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月曜モカ子の私的モチーフvol.244「雑記、あるいは下降について」

マンボウが明けてからの営業が非常に肉体的にきつく、本当に「あ」というまに四月が終わってしまった。しれっと先週パスしてすみません。
わたしは日水が休日なのだけど、最近その休みの日は夜0時くらいに眠って、なんと次の日、夕方の4時くらいまで起きれないような感じが続いていて、三月にせっかく入会したジムも全然行けてない。
営業の日に、マンボウ明けてなんだか久しぶりのお客さんとか、時間気にせず飲めるという気分のアレで営業が遅くまでになり、朝に交代する栞珈琲のことを考えて洗い物や仕込みやなんかしてたら帰宅が朝の8時とかになることもしょっちゅうで、とにもかくにもバテています。

GW限定!栞珈琲で提供しているラップサンド!めちゃうま!

さて雑記。四月がざっとどんな感じだったかというと、非常に慌ただしく、忙しく、いろんなものの入れ替わりの月だった。
2021年というのは気が知れた本当に内輪の人たちだけが家族の宴のように閉じられたイーディに来ていたけど、もうなんか2022年4月の市井の空気は、もうコロナなんか忘れた!って感じになっていて(ある意味ではいいことだと思う)、新しい人がどんどんくるし、わたしのお店は2019年の6月からだから、根津の5月の「つつじ祭り」の賑わいとか知らないまま3年を迎えようとしていたけれど、とうとう先週末、栞珈琲の爆発的など満卓を体験し(栞がね)、おー、これがその谷根千の賑わいか!とわたしも思ったんである。

(栞珈琲のインスタやストーリーを見るとその感じがわかります〜)

店としては女主人生誕祭があって(これは売り上げ案件)、そのあと宵巴里の装幀デザイナーさんとの打ち合わせがあって、これはいよいよ本が刊行に向かっていくんだわ!✨っていう高揚があったね。

ルノワールのスカートとか履いちゃうもんね。

その後、装幀の松本さんと装画の中村さんが揃って店にご来店。
松本さんがお酒が好きでたくさん飲んでいろんな話をしてくれたので、
朝方にはとても仲良くなり、互いにこの著書にかける想いなど話し合って、とてもいい時間が過ごせた。いい本になりそう。作家にとっても装幀家にとっても人気であるほど多くの仕事をするし、一生に一冊だけ手がけるわけじゃないから、例えばわたしにとっては渾身の1冊でも、相手にとっては日々の仕事の1つであることもあるから、あまりにこちら側も情熱を伝えでもしんどいと思っていたので先日の打ち合わせの時は壷井さん主導でわたしはただ鎮座する感じにしていたのだけど、この日は松本さんが「宵巴里🌙」をどう感じてくれたのか、どんな想いで装幀に取り組んでくれているのか、知ることができて、同じような熱量で取り組めていることが共有できてとても良かった。

右側が装画の中村さん。左は装幀の松本さん。

装画の中村さんは、なんと松本さんの同級生のお母様、ということで大先輩、大師匠!なんですが、本当に本当に愛らしいお方でした。
同時に天然天才肌の芸術家って感じのお方でした。

どんな装画があがってくるんだろうか、楽しみです♩

ところで遡ること3月の末からちょこちょこイーディに来てくれている、一筋縄では行かないデザイナーレジェンド氏がおりまして、
その人からなんと本物の「イーディ・セジウィック」の写真をお貸しいただくことになったんです。

ジェラルド・マランガ「Edie Sedgwich Screen Test 1965」(世界で5枚だけプリントされている)

それで装幀の松本さんも、そのレジェンド氏をご存知だったのですが、松本さんがお店を来訪される日にはあえてレジェンドには連絡しなかったんですね。なぜなら松本さんお若いですし同業のレジェンドがその場にいたら色んな本音を引き出せないこともあるかもと思って。
でもなんと装画の中村さんが、そのレジェンドと専門学校時代の同期(というかむしろレジェンドの先輩だった)という奇遇な巡り合わせがあって、笑、結局レジェンドに連絡、レジェンドと中村さんは久しぶりの再会で、昔話に花が咲いたようでした。

