥がされた「わたし」は一体どこへ向かって行くのだろう。


「このバンドが好きなんだ、すっごく良いから聴いてみて。」

ハルカとは幼なじみで、いつも一緒に居た。ハルカは何に対してもはっきりとした自分を持っている。わたしは、いつも曖昧で自分の意思をうまく表現できないまま、ハルカに手を引かれるようにして大きくなってきた。
ぜんぜん似てないのにいつも姉妹と間違えられた。小さい時はお揃いの服を着たりしていたからなおさらだった。お揃いの私服は着なくなったけれど、同じ私立の中学校に通っている。女子校で規則がけっこう厳しいところ。わたしは平気だけど、ハルカには随分と窮屈みたい。その窮屈さがわたしたちの距離を少しだけ遠くしてしまった。

「ねえ、来週の金曜日にライブがあるんだけど、一緒に行かない?」
「このバンド?」
「もちろん、そう!ボーカルのヒロがカッコいいんだよ~」
弾けるような眩しい笑顔だった、それはずっと変わらない。
「うん、行く行く。連れて行って」
音楽は好みじゃなかったけれど、ハルカと一緒に出かけるのなら良いかなぁ... その、私の考え方も変わらないな。

「じゃあ決まりだね!来週の金曜日、約束ね。」

金曜日は塾がある日だけれど、親には内緒でサボる事にしよう。
ハルカは時々塾に来ないことがある。わたしの知らないハルカが少しづつ増えていた。

カバンに私服を忍ばせて学校に行くのも、塾をサボるのも、無断で出かけるのもみんな初めて。
昨夜から、小学校の運動会の前日の時みたいにドキドキしている。
知らん顔をして「行ってきます」と言ったことに後ろ髪を引かれながら、いつもの朝を歩く。

吸い込んだ空気が胸を締め付ける。

なぜか、いつもより授業は長くて退屈で、どうでも良いことのように感じた。引き伸ばされた時間を上の空でやり過ごして、校門を小さくジャンプして飛び越えて行く、その自分の姿が傾いた太陽の光と重なった。

「待った?」

振り返ると、見たことのないハルカがそこに居た。同じ年には見えない大人びた表情はお化粧のせいなのか、雑誌から抜け出して来たみたいな女の子がハルカだと理解するのに少し時間がかかった。
「えっ、なんか、別人みたい!」
「急ごう、きっともう並んでると思うから」
そういって、私の手を取って小走りで、改札を抜けて急行電車に飛び乗った。 

話しているといつもと同じなのに、知らない子と一緒にいるみたいで、なんだか落ち着かない。そんな私の心に気づいて、握った手を離さずに電車に揺られながら、たわいも無い話でくすくす笑い合った。

初めて来た街は、細い路地に沢山のお店が雑多に並んでいて、どこか違う国に来たみたいだった。駅前で見たことの無い打楽器を叩く髪の長い男の人、初めて嗅ぐ夜の街の匂い、たむろす人の塊。
見知らぬハルカに手を引かれて、人ごみをすり抜けて行く。

 

古いビルの地下に続く階段にはぎっしりと人が並んでいた。最後尾に並ぶ私たちの後ろにも、さらに人がやって来て外に溢れて行った。

中に入ると薄暗くて入口付近はタバコの匂いでむせ返るようだった。長髪で金髪の男の人や、派手なTシャツにボロボロのジーンズを履いた人、真っ赤な口紅を塗ったショートカットの女の人の腕には蝶の刺青が入っていた、思い思いの自己主張が突き刺さってくるようだった。フロアーにたどり着くと聞いたことの無いジャンルの音楽が低音を響かせて鳴っている、そこは独特な、きな臭い匂いがして、自分が場違いな世界に迷い込んでしまったように感じた。

知り合いなのか何人もの人がハルカに親しげに声をかけてくる。
「今日も可愛いじゃん」とか「ライブのあと飲みに行かない?」とか、なんだかちょっと嫌な感じ。
でも、ハルカは楽しそう笑っている。

「ドリンクをもらってくるからちょっと待っててね」

そう言って人混みに消えって行った。ハルカはなかなか戻って来なかった。所在なく一人で取り残されてぼんやりと立っていると、心細くて悲しくなって来た。

「ごめんね、友達に捕まっちゃって」
手にはプラスチックのカップに入ったオレンジジュースを2つ持っている。
カップの底で鮮やかな赤色が揺れていて綺麗だった。一口飲むと、甘ったるい薬みたいな味がした。
「これってお酒?」
「うん、テキーラサンライズ」

朝焼けの空の色なんだと妙に感心してしまったけれど、お酒なんだ、どうしよう…
「お酒はちょっとだけにしてもらったから大丈夫だよ」
いつもの笑顔でそう言われると、ついつい、まぁいいかと思ってしまう。

