【長編小説】二人、江戸を翔ける! 1話目:始まり⑦
■この話の主要人物
藤兵衛:主人公。隻眼の浪人で、傘張り仕事を生業としている。
凛:茶髪の豪快&怪力娘。ある朝、藤兵衛に助けられた。
お梅婆さん:『よろづや・いろは』の女主人。色々な商売をしているやり手の婆さん。
■本文
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「どうぞ、こんなものしか無いですが」
藤兵衛は白湯を入れた湯呑をお梅婆さんの前に差し出す。
だが、お梅婆さんはむっつりとした表情で何も言わない。
「え~と、そこの便所の前にある井戸で取れた、おいしい生活水ですよ?」
場を和ませようと精一杯のジョークを放つが、かえって睨まれる羽目になってしまう。
(どうもこの婆さん、苦手なんだよな・・・)
と感じてはいるが、雇い主と雇われる側の関係上表情には出さなかった。
ふう、と心の中でため息をついているとお梅婆さんがやっと口を開いた。
「凛が、戻ってこない」
その後湯呑に口をつけ、事の顛末を語り出した。
「最近、あんたんとこに弁当こさえて持ってってるだろ? 今日も持っていくと言って、出かけて行ったんだよ。で、いつも昼前には戻ってくるけど、暮れの六ツ(午後六時頃)になっても戻ってこない。それでちょいと気になって、あの娘の部屋に行ってみたんだよ。そうしたら綺麗に片付けてあって、おまけにこんな文が置いてあったのさ」
差し出された文には『おうめさまへ』と仮名で書かれていた。
「読んでもいいけど、その前に聞きたい。あの娘はここに来たのかい? 来たとき、何か言ってなかったかい?」
すると、藤兵衛は重箱が二重底になっていた件と、そこから文と木片が出てきた事を明かし文をお梅婆さんに渡す。
お梅婆さんは文に目を通したあと、藤兵衛を一瞥した。
「やっぱり来たのかい。・・・まぁ、あの娘もあの娘なりにあんたに気を使ってたんだろ。私んとこの文には、主にお礼の言葉が書いてあったよ。ったく、お礼なんて要らないってのに・・・。で、どうすんだい、藤兵衛?」
「どうすんだい、って急に言われても・・・ ところで、この木片は? お梅さんは何かわかりますか?」
藤兵衛から木片を受け取ると、お梅婆さんは丹念に見る。
木片は凸型の形状で凸の部分は丸められており、表面には絵と文字が混じった模様が描かれていた。
「これは・・・ もしかしたら、割符なのかもしれないねぇ」
「割符?」
「ああ、取引する際の身元証明みたいなものさ。相手がもう片側を持っていて、ぴったりと重なれば確かな相手だとわかるって訳さ。・・・ああ、そういうことかい」
「どういうことです?」
「これは凛の親父さんの遺体から出てきたものなんだろ? ってことは、親父さん、平助って言うんだけど、平助が何かしらの手段で手に入れた。で、取られた方は取引が出来なくなるから困る。だから殺して取り返そうとしたけど、見つからなかった。それで、娘の凛を追いかけ回してたって訳かい」
「よく、話が飲み込めないんですが・・・」
藤兵衛はお梅婆さんの話についていけなかった。
「言ってなかったけど、凛は父親と長屋で二人暮らしだったんだよ。でも、殺されたすぐ後に部屋が荒らされた事があってね。それで住み込みに変えたんだよ」
「あれ? 凛が犯人を捜し回ってたんじゃなくて」
「ああ、そうだね。そうすると、お互い追いかけ回してたってことかい。・・・なんとも奇妙な話だね」
そう言うと、梅婆さんは煙管を取り出して一服を始める。二度、三度と紫煙をくゆらせた後、藤兵衛を見つめてくる。
「あんたの手紙に書いてあったけど、どうやら凛は向島の屋敷に行ったみたいだね。で、まだ戻ってこない・・・って事は、捕まったと考えるのが妥当だね」
「・・・・・・」
「・・・当然、行くんだろ?」
すると、藤兵衛はお梅婆さんを逆に見つめ返してきた。
「助けには行く」
この言葉を聞いてお梅婆さんは、やれやれというような表情を見せた。だが、藤兵衛の言葉には続きがあった。
「・・・だけど、あくまで助けるだけで仇討ちまで手伝うかどうかはわからない。ところで、一つ聞きたい」
「なんだい?」
「この一件、お梅さんとこの事情が絡んでる訳じゃないよね? 前にも言ったけど、お上の事情には関わりたくない」
「そんな訳ないだろ」
お梅婆さんは強く否定する。
「いいかい? 凛も含め、うちで働いてる人は皆家族みたいなもんだと私は思ってる。その家族が困っているなら、助けたいって思うのが当たり前だろう? ・・・この一件は、あくまで私個人からの依頼だよ」
それを聞くと得心したのか、藤兵衛はすっくと立ちあがり手早く出掛ける準備を始める。
「行ってくる。終わったら、いろはに連れていく」
そう言い残し、藤兵衛は早足で駆けていった。
一人残されたお梅婆さんは残りの白湯をぐいっと飲むと、ポツリと呟くのだった。
「ああ、そういえば今夜は満月かい。だったら、今夜中にはケリがつくかねぇ・・・」
つづく
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