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北村早樹子のたのしい喫茶店 第14回「目白 珈琲伴茶夢」

文◎北村早樹子

 上京してきて、はじめて住んだ街は目白だった。実際には、住所的には西池袋なのだが、池袋のがやがやは苦手なので、目白駅を使っていた。何故、目白になったかというと、当時東京に住んでいる唯一の友人が目白に住んでいたからだ。彼女は後に魔女になる、るみたんで、当時は彫り師の旦那さんと目白駅前の高級マンションに住んでいた。

 わたしはその頃、大阪に住んでいたが、2か月に一回ぐらい東京にライブしに来ていて、その度にるみたんちに泊めてもらっていた。東京でやるライブは大阪よりも手ごたえがあったし、るみたんちで過ごす時間も楽しくて、東京ええなあ、東京住みたいなあ、といつも指を咥えて不動産屋のガラス窓に貼りだされている物件情報を眺めては、夜行バスで大阪へ帰る日々だった。
 そんな生活を1年過ごしていた。なかなか踏ん切りがつかなかったのは、当時わたしも結婚していたからだ。処女をあずけた、17歳からお付き合いしていた男性と、22歳になってすぐに結婚した。旦那さんと一緒に東京へ遊びに来てみたこともあった(そして旦那さんは、るみたんの旦那さんに刺青を彫ってもらっていた)が、彼はやっぱり大阪が好きなようで、一緒に上京する、という選択肢はなかった。しかし、わたしは実家のぐちゃぐちゃもあり、大阪を出たくてたまらなくなっていた。そして、ライブをしに来たついでに、ひとりで不動産屋の門戸を叩き、アパートを決めてしまった。それが、目白の、いや、西池袋のアパートだった。
 家賃49000円。6畳の和室に、小さな台所と、トイレと、無理矢理取り付けたらしい変な形のシャワールームのある、ぼろぼろのアパートだった。2階建てで8室あるのに、何故か郵便受けはひとつだけしかなくって、住人はそのひとつの郵便受けの中から自分宛の郵便物をセルフで探して持っていくという、盗まれていてもわからない、なかなかに不安なシステムだった。アパートの裏側は、誰にもお手入れされていない草や木が生い茂った森のようになっていて、窓にびっしり謎の虫がついていたり、どこから入ったのか、部屋の中によくカマドウマが登場した。もちろんネズミも同居していた。帰宅するとりんごが齧られていたり、黒いつぶつぶのうんこが落ちていたり、夜は天井裏で大運動会をしていて、虫やらネズミやら、ひとり暮らしなのに賑やかな部屋だった。
 最初は大阪と東京を行ったり来たりしていた。旦那さんとはゆるやかな別居という形だった。特に仲が悪かったわけではないし、浮気をしていたわけでもされていたわけでもなかった。なんて自分勝手な嫁やったんやろう、と今でも反省する。当時、わたしは実家が本当にめちゃくちゃで(発売予定の実録小説『ちんぺろ』を参照)、家族というものに振り回されてぐったりしていた。だから自分が家族を作るなんて、絶対無理だと思っていた。まだ、旦那さんとふたりだけの暮らしならいけるかもしれなかった。でも子どもを作ることにはあれから10年以上経った今でも疑問がある。旦那さんは普通に子どもが欲しいようだった。だったら、早めに他のちゃんと子どもを作れる女性と結婚した方がいいよ、ということになり、離婚することになった。25歳の秋だった。
 旦那さんにひどいことをしてしまったな、という罪悪感はあるものの、わたしはあまり落ち込んではいなかった。もう、どことも繋がっていない、糸の切れた風船のように暮らす暮らしは、自由でそれなりに楽しく、まだ自分を辛うじて若いと思えていたぎりぎりの時期を過ごしていたのが、この目白の、いや西池袋の時代だった。
 お金は全然なかった。今もないけど、もっとなかった。どれぐらいなかったかというと、今のようにひょいひょいと喫茶店に入れるお金がなかった。なので、ここ、目白の伴茶夢も、当時は入れなかった。入りたいな~と思いながら、いつも前を通り過ぎていた。はじめて入ったのは、その後三度ほど引っ越しし、目白を離れてからだ。自由学園明日館で友人がお芝居をするので、見に行くときに目白に降り立って、そうそう入りたかった伴茶夢、もう今なら入れるもんね、と階段を降りた。

