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親の為に子は笑い、そして自分を失う

親の為に私たちは笑う。特に何もおかしくもない事でも、愛想よく笑顔を振りまく。

何も嬉しくない。何も楽しくもない。でも、一生懸命笑って、面白いという振りをする。何故、そんな事をするのか?と言われれば、親がそうした事を私たちに強要するからだ。

自分のしたことを認めて欲しい親は、いちいち自分のしたことに対して私たちから、ポジティブな反応をもらおうとする。

何も面白くないし、楽しくもない。でも、それが自分の親が計画、発案した事である場合、その全てに私たちはポジティブな反応を求められる。

親が何かしたことに対して、薄い反応をしたり、何かネガティブな反応をすれば、親はそうした私たちに対して怒りを露わにする。

私はあなたの為に時間を割いて~をしてあげたのに、それなのに、あなたは何の感謝も親である私に持たないとそういう。

私たちの立場からすれば、~してもらう事を私たちは何も頼んではいない。ただ~したのは、親が~したかったから、そうしたに過ぎない。でも、私たちの親というのは、自分の取るその行動の全ての理由を何でもかんでも私たち子に持たせようとする。

自分が~したくてしたくせに、その理由を自分に求めずに、全て子のせいにする。私たちは別に~してもらう事を望んでなんかいない。何もかも自分がしたくてしているのに、何でもかんでも私たち子のせいにする親。

あなたの為、あなたの為、というその言葉が、私たちの心をどれほど蝕むものであるのか?それを親は何も知らない。

私はこれを自分がしたくてしたんだ!!と何故、親は正直に言わないのだろうか?何故、自分のした行動の理由を自分に求めずに、子に求めるのだろう?

何故、自分で自分のしたことの責任を持つ事無く、何でもかんでも、子のせいにするのだろう?

何もかもその小さな子供の背に乗せて、親は自分に都合の悪い事のその全てを回避しようとする。子供に、重い荷物を背負わせて、それで親は満足なのだろうか?何もかも、その全てを子の責任にして、それで、自分は何ともない顔をしている。そんな事をしてどうして、自分は子供を愛していますなんてことが言えるのか?はなはだ疑問だ。

親というのは、何でもかんでも、あなたが、あなたがとそう言い、何でもかんでも子供のせいにする。あたかもその全ては子に責任がある様に言う。

あなたが、あなたがとそういい、何もかも子供のせいにして、その子供を批判し、そして潰していく。それで、一体子供とどう良好な関係が築けるのだろうか?

子供というのは、親が吐き出したそのゴミの様な感情の掃き溜めに日々されている。

何もかもあなたが悪い!と言って、そう言って親は何でもかんでも子供のせいにする。そうやって、自分が受け取らなければいけないその問題をあたかも子供が持っている問題であるかの様にすり替える。

親というのは、何もかもその全てを自分の判断と責任においてしてきたのではないだろうか?だったら、その全てで、そこにあるその全てを自分の責任として受け止めたらどうだ!と言いたくなる。

何かがあれば、その何もかもその全てを子供のせいにするのではなく、自分のせいにするそうした心の強さを持ってみろ!と言いたくなる。

何もかも全て承知で今というこの現実を大人は作っている。それでいいと思って、何もかもをしている。だったら、そこで、どんな問題が起ころうと、それを自分の責任として受け止める事が出来るのが真の大人というものだろう?

何もかも自分でそれでいいと思って選択し、決定してきた。ならば、そうした事によって生じるありとあらゆる事の全ての責任と覚悟を持つべきなのではないだろうか?

何もかもその全てを自由に自分で選んで、決める事の出来るこのゆるい世界に私たちは生きている。

何もかも全て自由に、何の制限もなく、今のところは自分の好きな様にありとあらゆるものを選択し、そして決定する事が出来る。そうした世界の中にありながら、私たちはまだその口から不平不満を漏らす。

今のその自分は、皆その自分の選択と決定によって出来たものであり、そのあなたを囲む環境も、全てあなたの選択と意思によって決定付けられ、今そこにあるという事。

今自分の置かれている状況に皆あれこれ、文句を言うけれど、それが嫌だったら、単にそうした選択と意思決定をしなければよかったという事だけの事。

~したけれど、上手くいかなかった。だから、その上手くいかなかった部分を親は子に補償させる。

自分でこうすると決めて、それが上手くいかなければ、その上手くいかないその理由を全て子供に求める。何でもかんでも子のせいにする。

こうした親を見ていると、覚悟を持って自分というものを選択し、そして決定してきたのではないのか?とそう言いたくなる。

何もかも最終的には、自分の責任で成してきた事。それを子のせいにするのはナンセンス。そうした事を日々自分の子に対してしながら、親は平気で、我が子の幸せを願っているとそういう。親のする事と、言う事の間にはすさまじい解離がある。それに、何の一貫性もない。何もかも私たちのせいにして、それで、何処までもその私たちの心を傷付けておいて、幸せになれとそういう。

親という存在は、一体何処まで子の心を追い込み、蝕んだら気が済むのだろうか?

何もかも子のせいにして、自分が背負うべき十字架を子に背負わせておいて、それで一体どうやって幸せになれなんて言えるのだろうか?どうしたら、そんな事が平気で口走れるのだろうか?


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