鎧男とニットの少女

夕暮れ時、灰色の雪山を、山頂のおばあちゃんの家を目指して歩いている女の子がいた。
チラチラと降る雪は冷たく、お母さんに作ってもらったニットの手袋と帽子をしっかりと被って、ひょいひょいっと楽しげに雪の積もった山道を歩いていた。

しゃりしゃり ずぼっ
しゃりしゃり ずぼずぼ

雪は、真っ白のコートにも積もっている。
女の子は、これまたお母さんの手編みのマフラーを深々と首に巻きつけ、こぼれたほっぺを真っ赤にしながら、雪の上を軽快に歩いていた。

しばらくすると、山道の脇の方を動く黒い影を見つけた。

がしゃん がしゃん

金属の擦れる重たい音。
薄汚れて錆付いた灰色の鎧を身につけ、膝まで雪に埋もれて真っ直ぐ山を登っていく大男の影だった。

女の子は、近くの山道から声を掛けた。

「どうしてそんなところを歩いているの?こっちの方が雪が浅くて楽だよ?」

男は、足を止めると重たい兜の隙間から何とか顔をだして、のっそりと女の子の方を向いた。
不思議そうに女の子を見つめながら、男は低い声で答えた。

「ただ、真っ直ぐ山を登っているだけだ」

男は、再び膝まで雪に差込みながら、真っ白い雪原を登っていく。
そんな進み方なのに、なぜか女の子と同じくらい速い。
白い息を吐き、肩で息をする度に、鎧は重たい金属音を山に響かせた。

女の子は、もう一度男に話しかけた。

「どうしてそんな重そうな鎧を着てるの?歩きづらいんじゃない?」

男は、足を止めると再び兜の隙間から顔をだして、のっそりと女の子の方を向いた。
面倒くさそうに男は答えた。

「物心付いたときからこの鎧を着ているんだ。理由なんかないし、他に着るものも持っていない」

男は、そういうと再び雪深い山を真っ直ぐに登っていった。
そして、やはり、女の子と同じくらいの速度で登っていく。

しゃりしゃり がしゃん
ずぼっ    がしゃん
しゃりしゃり がしゃん
ずぼずぼ   がしゃん

女の子は、一人で黙っているのがつまらなくなってしまった。
話し相手が欲しくなり、もう一度男に声を掛けた。

「どこに向かっているの?私は、山の上のおばあちゃんの家。お母さんからお薬を届けるように頼まれたの。でも、おばあちゃんのお家にいくと、いつも美味しいスープとお菓子が食べられるから、おばあちゃんのお家に行くの大好きなんだ。」

女の子は、真っ赤なほっぺをパンパンに張って嬉しそうに笑った。
男は、歩きながら女の子の笑顔を冷え切った鎧の隙間から横目で見た。
女の子がニコニコしながら男の方を向いた。目が合った。
男は、とっさに目をそらし、山の頂に視線を戻した。

「ねえねえ、どこに向かっているの?」

「どこでもない。ただ、真っ直ぐ歩いているだけだから」

男は、当たり前のように言った。

女の子は、それを聞いて、閃いたように明るい声で男に提案した。

「それなら、一緒におばあちゃんのお家に行こう?スープとお菓子が美味しいんだから。食べさせてあげる。」

男は、その言葉を聞いて足が止まった。
不思議そうに、女の子を見る。

女の子は、手招きをしながら大きな声で言った。

「私、こっちの道しか知らないから、こっちに来て。」

男は、鳩が豆鉄砲を食ったように目を丸くしながらしばらく考えた。
その後、男は、のっそり体を動かし少女の方に向かい歩いていった。

がしゃん がしゃん
がしゃん がしゃん

男が山道へあがろうとすると、雪が深く女の子の歩く山道に上がれない。
なんどか試すが、足がこれ以上上がらない。

女の子は、男の手握り、思いっきり男を引っ張り上げた。

がしゃんっ がしゃがしゃ
ずぼぬっこ

男が倒れこむように山道に乗り上げる。
二人して雪まみれになりながら、たった一瞬で息が上がっていた。

「ははははは」
「ふふ、はははは」

どちらともなく笑いだす女の子と男。

「ありがとう。見かけによらず力持ちだな」

男が女の子の方を向いて言った。女の子は、初めて声をかけられたことが嬉しくてニコッと笑った。
男は立ち上がり、女の子を起こそうと手を差し出すと、女の子の手袋が切れていることに気づいた。
どうやら、引き上げてもらった時に鎧の端に引っ掛けてしまったらしい。
女の子も男の視線から手袋に気づき、