 突然だが、わたしは白米が得意ではない。日本人にあるまじきことだが、出来るならば、白米は食べたくない。これはダイエットとかそういうのではなくって、あのつぶつぶが物理的に好きになれないのだ。いつまでも消化されずつぶつぶのまま胃に残っている感覚になる。なのでうちには炊飯器もない。誰かと外食したりして出てきたら、まあ食べるが、自ら進んで食べようとは思わない。
 そんなわたしに、恰好のメニューが、伴茶夢にはあった。パンカレーである。カレーの、ライスの代わりに、トーストした食パンが入っているのである。はじめて食べたとき、ああ、これやんこれやん! と膝を打った。パンは小さくカットしてくれているので食べやすいし、カレーもしっかりコクがあって辛すぎず、全てが絶妙にちょうどいい。

 コーヒーは350円でおかわりも出来る。これ、もし目白に、いや西池袋に住んでいたときに知ってたら、そしてわたしがあのときちょっとだけお金があったら、絶対行きつけになっていたであろう。まあでもこれからは、池袋で用事があるときは、目白で降りて、伴茶夢に寄るという楽しみが出来た。
 10年前よりは、ちょっとだけお金を自由に使えるようになってよかったな。今でも十分、世間一般では低所得者に当たりますが、喫茶店においてだけは、お金を気にせず使いたい、わたしなのです。

珈琲伴茶夢の店内


今回のお店「目白 珈琲伴茶夢」

■住所:東京都豊島区目白3―14―3 B1   
■電話:03―3950―6786
■営業時間:6時半~19時   
■定休日:火曜日

撮影:じゅんじゅん

北村早樹子

1985年大阪府生まれ。
高校生の頃より歌をつくって歌いはじめ、2006年にファーストアルバム『聴心器』をリリース。
以降、『おもかげ』『明るみ』『ガール・ウォーズ』『わたしのライオン』の5枚のオリジナルアルバムと、2015年にはヒット曲なんて一曲もないくせに『グレイテスト・ヒッツ』なるベストアルバムを堂々とリリース。
白石晃士監督『殺人ワークショップ』や木村文洋監督『へばの』『息衝く』など映画の主題歌を作ったり、杉作J太郎監督の10年がかりの映画『チョコレートデリンジャー』の劇伴音楽をつとめたりもする。
また課外活動として、雑誌にエッセイや小説などを寄稿する執筆活動をしたり、劇団SWANNYや劇団サンプルのお芝居に役者として参加したりもする。
うっかり何かの間違いでフジテレビ系『アウト×デラックス』に出演したり、現在はキンチョー社のトイレの消臭剤クリーンフローのテレビCMにちょこっと出演したりしている。
2017年3月、超特殊装丁の小説『裸の村』(円盤/リクロ舎)を飯田華子さんと共著で刊行。
2019年11月公開の平山秀幸監督の映画『閉鎖病棟―それぞれの朝―』(笑福亭鶴瓶主演)に出演。
2019年より、女優・タレントとしてはレトル http://letre.co.jp/ に所属。

■北村早樹子日記

北村さんのストレンジな日常を知ることができるブログ日記。当然、北村さんが訪れた喫茶店の事も書いてありますよ。

■北村早樹子最新情報

①8/29(月)
『北村早樹子ワンマン第7回』

場所:阿佐ヶ谷よるのひるね
時間:19時半開場19時45分開演
チャージ:2000円+1ドリンク
ご予約の方は名前と枚数と連絡先をkatumelon@yahoo.co.jp まで送信してください。完全予約制です。

②北村早樹子さんが音楽を担当した映画『息衝く』 9月3日よりポレポレ東中野にて緊急上映決定!

宗教団体による反社会的活動が取り沙汰されている昨今、宗教と政治の関わり、信仰とは何か?を問う、木村文洋監督作『息衝く(いきづく)』(2018年)が緊急上映決定!上映後は<「宗教・政治・家族」を巡って>と題したトークイベントも連日開催!


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