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【2020年6月号アーカイヴ】『Tokyo発シガ行き➡︎』 "東京アラート"by 月イチがんこエッセイ

どうも。昨年の6月から東京の根津というところでお店を始めてしまいまして、それが計画的なものではなく非常に怒涛の中でのことでしたので、本当に日々に終われ、こちらのアーカイヴに全く手をつけられず1年以上が経ってしまいました。
(代わりにお店の様子をこちらの「ひとかどアーカイヴ」というマガジンで連載しています)

その間に「Tokyo発シガ行→」は、ペラ紙から小さな冊子になり、そして去年の12月号からはなんとプロのデザイナー「ワタセミ」に組版してもらえることになり大変読みやすくなりました。
(そして通算何号かわからない!また数えて書き足します!)

そうこうしているうちに世の中はこのコロナ騒ぎに突入、我がお店も例にもれず営業時間を変更したりバタバタしていましたが、ようやく7月になり、コロナ以前のシフトに戻しまして少しゆとりができました。
また、わたしが書き上げた新作も、今ちょっと出版界も色々滞っている感じであり、わたしに今できることは「待つ」しかないので、少しづつ昨年できなかった「アーカイヴ」作業をコツコツとしていこうと思いました。(この春の自粛期間はそういう意味ではこういう作業にうってつけではあったのですが、なにせその時間に猛然と1冊新作を書いておったのだよ)

そんな訳で今見返してみると、なんとこの”月イチがんこエッセイ”は2019年2月でアーカイヴが止まっているのだな!(驚愕!)

2019年2月に引き続き3月からしくしくと足して行くか悩みましたが、
これはエッセイなので、やっぱりフレッシュなものからやろ!と思い、
最新のアーカイヴをまず掲載してから、ちょっと順番は考えたいと思います。このエッセイは滋賀県守山市にある本屋さん「本のがんこ堂」さん数店舗と、わたしがやっている根津の芸術酒場「イーディ」にて配布しています。(バックナンバーも置いてあります)

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(例えばこんな感じ)

で、まず、同じように出力してお楽しみたい方のために記事をそのままファイルでUPしますね。

がんこ堂エッセイ20.06のコピー

この冊子はA4にプリントされたものをペキペキ折って一箇所に切り目を入れるだけで冊子になるスグレモノです。笑。
(↑作り方。すごく簡単です。今回から真ん中に線入ってるのでそこで折ってください。真半分でなく数ミリずれるんですがそれがちょうど冊子の”つか”の部分になって製本した時綺麗にあうのです)

アナログアーカイヴは以上です。
では以下はデジタルで!

『Tokyo発シガ行き➡︎』 "東京アラート"【2020年6月号アーカイヴ】

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 どうも、6月になりました。
5月の中旬からシフト制でお店を開けているので金曜日は昼の13時にはお店にいます。でも金曜日の昼間は基本的には暇なので、自分の店を持ったら一度やってみたかったーーしかし実はそんな時間など店を持ったら本当はないーー暇な時間にエッセイを書くなど、ということを現在してみている。

6月1日で、わたしがこの東京の根津という場所へ来てちょうど1年が経ちました。東京では段々と日常が再開されつつあります。
けれど「元に戻る」という感じではなく、新しく生まれていく感じ。
みんなの時間が少しずつ繰り上がって、18じくらいからみんな、気持ちのいい夕風に吹かれてビールとか飲み始めて、21じをすぎると眠たくなって帰ってゆく。
この景色を見ているとわたしは滋賀にいた学生の頃を思い出します。
まだセブンイレブンが文字通り11時には閉まっていたようなあの頃の田舎の暮らし。「密」を避け換気良くしないと行けないのでどこの路地も店の扉は外向きに開いて世界の風通しよく、そして最近では虫を避けるために網戸カーテンみたいなものを、入り口に設置し、時々お客さんが入り方がわからず、虫取り網に引っ掛かった蝶のようになっています。
滋賀県はいま、どんな具合かな? 先日膳所で「しちふく」という居酒屋をやってる附属時代のカッツという友達から「(周年やのに)暇やわ」とLineが来ていた。滋賀県もやっぱり飲食店が賑わうには、まだまだ時間が必要な感じなのかなぁと察する。

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さて。
先月号で、勝部町の祖母宅の水屋が小浜町の祖母宅へ移動した話を書きましたが、勝部町の祖母宅は、来週の火曜(6月9日)に解体が始まることになりました。
このおばあちゃん家はわたしが生まれた場所でもありわたしの本籍地でもあって、共働きの両親の代わりにわたしと3人の妹は幼稚園や学校が終わったら、このおばあちゃん家に帰宅し、そばの公園で夕方まで遊んだらそのおばあちゃんの家で夕ご飯を食べ、おじいちゃんが野球に熱中しだす頃ソファでうとうとし、そして母親が帰宅したら駅前コーポラスに帰って眠る、そんな幼少期を送っていた。なのでわたし達4姉妹にとって、家が解体される前に見納めするというのは「急」であり「要」であり、叶わなかったらきっと一生何度も思い返して悔やんでしまう案件であった。先週までは東京の感染者の数も少なく、わたしたちは日にちを合わせて帰省することにしていた。

