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進撃の巨人(壁の中の人間)

進撃の巨人の冒頭にアルミンが言う強烈なセリフがある。

「100年壁が壊されなかったからといって今日壊されない保証なんて何処にもないのに」

進撃の巨人

この言葉は、この物語を見るものに対する著者の強烈な皮肉なのではないかといつも思わされる。

現代に生きる私たちは、今まさにこの状態。

今までが何もなかったから、これから先も特に何もなく穏やかに暮らしていけるだろうといった安易な気持ちで日々、大人たちは特にこれといった緊張感を持つ事もなく生きている。

このアルミンの言葉を聞くたびに、これと似たような事を言うエレンの言葉を聞くたびに、私は自分の心がえぐられる。

彼らの言う様に、今日という日が明日も同じようにやってくるはずなどない。でも、私たちは明日も今日と同じ日がやってくるとそう信じて疑わない。

だから、何の準備もせず、何の危機感も持たずに恐ろしいほどの平和ボケをしながら生きている。

そして生きている事がつまらないだの、生きている事が楽しくないだの言って、自分に与えられたこの命を軽視し、そして自分にこれでもかというくらいに自己陶酔して生きている。

こんな私たちをあの進撃の巨人に出てきた彼らが目の当たりにしたら、何と言うだろうか?そんな事を想像してしまった。

この物語に出てくる状況は、まさに今の私たちを象徴している様に私には感じられる。

もうこの喉元まで色々な意味で危機が迫ってきている。けれど、私たちは、この危機と何も向き合おうとしない。

何も向き合う必要がない何処までも幸せな世界が、無限の彼方に続いている。

何も見たくないと思えば、私たちは自分の中にあるどんな感情とも向き合わ会わずに、誰とも関係を構築せずとも生きていける。

そんな世界を今この世界は必死になって整備している。

そして、その綺麗に整理され、秩序化されたこの世界の中で、私たちはある種、飼われているのと同じだ。

平和という枠を作られて、その中で、何も知らずに自分の事だけ考えて生きている。これが今の私たち。

もっともっと色々な事を考えなければいけない。でも、私たちはその何も考えようとしない。考える幅を極力小さく削られている。そんな気がしてならない。

皆、考えるのは自分の事だけ。他人の事より、この外の世界の事よりも自分の事だけ。他人がどうにもならないほどにその心を痛めていても、多くの人は、その心に寄り添おうともしない。

大事なのは、自分の顔と体裁。

こうした状況に進撃の巨人を書いた著者は何か痛烈なメッセージを投げかけているそんな気がした。

エレンは、物語の冒頭で、街の中で飲んだくれるハンネスとその仲間に何の危機感も持たずに、生きる大人たちに対して強烈な嫌悪感を示している。

自分達が壁の内側で何故、暮らしているのか?何故、そこに壁があるのか?アレンやアルミンは、誰よりもこうした事に対して意識的に考えていたのではないかと考えたりする。

彼らは日常生活の中で常に壁の存在を意識していた。でも、そこに住む大人たちにとって、壁というものはさほど重要なものではなかった。

エレンやアルミンにとっては壁が、自分たちの自由を奪うものとして認識されているのに対して、そこにいる大人たちの認識は、壁があるから自分たちの自由は守られているという考えだ。

これだけを見ても、子供の持つ視点と大人の持つ視点は全く別のものであるという事がわかる。

子供は、壁を自分の自由を制限するものだ!とそう認識しているのに対して、大人たちは、壁を自分達を守るものとして認識している。

だから、大人は壁がある事に安住して、自分たちのすべきことをおろそかにしている。つまり、壁がある事にすっかり気をよくしているという事になる。
 
でも、アレンやアルミンの考えはこれらとは全く違う。

彼らは壁が何故建てられているのか?という事を常に考える。だから、彼らの中には常に恐怖と、不安が渦巻いている。子の恐怖と不安が物語の冒頭シーンでのハーネスさんに対する強い嫌悪感として描かれているのではないかと私は思った。

本来子供を守るべきものとして、機能すべき大人が全くもって機能していない。エレンはこうした事にいち早く気付いていたきがする。

だから、大人を何も信じてはいない。彼には信じられる大人がいない。

もし、彼に信じられる大人がいたとするなら、幼い頃、心から信じられる大人がいたのなら、もう少し、彼の人生における選択は違ったものになっていたのではないかと考えたりする。

腐りきった大人社会で生きていく子供がいかにその心にどうにもならない苦悩を抱えながら生きていくか?それがこれでもか?と言われるほどに鮮明に描かれて行くその様は、ただただ圧巻としか言えない。

この様なマンガをこの作者に描かせてしまったその背景を考えた時、それは一人の人間を見るものとして、深く考えさせられる所がある。

多くの人は、この漫画を素晴らしいものだと賞讃する。でも、こうした物語を単なる素晴らしいエンターテイメントだ!で終わらせてしまっていいのだろうか?と私は考えてしまう。

こうした物語が世の中に出てしまった事、こうした凄まじい内容のものを一人の人間に書かせてしまったその強烈な狂気性を想像した時、この歪み切った社会に、そして平和ボケして、その骨の髄まで腐りきった大人たちに対して、私もエレン同様、強烈な怒りしかない。

この物語に触れる時、私はいつも思う。私の中にも、エレンと全く同じ凄まじき狂暴性があると・・・。

この物語は、誰の中にもどうにもならない悪なる部分があるという事を教えてくれる。私はこの物語に触れる度に、人間の中にあるどうにもならない悪なる部分があるという事を強烈に痛感させられる。

そして、綺麗に秩序だったこの自分が、あのようなおぞましい悪なる部分を内包しているという事を実感するたびに、自分が人間であるという事をたまに心の底から放棄したくなる時がある。

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