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天国への入り口を見つけられない私たち

物質なんてものに依存しているから、そんなものに自分の心を補償してもらおうとするから、私たちは、おかしくなっていく。

本当は何も自分の心など補償などしてはくれない。物質はただその時、一時的に私たちの心を満たしたような気にさせるだけ。

物質は私たちの心を永遠に満たしてくれる訳じゃない。

なのにどうして私たちは物質に依存するんだろう?物質を日々狂った様に追い求めて街をさまよい歩くのだろう?

ものが欲しくてものがほしくてたまらない。だから、意味もなく私たちは町に繰り出し、意味もなく歩き回る。

何か大切な物を失くしてしまった亡霊の様に私たちは町をさまよい歩く。

それが見つからなければ、昇天出来ない亡霊の様に、私たちはこの地上をさまよい歩く。一日中必死になって街をさまよい歩く。そしてこれだ!と思うものを手にして自宅に帰る。

そしてその自分が手にしたものをそっと家で開いてみる。天国への入り口を開いてみる。

すると、不思議な事にそれはもう生命を失ったような姿になっている。昼間見た時はいきいきとしていた、だからそれがとっても美しく見えて魅力的に見えた。でも、家に帰ってきてそっとそのものを開いてみれば、それはもはや何も美しくなどない。何も魅力的ではない。それを手にしてこう思う。

どうしてこんなものを買ってきてしまったんだろう?そう思うと同時にこの心が一気に空しくなる。これでやっと天国に入る事が出来るとそう思ったのに、その思いが一気に断たれてしまう。

昇天したくて、天国に入りたくて、必死になってあるものを求めた。でも、その自分が求めたものはいくらこの地上を這いずり回っても見つからない。

私たちは今日も亡霊の様にこの町をさまよい歩く。そうやって、必死になって何処かに自分を探してる。

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