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『あの子のこと』エピローグ 「あの子のこと」

 夏が、少しずつ近づいている――。

 四月末の逗子海岸ずしかいがんは、朝も早いと言うのに散歩する熟年世代が何人もいた。

「あら、飛島さん久しぶり。娘さん元気?」
 娘がお世話になった下野しもつけさんは、二年前より若干白髪が増えたようだった。
下野しもつけさん、お久しぶりです。おかげさまで娘は元気過ぎるぐらい元気です」
「名古屋で一人暮らしでしょ? 大変ね」
 世間話を始めた下野しもつけさんの背中に張り付くようにして、小さな男の子がこちらを伺っている。

「うちの下の子の長男。あいさつ出来るかしら。ほらおばちゃんにあいさつして」
「こんにちは。しもつけあねこうじです」
 消え入りそうな声でうつむいたままあいさつをする小さな男の子は、今ではすっかり貫禄かんろくが付いた夫と初めて出会った頃にどこか似ていた。

「それにしても今日は本当に綺麗に江の島と富士山が見えるわね。もう少し早く来たら海が朝日で染まって、良い写真が撮れたんだけど」
「この時間の光も素敵ですよ。砂が真っ白で清澄せいちょうに見えて」
「そうなんだけど、光が散っちゃって撮りにくいのよね」

 娘が散々お世話になったクリニックの看護師である下野さんは、サッカー選手である息子さんの勇姿を撮影していたのがきっかけで写真にのめり込み、今では賞を獲るほどの腕前になったのだと言う。


 ではまたとあいさつを交わして、相模湾さがみわんに浮かぶ江の島と富士山が一直線に並ぶ初夏の風景に静かに溶ける。

 もう二十年以上に渡って見慣れた景色のはずなのに、この場所に立つたびに私は言葉に出来ない圧倒的な至福に包まれる。

 初めてこの地に来たのは機能性下着のCM撮影時だった。

 大勢のクルーががやがやと準備をする中で足元にガラスやタバコの吸いさしが残る砂浜を踏みしめた私は、那由多なゆたの光の収束点に立った。

 あれほど圧倒的な至福を人生で得たのは初めてで、そしてその至福を超える至福は二度と現れないだろう。なぜなら、そこには全てがあって全てが無く、全てが無くて全てが満ちていたからだ。

 私の人生はあの瞬間を以って全てあがなわれた。
 後は『その日』が来るまであの至福しふくを胸に、ただ生きるだけなのだ。


 江の島が大崎おおさきに隠れた辺りで、私はゆっくりと伸びをする。
 ヨガマットを敷いて海風に吹かれながら戦士のポーズを取る女性についおせっかいを焼きたくなるのをこらえ、ポーチに忍ばせたペットボトルに口をつけた。

 三十年前の私は、生きる事に疲れ果てていたくせに容姿のおとろえにおびえていた。
 垂れて芋虫いもむしのようになった胸を抱えてもんどりを打っていた当時六十代前半の生徒さんは、今では泉下せんかの人となっただろう。

 私自身はすでに彼女の年を少し越え、数年前から白髪も染めなくなった。
 あれほど小さくしたいと願っていた胸は加齢によってしぼみ、ついでに背丈も一回り縮んだ。

 私がかつてCMを八本抱え、女性誌のカバーを飾り、海外化粧品ブランドのグローバルモデルであったと言っても誰も信じないだろう。
 だがそれで良い。それが良い。


 バスタオルを敷いて乾いた砂浜に座った私の前を、一組の熟年カップルが通り過ぎた。
 年を取った陽さんはあんな感じかしらと思いながら、私は彼らの背中を見送った。

 陽さんとも四半世紀以上連絡を取っていない。
 再婚して札幌に移住した陽さんからは時折連絡が入っていたものの、私たちの仲を疑った奥様に遠慮してすっかり連絡を取らなくなってしまった。

 陽さんの高校時代の先輩でもあり、今でも私にエッセイなどの仕事を振ってくれる立川さんの言によると、陽さんはすっかり奥さんの尻に敷かれながらも元気にやっているそうである。

 大崎寄りの海岸の端あたりでは、メガホンを手にディレクターチェアに腰掛けた初老の男がしきりに『じゃん! じゃん!』と叫んでいる。
 まるで往年の伊藤先輩のようだと思いながら、急逝きゅうせいした彼をしのんで私は目を閉じた。

