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文章の原動力

文章を書く原動力ってなんだろう。たぶんだけど、楽しくてたまらない!幸せで仕方がない!そういうときには、文章を書きたい気持ちにならない気がした。伝えたいことがあるときは別だけど、私がこのnoteに文章が書きたくてたまらない!!と思うときって、怒りや悲しみを抱いているときのような気がする。

自分の中にエネルギーみたいなものが溜まらないと、こうして趣味で書いている文章でも、書くことがままならない気がしている。言葉がぶわっとあふれるようなときって、胸に何かを抱えているときで、吐き出したい思いがありすぎて抱えきれなくなったときほど、文章もあふれ出す感じ。そうやって書いた記事が読まれるとは限らんけどもね。むしろあまり深く考えずに、ポーンと生み出した記事のほうが読まれる率は高い気がする。あれって何だろね。

そして何が言いたいのかというと、今の私はまさに怒りが沸々としていて、これはnoteを書くタイミングだ!!と思いながら、今こうして記事を書いているのだけど、書き始めてしばらくすると、気持ちが落ち着いている自分がいて記事がまとまらなくなってしまった。

この記事を書く前に、夫の愚痴をつらつらと書いていたのだけど、書いていくうちに自分の怒りが消化されてしまって、文章を書く原動力を失ってしまったのだった。文章を書くことで癒されてしまったみたい。それは悪いことじゃないし、むしろありがたいことだけど、文章を書きたい欲まで落ち着いてしまわれると、noteを書きたい自分としては非常に困るのだった。


そんな最近の読書は『かしましめし』を。

5巻が発売されたことで、1巻から再読しているのだけど、その1巻にこんなことが書いてあった。

信頼っていうのは、”この人は既に全力を尽くしているのだ”と認めるところからじゃないの?

『かしましめし』1巻より引用

今まさに夫に対してイライラする事案が発生していて、それはまぁ共に生活していればよくあるイライラ案件なのだけど、しかし私は夫にどれだけイライラしても夫をいつも信頼していて、それって何でなんだろう??と昨日はずっと考えていた。

そこで『かしましめし』を読み、この部分に思わずハッとして気づいた。夫はいつも「全力を尽くしている」んだ。本人は「のんびり生きているよ」だなんて言うけど、のんびり生きている人は血を吐いたりしないし、脱毛症にだってならないと思う。もっと力を出せるのに、力を出さないでのらりくらりと生きているだけだと夫は言うけれど、たぶん、自分の中で100%の力と思っている力は、他者からすると300%ぐらいなんだと思う。だから血を吐くんじゃないのかな。知らんけど。

そしてこの「信頼」を「全力を尽くしている人」だと認識するのなら、きっと世の中には「信頼」できる人であふれているんだと思う。自分ではがんばっていないなんて思う人もいるけれど、たぶんそれは、自分へのハードルを上げすぎているだけだと思うんだけど、どうだろうか。

そんなことを考えていたら、夫へのイライラはきれいさっぱり消えてしまった。文章を書く原動力は欲しいけれど、怒りは長引かないほうが心身のためには良いから、これからも怒りはほどほどに抱えることにしようっと。怒りをほどほどにって、そこはコントロールできるもんじゃないけどね。

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