ヨルシカの月に吠えるについて考えたこと

ヨルシカ『月に吠える』の、歌詞とMVについて考察したことです。

月に吠える=月にホエール(鯨) とすると『いさな』に繋がります。
「日光が、月明かりのように海中へと挿して」とエルマの日記にあります。
「僕らは鯨だ」と思うエイミーが、月に吠えたのかなと。


「気が付けば人溜まり」は、人黙りに掛けてる気がしました。
獣が吠えて、人は黙るのかなと。

「月に吠えるように歌えば嗚呼、鮮やかに」は
鮮やかに=鮮や蟹=魚や羊や蟹
と取れます。
「獣の振りをする」とあるので、
月に吠えるように歌う事で動物(魚や羊や蟹)になったのかなと。


「青白い路傍の月」は、湖に映った月、湖月と思えます。

MVで影は獣になります。
「誰にも見えていないのか この醜い獣」は、
誰もが己自身の醜い影、醜い心に気付いてないって意味かなと。
醜い=見にくい と取れます。

「顔の無いまま動く」は影のことかなと。影には顔が無いので。

「波止場のあの影」で「おれ」を見ているのは、水面に映った「おれ」自身な気がします。

一番では人溜まりがこの顔を見ていて、
二番では水溜まり(湖の波止場)から、顔の無い何かが見ていると。


「まだ世界を犯し足りないの」は、お菓子足りないのかなと。
「頭蓋を砕いて温いスープで満たしてほしいの」から、脳が栄養(スープ)を欲していると取れます。
糖分は脳が喜ぶ栄養だから、お菓子、という。


「喉笛の奥に住まう獣」から、
『パレード』の「身体の奥 喉の真下 心があるとするなら君はそこなんだろうから」を連想します。

喉笛の奥に獣が住む=獣が取り憑く
と思うと、
月=つき=憑き でもある気がします。

MV16秒の月の入ったビンを飲む通行人たちと、
MV22秒の青い宝石のような垂れ下がった物から、
『噓月』の「月光を呑んでる」「涙が宝石で出来てた」を連想しました。

「お前の想うが儘に」でMVの男は月を布で覆います。
お前の毛布が儘に、ってことかなと。
月を盗んだのかもしれません。

「路傍の月」は、泥棒の月とも取れます。
路傍ろぼう泥棒どろぼうの語呂が似ていて、MVが怪盗っぽいので。
「嘘つきは泥棒の始まり」だから、嘘月から泥棒月になったのかなと思いました。


月に吠えるの「この世界はお前の想うが儘に」は、藤原道長の「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」オマージュでもある気がします。
「月に吠えるように歌えば」=月についての短歌を詠めば という。

以上です。