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[月記]23年12月 投資

2024年から新NISAが始まる。投資の勉強をしていると、投資で成功するのに必要な要素はどこまでも論理的な姿勢なのだとつくづく思う。お金持ちになれるかどうかは資本主義というルールの下で資産という「数字」をできるだけ大きくするゲームだと言えるので、完璧を突き詰めれば突き詰めるほど感情を差し挟む余地は無くなっていく。クッキークリッカーRTA走者は闇雲にボタンを押すというプレイングを行わない、と言えば伝わりやすいだろうか。

投資が難しいのは、この「数字」が我々の人生にあまりにも直結する数字だからだろう。莫大な富の力は我々から容易く判断力を失わせる。論理的に期待値を計算してやれば (というより、ちょっとスマホで調べてやれば) 競馬・パチンコ・宝くじを始めとした胴元が存在する任意のギャンブルの期待値は1を切っていることなど明らかなのに、我々の「お金が欲しい」という強い気持ちはしばしばその事実を我々の頭から消し去ってしまう。

お金持ちになりたいなら「早く」お金を稼ぎたいという思考は捨てなければならない。投資においてお金を稼ぐという行為は常にお金を失う可能性と表裏一体になっていて、よほどの豪運の持ち主でない限り、最終的な収支を大きくプラスにするためにはこの「お金を失う可能性」をできるだけ最小限にしつづける必要がある。ただしこの方法でお金を稼ぐ場合、少なからぬ時間がかかるという難点がある。
だから目標は「ゆっくり」お金を稼ぎたい、であるべきなのだ。そうすれば誰だって、ほとんど確実にお金持ちになれる。投資において「急がば回れ」は真だ。「新NISAで投資信託を買って"長期投資"をしよう」とはそういう意味である。

巷では投資に関する様々な議論が渦巻いていて、何を信じて良いのかわからないという人がいる。「信じる」という表現を使うのは自分の頭で考えていないと告白しているようなものだ。正しく論理を突き詰めていけば何がベターな選択かは1つに絞られるのに、その過程を省略して結論だけを得ようとしているから「信じる」しかできなくなっているのだろう。これでは一等賞になる馬を当てようとしているのと本質的には変わらない。せっかく投資を始めたつもりでいるのに、生半可な姿勢のせいで投資ではなくギャンブルをやってしまっている人がいるというのはけっこう皮肉な状況だと思う。

新NISAの戦略を練るにあたって、私が導き出した結論を備忘録として簡単に以下に記しておこうと思う。
ただしこれはあくまで「私にとっての最適解」なのであって「あなたにとっての最適解」かどうか、私は知らない。何故ならあなたの目標や境遇や考え方を私は全く知らないからだ。だから答えはやはり自分の頭で考えるしかない。


◆ 米国株 VS. 全世界株

どちらか一方のインデックス投資を他人に薦めるなら、全世界株一択だ。理論的にはこちらが最適解になるからだ。株式を時価総額加重平均で持つことはシャープレシオの観点から理に適っている。現代ポートフォリオ理論そのものが理想だと主張する状態は「"有リスク資産"全体を時価総額加重平均で持つこと (=ポートフォリオを資本市場線上に載せておくこと)」であるが、その対象を株式に限定した場合でもある程度は近似できるのではないかと思われる。もちろん金や債券を持てるならば持つに越したことは無い。しかし有リスク資産全体を時価総額加重平均で持てるような投資信託は現在は存在していないはずなので、自分でリバランスする必要が出てくる。現実的には難しい選択になるだろう。
米国株は現在、理論値を悠々と越えた圧倒的な結果を見せつけている。しかしこれは今たまたまそうなっているだけで、論理に裏付けされたものというわけではない。アメリカが凋落しようがしまいが関係無く長期的に保持しつづけられるのはやはり、いかなるときも最適解になり得る全世界株の方だろう。

◆ 一括投資 VS. 分散投資

これも理論的には一括投資が良い。一般的なサラリーマン (私を含む) が毎月の給料から少しずつ積み立てを行っているのは、ドルコスト平均法という戦略を積極的に採用しているからというよりも「余剰資金が発生した段階で全て市場に投入している」と考えた方が正確だ。つまり私たちは普段から分散投資をしているようで実は一括投資をしているのだ。そしてその戦略は正しい。「株式は長期的には右肩上がりになる」という前提に立っている限りは、余剰資金は少しでも長く市場に投入しておくべきだからだ。市場に投入した直後に暴落するとしても、前述の前提が正しければトータルではプラスになるのだし、ドルコスト平均法を採用したからといって暴落による資産の含み損を回避できるわけではない。むしろ機会損失による損の方が大きいと思われる。
ただし、これは論理的に突き詰めたらこうなるという話であって、心理的にはかなり逆説的な現象には違いないので、理屈がよくわからないのであれば分割投資をしても良いのではないかという気がする。もちろん、部分的に一括で、残りは分散という段階的な戦略を取ることもできるだろう。

◆ NISA VS. iDeco

新NISAにいくら投資するという以前に、そもそも新NISAよりもiDecoの方が良いのではないかという話や、あるいはその逆の話をしばしば耳にする。これは利用者の年齢と余剰資金の多寡によるため、一概にどちらか一方を優先させるべきだとは言えない。語弊を恐れずに言えば、税金支払いの長期的な繰り延べが可能なiDecoの方が運用効率の観点では各段に優れている。ただし余剰資金の全額を長期間に渡って拘束させるとなると、有事が発生した際に人生が詰んでしまうリスクがある。利用者が60歳に近ければこのリスクは低減されるためiDecoに比重を多くかけても良いのかもしれないし、それでも余剰資金がほとんど無いとなればやはりNISAを優先するべきだとも言える。ケースバイケースだ。
つまり、方針としては「ある一定額まではNISAを優先させ、一定額を越えた分についてはiDecoを優先、iDecoが満額になれば再びNISAを活用する」ということになるだろうか。たとえば、月額2万円の積み立てなら、NISA一択。月額6万円なら、ある程度はiDecoにも投じる。月額10万円なら、iDecoに満額かけた上で残りをNISAに任せる。というようなイメージだ。

◆ 若いうちの100万円 VS. 老後の100万円

色々と書いてきたが、そもそも若いうちに使うお金の方が価値があるという考え方もある。そういう人は資産形成をしないで良い……とはあまりに極論で、少しだけでも投資をすれば良いのではないかと私は思う。手元に100万円あれば95万円を使って5万円だけ投資に回すということもできるはずだ。たしかに投資の結果というのは不確実かもしれないが「老後がやってくる」「生きるのにはお金がかかる」「お金の無い人間は困る」という事実はそれよりももっと確実な出来事だ。手元の100万円を全て使うことが最適解になる人は、医者から余命宣告を受けた者、自殺を計画している者、近いうちに終末または貨幣経済の崩壊がやって来ると信じている者、そして長期記憶と己に対する責任感の両方を持たぬ者に限られる。
投資に限ったことでもないのだが、物事をゼロか百かで考える癖を持たない方が人は幸せになれる。トービンの分離定理が主張するみたいに、もっとも大事なのはきっとバランスで、そこを自分好みにチューニングしていく作業こそが実は面白いところでもあるのではないだろうか。

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