天使

昨日の友は今日の敵

昨日の友は今日の敵。これは、今まで親しかったものが、敵対してくる様になる事のたとえ。人の心は変わりやすく、人が集まったり離れたりするのは、あてにならないということ。

毎日、毎日いろいろな人の話す事を聞いていると、私たちが持っている人に対する評価なんてものは、全くもってあてにならないものだとそう感じてしまう。

今の今まで、かわいいかわいいとそう言っていたものも、そのものが何か自分に不都合な事を言ったり、したりすれば、その人の評価は一気に逆転し、これまでかわいくて、いい子だと言われていたものが、一気に全くかわいげのない悪い子になってしまう。人の他人に対する評価なんてそんなもんだ。

皆、自分にとって、その相手が都合よくある時だけ、その人の事を評価する。その人が今の自分にとって都合が悪くなれば、それまでその人との間にどのような関係性があろうとも、そんな事は一切何も考慮する事無く、その人に対して低評価を下す。

これまで自分にとって特別だったものが、一気に最低のものになってしまう。そんな人間を見ていると、なんだかどっと疲れてしまう。

あんなにほめていたのに、あんなにいい子だ!!とそういって大切にしていたのに、それが何故、ほんの少しの事でがらりとかわってしまうのか?そこにあったこれまでの関係性は一体どこへ行ってしまったんだ?とそう思ってしまう。

結局、そういった人たちはその人の事を本当は何も評価などしてはいなかったんだとそう思う。ただ、その時、自分にとって都合が良かった。だから、その人を単にいい人だ!とそう言っていたに過ぎない。

私たち人間というのは、自分の中にある本質的な部分など何も見てはいないのだろう。本当に表面的な事しか見ていなくて、その表面的で薄っぺらい部分でただゆるーくつながった振りをしているだけ。

私たちというのは、何かをしっかりとその目で見て捉えている様で、何もしっかりと見てはいないし、捉える事も出来ていない。だから、何かがあると、その評価がコロコロと変わる。本質的な部分で他との間に何の関係性も築けていない。

何もかも振り。つながった振りをして、わかり合った振りをして、そして愛し合った振りをして。いったい何なんだろう?とそう思う。

本当に繋がっているとするなら、何かがあったとしても、その相手を尊重し、その相手に対する評価をコロコロと変えたりはしないと思う。その相手の事をよく理解した上で、自分の主観的な思いはとりあえずおいておいて、その相手の話に耳を傾け、そして、出来るだけ、そこに理解を示そうとそう努力する事が出来るはずだ。でも、世間を見ていると、そんな事が出来る人はほとんどいない。

皆、何か自分に都合が悪くなると、それまでの関係性などまるでなかったかのように相手を批判しだして、ものすごい勢いで、その他を排除しようとする。その他を悪魔のようにして、そのものに何の理解も示そうとしない。

これまで仲良くしてきて、それなりにその人の人となりもわかっているはず。なのに、そういったものは何もなかったかのように相手を批判し始める。

人間というのはとても不思議なもの。自分に都合が悪くなれば、それは皆、悪魔になる。



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