不要不急じゃないから。急やし要やから。
人生の中でも重要度が高い儀式なので。

わたし達は東京にいても接触をしていなかったので、姉妹が揃うのは元旦以来ということもあり、それをとても楽しみにしていたのだけど、先日「東京アラート」が発令、母としては「滋賀県の人が頑張って他県からウイルス持ち込まないように努力しているところにアラート鳴ってる東京の子らが一度に帰ってくるのもなあ」という気持ち、それは我々も同じ、何せ姉妹の中には小さな子がいる妹もいるしお腹に赤ちゃんがいる妹もいるので昨日姉妹で相談しながら、日をずらしたり、取りやめる妹もいたり、などなど、現在対応を検討中。

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東京アラートは正直東京の人間から言わせたら全く無意味、アラートしたからって皆どうすりゃいいねん、指針示してるわけじゃないのに橋だけ赤く染めやがって、って感じで、本当に「無意味」なものであるのにも関わらず、皮肉なことに、生まれ育った家とのお別れを皆であれこれ話しながらしのぶ、という大切な儀式を、いとも簡単に粉々に破壊するという役割を立派に果たしてくれた。余計なことしてくれやがって(怒)、と毒吐きたい気持ちだけど、これも正直悪いのはコロナで、百合子ではない。
 

今、出産なども面会や立会いが全然できなくなって大変だけど、ふと思ったのは、これから会えるものとの会える喜びが先延ばしになるのと、もう2度と会えないものとの別れが奪われるのは全然違うのだということ。
 言い方悪いけれど、たかが家、しかも自分暮らした、ではない、おばあちゃんの家、でもこんなに居た堪れない気持ちになることを思うと、コロナで大切な人を失って、その亡骸に寄り添ったり、別れを告げることもできぬままお骨になって対面する遺族に苦しみには筆舌にし難いものがあって、きっといつまでもその人の死を実感できないのだろう、そう思う。解体する家のおばあちゃんが亡くなったのは7年前だけど、あまりに唐突で誰も準備ができていなかった。なので死後もそれを受け入れるのにとても時間がかかり、故に7年後にようやく家を解体という運びになったのだが、それでも焼き場で、骨を拾う儀式をしたときに「ああ。だからこの儀式が必要なのだね」と理解できたほどに、思い知らされる感があった。肉体はもうここにはないのだということを白い骨に教わる。そのような一連の葬い、その先にある納得、を全て諦めざるを得ない、この疫病で亡くなった方の遺族の不甲斐なさはいかほどか。

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 けれども我々は前に進んで行かねばならぬゆえ。こういうときにこそ試されるのが「生き様」であり「心意気」なのだなあと思ったので記しておく。今回の母のこと。母が、たった一人で築40年になる一軒家の全ての家具の撤去から衣服や小物の処分、遺すものとそうでないものの仕分けから、砂利に渡るまできちんと分別して処理をしたこと。本当に凄いと思う。本当は通常時なら姉妹達が時を盗んで帰省して手伝う手筈のものであったがこのコロナ下でそれも叶わず、4月に小説を書き上げていたわたしは「帰ろうか」と提案したが「こんなご時世なので東京からウイルス持ち込まれても」ということで、何から何まで母一人でやった。(父は基本仕事人間でこういことはまるでできない上、医療関係なので今忙しいと思われる)

大切な人、そして亡くなった人の家を整理するということは本当に辛い。
懐かしいものがふとした拍子に、というか絶えず出てきたりして。そんなときその心を受け止めて「いやぁーこれあの時のあれやね」とかって一緒に分かち合う人がいて欲しいのにそれさえもリモート。わたしはお店の再開前にお店の大掃除をしたけど、その時も近所に住んでいる従業員で、このがんこエッセイの組版をしてくれているワタセミを呼んで2人でやった。ひとりではなんか虚しいというか心折れる気がしたから。変なとこから変な虫とか出てきたら、怖いし。小さなお店の掃除だってそうなのに「亡くなった」おばあちゃんの家ってすごくエネルギー要るよね。母は本当に心意気の強い、タフな生き様の人だと思う。けれどそれがたやすいことではないことは、母よりも心が弱いわたしは、実はよくわかっている。わたしだったら、できるだろうか、その気が遠くなるような作業。捨てても捨てても溢れてくる思い出と向き合いながらそれを断ち切り、処分。

母はどんな時も誰かに何かを期待しない。

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他人はもとより家族にも期待しない。名言は「パパがなんかしてくれるやろうという期待で4人産んだわけやない。男の人なんか基本的には何もできひんから」それはハッタリではなくって、母はそういう意味では父親のお金をあてにしたりしたことも一度もないので、入ってくるはずのお金が入ってこなくても全く動じない。それゆえ父は4人も子供がいるのに会社を辞めて独立したりする勇気を持てたのだろうと思う。そんな母は当然娘にも何も期待していない。家の解体はわたし達(両親)が決めたこと、だからわたしたちでやる。そんな感じ。
わかっている。わかってはいるけど、本当は手伝いたかった。時間があった今年のGWに。ウイルスを持ち込まない、という正しい振る舞いをした。そして母の力になれず。
コロナというウイルスが増幅しているのは人々の不安、というよりは「不甲斐なさ」ではないだろうか。ああ、不甲斐ない、不甲斐ないよ。そんな風に思い恨めしく眺めるレインボーブリッジの東京アラートは煌々と赤色に輝いている。

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なかじま・もかこ/ 守山市出身。1979年生まれ。附属中学→石山高校。
2009年「蝶番」にて新潮社よりデビュー。
[Design by / 渡瀬都]

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7月中になるべくたくさん、この1年分の記事をアーカイヴできるよう努めますのでお楽しみに!

がんこエッセイの経費に充てたいのでサポート大変ありがたいです!