「あ、切れちゃった。でも、手は切れてないし、大丈夫」

女の子は、ケロッと言ってのけた。

「すまない」

男が言うと、女の子はにっこり微笑む。

「でも、その鎧、冷たすぎるわ。あそこに家があるから、その鎧は脱いでしまって、何か厚手のコートを借りましょ」

「いきなり貸してくれるだろうか?」

男が疑問を言うと、女の子は得意げに答えた。

「山ではみんなが助け合うものなのよっておばあちゃんが教えてくれたわ」

男は、女の子の自信満々の顔を見て、鎧を脱いだ。
鎧を脱いだことがない男は、脱ぎ方が分からず、鎧の部品を一枚一枚力任せに剥ぎ取っていった。

がしゃっ
がしゃっ
がしゃっ

男はなんとか鎧を脱ぎ終えると、残ったのは下着姿だけ。
北風が吹き、震える男。鼻水が垂れ、一瞬で凍り氷柱のようになる。
女の子は、少し考え、自分のマフラーを取ると男の首に巻き付け、男の頭を自分のニット帽にギュッギュと押し込んだ。女の子が先導するように走り出すと、男も隣に並び、二人で山道を走り先を急いだ。

男がチラチラと女の子を見る。

「どうしたの?」

女の子が聞くと、

「ほいっしょ」

男は、女の子を軽々と肩に担ぐと、山道を驚くほど速くグングン進んでいった。

ほっほっほっ
ほっほっほっ

さっきまで深い雪を歩いていたからか、男は、膝をやたらと高くあげて走る。
女の子は、そんな走り方が面白くて、肩の上でケタケタ笑った。

すぐに、山の中腹にある立派な家に着いた。
窓からまだ暗くなっていない外からも分かるオレンジの灯りが溢れ、煙突からは煙が立ち上っている。

女の子が男の肩から降り、体の雪を軽く払う。男も真似をして体の雪を払う。
女の子が礼儀正しくドアをノックすると、少しして、立派な口髯を蓄えた中年の男が出てきた。
中年の男は、下着姿の男と少女を何往復か見比べ怪訝な顔をした。
そんな不穏な空気を察してか、少女が息を整えながら切り出した。

「すみません、お願いがあるのですが、この人にコートを貸してもらえませんか?山頂のおばあちゃんのお家に行く途中なの。帰りに必ず返しに来ますから、少しだけ、お願いします。」

少女は頭を深々と下げた。震えながらそれを見ていた男も真似て頭を下げた。

中年の男は、二人を一瞥し、

「ここにお前たちに貸し出すようなコートはない。生憎だが、他をあたってくれ。」

中年の男は、そっけなく言い放つと、後ろ手にドアを強く閉めた。
吹雪の音だけが二人を包む。
女の子は、信じられない中年の男の言葉を受けて、今にも泣き出しそうな顔で男の方を振り向いた。
男は、寒さに震える手で女の子の頭に積もった雪を払うと、そのまま頭に手を置いて女の子の目を覗き込み、問いかけた。

「おばあちゃんの家は、ここからどれくらいだい?」

女の子は、驚きながら、涙がこぼれそうな目を引き締めて言った。

「もう半分くらい」

「よし、じゃあ、急ごう」

男は、山頂を見上げて言った。周囲は、もう暗くなってきている。
女の子が答える暇もなく、再びひょいっと女の子を肩に担ぎ上げると、さっきよりも速く山道を登っていく。

ほっほっほっ
ほっほっほっ

薄ぐらい山道は、雪でどこが道だか分からないが、男はとにかく急いだ。
途中で道を外れ足を取られたりもしたが、再び足を高く上げ、ぐんぐん進んだ。
女の子は、男の耳やほっぺたを擦って温めながら、振り落とされないようにしがみつく。
男は、更に急いで走り、吹雪の中でも汗ばむほどだった。

なんとか、おばあちゃんの家の明かりが見える頃には、辺りはすっかり暗くなり、おばあちゃんの家の軒先に揺れる小さなランプと照らし出された雪の凹凸だけが道しるべとなっていた。

さすがの男も疲れ、凍え、走ることできず、歩くことすら遅くなってきた。
女の子は、男の肩から飛び降りると、男の手を握って、男に負けじと歩き始めた。

しゃりしゃり ほっほっ
ずぼっ    ほっほっ
しゃりしゃり ほっほっ
ずぼずぼ   ほっほっ

鼻水は凍り、眉毛にもまつげにも雪が積もる。
言葉を発する余裕はなく、ただ家の明かりを目指して、二人はひたすらに歩いた。

灯に照らし出された家の外観がしっかりと分かる頃、男は、ふっと意識が遠のき足を山道から踏み外した。
片足は膝まで雪に刺さり、動くことが出来ない。
さっきまでは鎧を着ていても大丈夫だったのに、今は足を引き抜く力もなく、雪の冷たさに感覚がなくなっていく。