 じっと目を閉じたまま潮風に吹かれる白髪の女を、あるがままに波音が受け入れる。
 逗子海岸ずしかいがんは、私のような老境ろうきょうに差し掛かった人間を優しく包む海岸なのだ。


 私は海岸を後にして、逗子ずし駅行きのバスに乗った。
 今日は娘が久しぶりに名古屋から帰ってくる。
 ゴールデンウィーク明けには引き払う披露山ひろうやまの家でくつろぐ最後の日々だ。

 娘には三崎や小坪こつぼで獲れる最高の魚を食べさせてやりたい。
 私は逗子ずし駅にほど近い人気の鮮魚店で、丸々と太った金目鯛とサザエを買った。

『本日正午より、逗子ずし駅前ロータリーにて、衆議院議員・前環境大臣の鶴間つくしが応援演説に駆け付けます。どうぞ皆さまお誘いあわせの上――』

 随分と懐かしい、そして最近ポスターでやたらと見かける顔が後三時間もすれば拝めるのかとちらりと思ったが、さして会いたい訳でも無かった。彼女とて私の事など覚えてもいないだろう。

 彼女は間違いなく私が出会った人たちの中でもっとも逆境に強いタイプの人間だろうと思いつつ、私は披露山ひろうやま公園入口行きのバスに乗り込んだ。


 バスを降り、披露山ひろうやまのゆるやかな坂をウォーキングと言うにはあまりにゆっくりとしたペースでかみしめるように歩いていると、私の人生を変えた人たちの顔が走馬灯そうまとうのように脳裏のうりをよぎった。

 谷崎さんは夫がお世話になりっぱなしで、今でもちょくちょく顔を合わせる。
 本郷さんは会社を退職され、ご主人の故郷に戻られた。
 ヒロアカさんはリスボンに移住して十五年は経つだろうか。
 荒屋敷あらやしきさんは、サッカー選手である下野しもつけさんの息子さんと深いご縁があるようだ。


 アメリカンサイズのだだっぴろい家が見えて来た所で、私はペットボトルに口をつけた。

 この家は元々夫の恩師であるマクスウェル夫妻の別荘だった。

 ダニーの足が悪くなり、来日することも絶えて無くなった夫妻が半ば押し付ける様に夫に譲渡じょうとした家に二十年以上住んだわけだから、コロニアルスタイルの瀟洒しょうしゃな外観とは裏腹に、住んでいくには様々な不便が生じていた。
 そんなダニーも六年前に現世に別れを告げ、あれほど快活だったロンダも一年後に後を追った。

 万物は流転する。人は生き、人は死ぬ――。
 私たちが披露山ひろうやまの家を手放す理由も、それだ。
 私たちがこの広く古い家をだましだまし修繕しゅうぜんしながら暮らせなくなってからでは遅い。
 娘には、出来るだけ身軽でいて欲しいのだ。

 上原の伯父さんが墓じまいを急いだ理由が、今の私には良く分かる。
 私も上原の伯父さんの立場だったら同じことをしただろう。


 玄関ドアを開けると、私は魚を冷蔵庫にしまってパウダールームのスツールに腰を降ろした。
 ほとんど空になったペットボトルを三面鏡の脇に置いて、私は引き出しの奥にしまったジュエリーボックスをそっと開けた。

 母の遺品の結婚指輪に婚約指輪、そしてピンクゴールドのネックレスに時を刻むことを止めて三十年近くが経過した腕時計。
 私は腕時計とピンクゴールドのネックレスをじっと見つめた。

「ママー、お腹空いたんだけどー」
「帰ってたの?! 早いじゃない!」
 不意に後ろから声を掛けてきた娘に、私は思わず驚いて胸を押さえた。

 娘は年を追うごとに夫にそっくりな顔立ちになって来たが、夫とは似ても似つかぬ快活で開けっぴろげな性格に育った。
 やたらと理数系に強いのは夫の血だろうか。

「ママそれ電池変えなよ、まだ使えるよ」
 私が手に持ったままの腕時計を娘がひょいと手に取った。
「良いのよ、このままで」
「えーもったいないじゃん。ちょっと古いけど使えるって。それかリユースショップにでも持って行けば? あ、このネックレスかーわーいーいー。もらっていい?」