ワッと歓声が上がった。
ふわりと身体が空中に浮かんだような感じがした。お酒のせい?
演奏が始まった。ハルカが聴かせてくれたバンドだった。
軽快なリズムに乗せて、高い声で歌っている。歌はどこか音程が外れて聴こえた。
みんな音楽に合わせて体を揺らしている。
こんな大きな音で音楽を聴くのは初めてだった。うるさく感じる音楽に耳を塞ぎたくなる。
横を見るとハルカもリズムに合わせて、体を揺らしている。
わたしは、心の中で耳を塞いで、ただぼんやりとステージを眺めていた。
ただ突っ立ているのも、悪い気がして来たので、少しだけ体を揺らして聴いているふりをした。
時間が伸びたり縮んだりしているみたいで、自分がどこに居るのか分からなくなった。

会場から拍手が沸き起こった。その拍手で我に返っると演奏は終わっていた。
「今年のフジロックに出るんだって凄いよね」
音の振動がまだ体に残っていたけれど、どこが凄いのかは分からなかった。

また、何人かがハルカに話しかけてくる。わたしは辺りを見回して、時間をやり過ごした。
ステージでは、楽器を入れ替える為に人が慌ただしく動き回っていた。

フロアーの照明が落ちて、次のバンドが登場した。歓声がまた会場に沸き起こる。

ステージの上の3人が顔を見合わせて、頷くと、ドラムの音から演奏が始まった。

歪んだギターの音がどこか切なさを含んでゆったりと鳴り響く。
そして、透き通るような歌声が広がった。
歌声に絡みつくようにベースの音が空気を震わせる。
その瞬間、音が鳴っているのに会場が静まり返ったように感じた。
音は段々と熱を帯びて、うねるように唸りを上げるのに、まるで深い海の底に自分が居るようだった。
真っ直ぐに前を向いて、遠くを見つめるように歌う視線の先に風景が広がっているようで、私にもその風景がありありと見えた気がした。初めて感じる感情が体から溢れ出してフロアーを満たして行く。
その風景の中で音楽が高く低く、波間を漂うようにいつまでも鳴り響いていた。
風景の先の闇に吸い込まれるように音が止むと、しばらくの間をおいて拍手が遠くから聞こえて来た。

わたしは、ただ、呆然として身動きも出来ずに立ちつくしていた。

拍手を遮るように、ギターがリズムを刻み鋭い音が空間を切り裂いた。
ドラムの音が弾けた瞬間に、自分の中でも何かが弾け飛んだ。リズムに合わせて自然と体が宙に舞う。

何かが起きて、自分の体が音の一部になってしまった様に感じた。躍動がわたしそのものになった。
紡がれる言葉が心を突き刺さし、バラバラになった心がキラキラと空中に舞っている。

響く音を追いかけてひかりの粒子が凄いスピードで空中を飛び交う。わたしもその中に入りたいとジャンプを繰り返す。ひかりを捕まえようとして手を伸ばすと手の平をかすめてするりとすり抜けて行く。
わたしは音の渦の中で、すべてから解き放たれて自由だった。
ひかりを捕まえたと思った瞬間、深い響きを残して音楽は拍手に変わってしまった。

横を見るとハルカが嬉しそうに眩しい笑顔でこっちを見ていた。
なんだか、急に照れ臭くなったけれど、ハルカが私の手を握って、静かに始まったゆったりとした曲に合わせて二人で体を揺らして踊った。離れていた二人の距離はいつの間にか無くなっていた。音楽の魔法が二人をあるべき場所に連れて行ってくれる。シロツメグサで作った冠を二人で被った日や、水たまりを長靴で旅した午後、ノートに書き込んだ二人の秘密。全てが繋がってそこにあった。でもそれらは手の届かない遠い景色の中で風に舞っていた。

音楽がわたしたちをどこか遠く見知らぬ場所へと押し流して行く。時間は巻き戻ることなく物凄いスピードで世界を回転させていた。さっきまで知らなかった感情と躍動が身体の中で渦巻いている。
目を瞑ると、二つに引き裂かれて行くわたしの姿が見えた。こどものわたしと、変わり行くわたし、そのどちらのわたしも愛おしいく思えた。  

音楽の海の中で、わたしもハルカも引き裂かれ押し流されて行く自分たちをただ静かに眺めていた。
私たちはもうどこへも戻ることはできない気がする。でもそれで良いと思えた。変わって行くわたしたちを受け入れて行くしかないのだろう。季節が移り変わって行くように、音楽が流れて行くように。

ただ、繋いだ手の温かさだけが確かなものに思えた。



短編小説『半分のわたし』のサウンド・トラックをイメージして作ったプレイリストです。
よかったら、読んだあとに聴いてみてね◎



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