気づいた女の子が再び引き上げようとするが、びくともしない。
渾身の力をこめて再び引っ張るが、びくともしない。

男の意識は朦朧としだし、女の子の手を握る力も弱くなってきた。

女の子は、家に向かって力の限り叫んだ。

「おばあちゃん!助けて!!」

その声を聞き、男は、意識が遠のく中で女の子の手を握り返した。

「おばあちゃん!助けて!!!」

その時、女の子の悲鳴が届き、家から慌てておばあちゃんが飛び出してきた。
おばあちゃんは、ドアを開けた先にいる女の子と男の姿を認めると、一瞬で状況を理解した。
軒先のソリのロープを掴み、引っ張って二人の元に駆けてきた。
おばあちゃんは、見た目からは想像もつかない力で男を雪の中から引っ張り上げると、女の子と二人で男をソリに乗せた。

震える男と、ソリを力いっぱい引っ張る女の子とおばあちゃん。

「もう少しだからね!頑張って!」

女の子は、反応のない男に懸命に声を掛けた。

家に着く頃には、男は言葉を失い、カチコチに固まってしまっていた。
一歩家の中に入ると、優しい暖かさに全身が包まれる。
女の子の体に付いた雪がみるみる溶けるが、本人は気付かずに男の手を握り続けていた。

「おばあちゃん、どうしよう!」

泣きそうな声で見つめる女の子に対し、落ち着いた様子でおばあちゃんは返した。

「もう大丈夫。ほら、こっちまでソリを押して来て」

少女とおばあちゃんは、お風呂場までソリを引っ張っていくと、バスタブにソリごと男を沈め、少しずつ温かいお湯を足していった。
カチコチに凍っていた男が、だんだんと震えだす。
鼻水が液体になり、眉毛の雪が解けていく。

ばあちゃんは、女の子もバスタブの隙間に服のまま押し込むと、キッチンに引き返してばたばた作業をし始めた。

女の子は、お湯に浸かりながら、やっと恐怖と疲れが出てわんわん泣いた。
お風呂に響く女の子の泣き声と、遠くで鳴るおばあちゃんの包丁の音。

「かゆい!!」

男は突然叫び声を上げ、バスタブから溺れるように這い出た。
それを女の子は涙をぬぐい、男を引っ張り戻すと力の限りお湯に沈めた。

「だめ!ちゃんと温まりなさい!」

男は、全身をかきむしりながら、女の子の手を解いて出ようとするも、どうしてなかなか、体に力が入らず脱出できない。

しばらくして、感覚が戻ってくる頃、おばあちゃんが大きなバスタオルを二つ持って入ってきた。

二人は、ふかふかのバスタオルでくるくるに包まれ、その上からさらにもこもこの毛布で包まれ、暖炉の前に座った。

「これを飲んで温まりなさい」

おばあちゃんが二人にスープを出す。
男が女の子を見ると、女の子は、得意げに言った。

「これが私の大好きなスープ」

満面の笑みの少女は、やっぱりほっぺが真っ赤でぷっくり張っていた。

二人は、スープを平らげると、そのままお茶とクッキーを食べながら、おばあちゃんと話した。

「ごめんなさいね、我が家には男物のコートは無いの。私の物も小さいし、さあ、どうしましょう。」

女の子とおばあちゃんは、頭をひねっている。
女の子が思いついたとばかりに声を上げた。

「朝まで待って、私がお父さんのを家に取りに帰るわ!」

「それだと往復二日間ここにいることになるわね。それに、あなたのお父さんの服なんて、まだあったかしら?」

「たぶんあるわ。それに、なかったら買う!」

そんな二人の会話の脇で、男は暖かい毛布に包まれて、甘いクッキーをもごもごとかじりながら、ウトウトと眠りについた。

翌朝、物音がして女の子とおばあちゃんは起きた。
ドアを出ようとする毛布に包まった男。
女の子が呼び止めると、男は振り返って女の子に言った。

「この毛布をもらえるかい?こんなに温かい毛布があれば、大丈夫。それに、もう後は下りだけだから、すぐに山を越えられる」

おばあちゃんがこれも持って行きなさい、とクッキーの包みを渡した。
女の子は、男に謝った。

「ごめんなさい。私が勝手にコートを貸してくれるなんて言ったせいで、大変な思いをさせてしまって」

下をうつむき、涙声の女の子。
男は、女の子の頭を撫でて答えた。

「おかげで、一日で山を越えられた。それに、美味しいスープも温かい毛布ももらえた。ありがとう」

女の子が見上げると、にっこり笑う男の顔。
女の子も、にっこり笑った。

「ごちそうさまでした。ありがとう」

男は、おばあちゃんに礼儀正しく頭を下げ、女の子に手を振ると、膝を高く上げる不思議な走り方で、

ほっほっほっ
ほっほっほっ

と昨日と同じ大股で走り去っていった。

女の子は、あっという間に遠くにいく男の背中に大声で言った。

「またスープ飲みに来てね!」

<END>
(2012)

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