イーディセジウィックはアンディウォーホルのミューズです。

つまりこんな具合にイーディおよびわたしは上昇し続けている。
わたし、というか店の箱の上昇が著しい。
だってどう考えても店の扉入ってすぐのところに本物のイーディが鎮座したInnocence Define(イーディ)はさらにアップデートしたのだろう。
偽物イーディがなんか、このたび、オマージュ店として名乗って良い認証を貰ったようなものだ。
箱が上昇しているのでその雲に乗っている女主人のわたし、すなわち中島桃果子も、落っこちなければ一緒に上昇していく。

思い返せばこの上昇が始まったのは2019年の6月1日なんだと思うんだけど、
つまりはわたしはこの6月1日について考えるとき自身の落下について考えている。わたしの落下は多分2019年の5月31日に止まったのだなあ、と。
止まったというか、そこがそれよりは落ちれない”底”だったんだろうなあ、と。

気持ちとしては2019年の頭には落下を止めようと思って銀座を辞めたり、滋賀で講演会をやったり、努力は始めていたんだけど、船の帆先がそっちへ向くにはやっぱりタイムラグがあって、その間も元の放物線をなぞってわたしは落下し続けた、ということなんである。

In art we trust.

つまり上昇について考えるとき、落下についても考えなくてはならない。
わたしは江國さんの「落下する夕方」という本が大好きだったので、人生の落下についても、あまり悪いことだと思っていなかった。
—ああ…落ちていくなぁ……——
と思いながら時間をかけて少しづつ沈んでいく感じ、というのはある意味人生の醍醐味であり、自分が憧れたロックスターたちへのオマージュであり、つまりは悪くなかった。笑。
36歳くらいから40歳くらいにかけて、わたしは緩やかに落下していった。
思い出しても、悪くない。

ただ、いざ「水面に上がろうか」と思った時に、こんなにも時間がかかり、こんなにも困難が多く、こんなにも努力が必要なんだな、と、改めて思う。
”イーディ”って名乗った店にイーディが現れ、れっきとした「イーディ」になるまで3年かかるのだものね。

おととい、お店に一人残って「もしかして箱もそうだったんだろうか」とふと思った。この箱が創作やアルスのための箱だって出会った時からわたしは確信してたけど、いくら調べてもそういう過去が出てこなかった。
でもおととい知った。この箱は、ひとつ前がオーセンティックBar、二つ前は和食、その前はなんかモダンなビアバーで、その前が沖縄料理と聞いていたけど、おそらくビアバーの一つ前か、沖縄料理の前が”ギャラリー”だったこと。「久しぶりに覗いてみたらすっかりパントリーに改造されていて、なんかすごく変な気分だった」と”ギャラリー”だった箱の顔を知っていた人は言った。

ウォーホール的なトレンチをわたしは持っています。笑

わからないけど。
箱も緩やかに、静かに何かを諦めて、落下していたのかなあ。と。
その落下の底がたまたまうまく噛み合って、我々は手を組み、
2019年の6月1日から協力しあって上昇することを開始したのかもしれない。

なんか、そんなことを思った。

そんな気分で引いたART Oracleはなんとバスキアで「✏︎/仕事」に関するメッセージのところは『アンディウォーホルと手を組め』とあった。笑。
あながちこういうものって、間違ってないっていうか、
的を射てるよね。笑。

ちょうどイーディの壁に描くレディオ広告も打ち合わせ中だし。

そう四月。雑記と落下について。
今日は五月二日、清志郎の命日。
今からゲラを直します。
新刊は、江國さんには謹呈したいと思っている。
あの人は人生の落下を放置したことを批判したりしないだろうから。

たまたま店に来た人が江國さんのファンで13年前に「蝶番」を読んでくれていた!

そう、江國さんは人生の落下を責めたりしないだろうし、
落下によって筆を握らなかったこともなじったりしないだろう。
重要なのは新刊の内容だけである。
あの人はその本がどこから出るのか、とか、部数がどれくらいなのか、とか、売れそうなのかどうなのかとかに、驚くほど興味がないだろうと思うし、そこが好き。江國さんが気になるのはいい本かどうか、だけであって、その「いい本」に関しての線引きがわたしと江國さんはきっとすごく近いから、今のわたしの感性がぶれていなければきっと「いい本」だと思ってもらえるのではないかと思ってる。
江國さんには伝えたい、伝わるといいし、伝わるだろうと思っている。

だってあの人はわたしを見つけてくれた、人だから。

昨日のレディオは【ON AIR】🎙✨でした!

<モチーフvol.244「雑記、あるいは下降について」2022.5.02>

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☆モチーフとは動機、理由、主題という意味のフランス語の単語です。
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