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目に見えない苦しさ

以前こんな記事を書いたことがある。

大学3年生の時。私が、社会福祉士と精神保健福祉士になりたいと思ったのはなぜ?だとか、どんな福祉職になりたいの?とかを、授業で問われるようになって。

それと真正面から向き合った結果、自分の中で、中々納得する答えが出ず、それが苦しさとして強く表出していた時期だったと思う。

思うことがある。それは、精神的な苦しさって、目に見えないんだよなあって。だからその苦しさをどうにかしたい、と思うのは当然のことで、何もおかしいことではなくて。何か行動に起こすことも、全くおかしいことではなくて。

私の場合、その行為を実際にはしていないが、酷くOD(オーバードーズ、過剰服薬)をしたいという思考が強くなっていた。ただ変なところでいつも、冷静さを取り戻しては、何やっているんだ自分、と覚めて、やめる。そんなことを繰り返していた。

他にも自傷行為をしようと目論み、カッターナイフを腕に翳す、まではしたのだが、それ以上の行為を続けようとすると、頭いっぱい恐怖に襲われ、事後処理のことを考えると、自分にはどうにもできないなあと感じて、しなかった。

同じく大学3年生の時、入浴中、二度ほど首に手をかけて、死のうとしたこともあった。しかしそれも途中で急激に苦しさに襲われて(当たり前だが)やめた。苦しいから死のうとしているのに、その行為をしている間も苦しい。絶望しか感じなかったよね本当に。

ODや首に手をかけようとしたこと。そのどちらもを実際にしなかった大きな理由として、上述したものの他に、自分以外の他人に迷惑をかけるから、というものがある。他人というのは大きな意味で。

仮に入浴中に自殺を図って、それが成功してしまったら、自宅の浴室は事故現場になってしまい、家族が入れなくなるかもしれない。ODしてぶっ倒れでもしたら、救急車を呼ばなければいけなくなるかも、そうしたら救急隊員さんに迷惑がかかる。そんな時まで他人のことを慮っては、迷惑がかかるからできないとなぜか納得してやめた私は、優しいのだろうか笑。

生きづらさとか苦しさと言ったものを、私が明確に感じるようになったのは、実は中学生の頃から。え、そんな前から?と思われるかもしれないが。

ただ、中学生の時は「精神科」と言う存在を知らなかったため、行ける訳もなく。

その代わりと言ってはなんだが、ボカロ曲に命を救われていた毎日だった。特にNeruさんという人のボカロ曲が私は好きで、親の目を盗んでは深夜、頻繁に聴いていた。もしよかったら、ハウトゥー世界征服という曲を聴いてみて欲しい。私はこの曲で、Neruさんの虜になった。他には再教育、脱獄、ロストワンの号哭、かなしみのなみにおぼれる、少年少女カメレオンシンプトム(順不同)に救われていたなあと思う。何なら最近になってまた聴くようになった。なんだろう、この安心感は笑。

高校生の時には、その存在を知ったものの、そこへ行くことは自分に負けることだとか、廃人同然だとか、偏見を持っていた。(現時点で通っている人、若しくは当時通院していた人のことを悪く言っている訳ではないため悪しからず)

でも大学生になり、授業で、精神障害の類をちょこちょこ目にするようになって、実はそんな特別なものではないのかも、忌避するようなものではないのかも、と思えて、勇気を出して精神科の門扉を叩いたのが、大学1年生の冬。そして今に至る。

病名(障害名)が付いて、服薬治療を行えるようになった。すると徐々に、物事の捉え方や思考が変わって、それまで思い込んでいた、人とのかかわりが怖いものではないと、分かるようになった。私の場合、当時強くあった視線恐怖だとか会食恐怖は、少しづつ治まってきた。

まあ、今も気持ちが落ち込みやすいと言う特性が続いているが、飼い慣らすと言うのか、適度に適当に扱っていければいいよなあと思う。完治するのは恐らく無理だと思うので、少しずつでも改善できたらいいなあと思う。



苦しさや生きづらさについて、唐突に書きたくなった。

読んでくださってありがとうございます。

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