「だーめ。この箱に入っているのは全部ママの宝物なの」
「けちーっ。ママつけないならもらうから!」
 その言葉に年甲斐もなく張り合うように、私は動かなくなった時計とネックレスをほぼ三十年ぶりにつけた。

「うわーいじわる!」
 しぶしぶと口をとがらせながら、娘はお湯を沸かし始めた。

「お昼までに帰ってくるなら先に言いなさいよ」
 お腹を空かせた大学三年生の娘にとっては、金目鯛やさざえより早く出来る一品がいいだろう。
 私は醤油ラーメンの袋を冷蔵庫から取り出すと、一人分だけを作った。

「これ悟おじさんからママにだって」
 青ネギを刻む私の後ろで、娘が紙袋をごそごそといじっていた。
「はつか亭の和牛たたき? 懐かしいわね。でもお店閉めたんじゃなかった?」
「レシピと店の商標権しょうひょうけんに経営権をファンドが買い取って、味を再現したんだって。近頃じゃデパ地下に入ってるよ」
「そうなのね。後でお礼言っとかなきゃ」
 麺を熱湯に投入すると、私は悟君からのお土産を冷蔵庫に入れた。

「悟おじさん元気にしてる?」
「うん。相変わらずあんな感じ。パパばかり名古屋に来て何でママが来ないんだって言ってる」
「仕方が無いじゃない。パパはお仕事なんだから」
「そうだけど……」
 娘は薄いハムと青ネギを散らした醤油ラーメンを音を立ててすすった。

 小平の祖母なら血相を変えて怒鳴り散らしただろうな、いやそれ以前に安い袋ラーメンなど食べさせてもくれなかったっけと懐かしい記憶を思い起こした。

 小平の祖母は、自分の中の子供を持て余していたのだろうと、今にして思う。
 そのやり方はどうであれ、彼女は確かに、夫に息子と娘、そして孫の私を彼女なりの方法で懸命に守ろうとしたのは事実なのだ。

 

「ういーお腹一杯っ」
 娘はふうとため息をつくと、冷蔵庫から緑茶のペットボトルを取り出した。
 私は久しぶりに着けた時計とネックレスに違和感を感じながら、グラスに注がれた緑茶を受け取った。

「そう言えば、ママ鈴木拓人って覚えてる?」
 その言葉に、私の時は止まった。
「うちのゼミの教授なんだけど、うちがママの子だって事知っててさ。とてもお世話になったんですよろしくお伝えくださいだって。マジメッチャ良い人なんだけど論文の突っ込みとか理路整然と詰められるって有名」

「そう……。しっかり指導していただきなさい」
 私はそれだけ答えるのが精一杯だった。
「でも鈴木教授とママってどこに接点が? だって鈴木教授って海外の大学に編入してからうちの大学の准教授じゅんきょうじゅになるまでずっと海外だったでしょ。ママと十五歳近く離れてるし」
 私は思わず止まったままの時計に目を落とした。

「あの子のことね……。大学時代のあの子とママは、ファミレスのアルバイトでシフトが一緒だったのよ」
「ふーん。鈴木教授がファミレスバイト。似合わねえ」
 すっかり興味を失ったらしい娘は、自室の引っ越し準備に取り掛かり始めた。


 私は再びスツールに座った。
 拓人さんからもらった動かない時計とネックレスを付けた自分を鏡に映すと、あの頃と似ても似つかない私がそこにはいた。
 
 それはとても自然なことで、私の記憶の中にいる拓人さんと『鈴木教授』は似ても似つかぬ事だろう。
 あれから三十年が過ぎたのだから。

 私たちは那由多なゆたの光の交差点で出会い、結ばれ、そして別々の道を歩んだ。
 二人が共に歩む道も那由多なゆたの光の一つにはあったのだろうが、私たちはそれを選ばなかった。
 それを私は後悔していない。

 人との出会いは不思議なものだ。
 夫に初めて出会った時、一つたりとも夫に惹かれる要素は無かった。
 夫に結婚前提の交際を申し込まれた時は、一人で生きるのだと覚悟して数年が経った頃だった。
 流れに抗わずにここまで来た。
 それは正解であり、もし別の選択肢を選んだとしてもそれもまた正解だったのだろう。

 一つだけ確実に言えるのは、私は幸せであると言う事だ。
 この肉の器が果てるその日まで、至福と共に生きるのだ。

 私は拓人さんからのプレゼントを外して、ジュエリーボックスの奥底にしまった。                                                             (完)


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