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井の中の蛙大海を知らず (じいちゃんが私に教えてくれた事#10)

ニュースを見ていると、どこもかしこも人だらけ。これでGo To使えるのは最後かもしれないから、何処でもいいから一度くらいは行っとかないと損と言わんばかりに、どこもかしこも人で溢れている。

私のじいちゃんが、こうした状況を見て一言。

日本人ってのは、本当に自分てものがない。自分を軸に生きている人がいかに少ないかがよくわかる。

自分を軸に生きていない。つまりは、自分で自分自身に喜びをもたらす事が出来ない。いつでも、何処かや、誰か、そして何かによって幸せを与えてもらわないと生きていられない人ばかりだ。自分で自分を幸せにする術を今の人間というのは、何も知らないのか?

そう言ってじいちゃんは私の顔を見てぼやいた。

自分を軸に生きていないってどういう事?と私が聞くと、じいちゃんは私に、何もかも自分の外にあるものによって自分を満たそうとしているという事だ!とそう言った。

自分を軸に生きていないから、外の世界の情勢が変われば、いつどこに誰といようが、何をしていようが、その外の情勢によって、いちいちこういう人間は振り回される。彼らは、自分で行きたいところを探して、自分の泊まりたい宿を探して、それで旅を満喫しているとそう思っているのだろうが、実際は違うとじいちゃんははなしてくれた。

えっ!違うの?という私にじいちゃんは、彼らは、社会のいい様に動かされているいわば中間層の人間だ!とそう言った。何でもかんでも、自分で意志し、決定している様に思わされているだけで、実際はもっと大きな社会というものに、その全てをコントロールされているのだと。

彼らは、何をするにも無目的だとじいちゃんは言う。彼らは、そもそもどこかに行きたかったわけではない。Go Toで安くなるから、Eatで安く食べられるから出かけていくのであり、それは自分の意思ではない。そう言うのは、社会に操作された意思なんだとじいちゃんは教えてくれた。

元々、何処かに旅行の計画があって、たまたまGo Toをやっていたから使ったというのと、Go Toやっているから、とりあえずどこかに行こう!というのとではまるで趣が違うとそうじいちゃんはいう。

このGo Toで動いている全てがとは言わないが、おそらくその大半が、この社会に操作された意思によって動いている事は明白だ!とじいちゃんは言う。

何をするにも、人間というのは得だ!と言われると、それに盲目的に飛びつく。そして、社会の思うがままに行動する。社会というのは、私たちの多様な行動を引き出そうと、色々なサービスを仕掛けてくる。この様々なサービスに得した気になって引っかかるのが、いわゆる中間層だという。

彼らは、お金が何もない訳じゃない。そこまで貧乏ではない。だからと言って、ものすごくたくさんのお金を持っていて何でも自由に出来る身分にもない。でも、とりあえずのお金だけはある。こういったお金を持つ中間層は、この社会の実に良い餌食なのだとじいちゃんは言う。

池の中に釣り糸を垂らせば、この中間層の人間というのは、皆我先にとこの糸の先にある餌に食いつく。糸を池の中に垂らすだけで、何もせずとも、こちらが竿に何らかのアクションをかけずとも、中間層の人間は、向こうから勝手に食いついてくる。彼らは、何も考えていない。目先の事しか考えていない。

彼らはただ釣り糸のさきにくっついた餌を食いたいのであり、何故、その餌を自分がそこまでして食いたいのか?を特に思慮せずに食いつく。

今のこの状況とはまさに入れ食い状態。あるサービスを国が私たちに提供すれば、そのサービスを皆欲しがって、そこに飛びつく。わんさか食いつく。

じいちゃんは言う。日本人でもっと賢い奴はいないのか?もっと面白い奴はいないのか?と。

魚釣りもそうだが、入れ食い状態で釣れる魚は、最初は釣っていて確かに沢山釣れれば、楽しいかも知れない。でも、その内、いつ糸を垂らしても釣れると思うとそんな魚には人は見向きもしなくなる。

魚釣りをしていると思う事らしいが、いつでもすぐに釣れてしまう魚になど何も魅力がないのだという。糸を垂らしても、全然食いついてこない。そうなると、そこから釣りというのは、釣り糸を垂らす人間と、それをどうやって餌だけを取って食おうか?という魚との心理戦になるらしい。それが、じいちゃん曰く釣りの面白さらしいのだ。

入れ食いで、何の意思も持たない魚になど何の興味もない。人間が、自分を吊り上げようとしているのがわかって、そこから上手く身をかわし、更には、その人間の垂らす糸の先についている餌を魚の持つ知恵で奪い取ってやろう!という魚こそ、共に対峙していて面白い相手なんだとじいちゃんは言う。

これを人間に例えるなら、今政府肝入りのGo toというサービスにしきりに食いついているものは、人間として何の魅力もないという事だった。

与えられたものを判別する事もなく、ただ与えられれば、アホみたいにそれに盲目的に食らいつく。それが、自分にとって本当に必要かどうなのか?も考えずに、いらないものを買い、そんなに食べたいと思わないものを食べ、そして、本当に行きたいところでもない所にお得だ!お得だ!と言って旅行に出かけていく。そして、彼らが日々口にするのは、お金がないという事だ。

彼らを見ていると、本当に哀れな気持ちになる。国が与えるものを何でもかんでも貪り食い、そして自分の所得のなさを嘆く。でも、よく考えてみて欲しいとじいちゃんは言う。本当に自分に所得がないのか?

私たちはじいちゃんの考えからすると、意外に無駄なものを沢山抱えているらしい。やれ、バーゲンだ!セールだ!というたびに、私たちは、無目的に街に繰り出し、そしてそこで不要にお金を使う。お金を使うという事を殆ど無意識的に行っている。

お金というのは、とても大切なもので、もっと考えてお金というのは使わないといけないとじいちゃんに言われた。買って、そっちの方に投げ捨てておくようなものなら最初から買わなくてもいいと。

何でもそうだが、行動する前に、その行動を誘発しているその原因をしっかりと考える事が大切だとそうじいちゃんは私に教えてくれた。安いからとか、得だからとかで動かされるのではなく、つまり自分以外の他者の力に依って行動を誘発されるのではなく、自分の意思で自分の行動を決められる様にならないと私たちはいつまでも、この社会の奴隷だ!とそうじいちゃんは言う。

毎日、毎日、社会に翻弄されて、社会のいい様に、思うがままにその餌食になって生きている私からすると、本当に耳の痛い話だった。

私も入れ食い状態の魚ではなく、人間と心理戦を出来るくらいの魚になりたい。そうならなければ、いくらたっても私というものにそれなりの価値など付くはずもない。

いつもながら、じいちゃんの話にはいつも何も言えない。

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