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『ごめんね青春!』 そしてやっぱり、「皆と」「皆で」みたいなこと

先月、『ごめんね青春!』というドラマを観ていました。
2014年のTBSドラマ、ネットフリックスから配信中。
同じ宮藤官九郎作の『タイガー&ドラゴン』や『俺の家の話』は
もう台詞の物真似を出来るくらい好き。という話は以前にも書きました(これ)。
でも、この『ごめんね青春!』は本放送時、途中だったか1話目で観なくなっていたのです。
その頃リアタイ出来なかった理由もあったのかもしれない。
でもそれだけじゃなく、観始めて全体的にちいさな「ん?」をたくさん感じたからだと思う。
この「ん?」はたぶん、いい意味と、いいとは言い切れない意味での〝クドカンさ〟。
 
でも、さいきん、観て、不覚にも泣いてしまった。
 
すごく悩みがあるというか、
悩みながら書いた作品なんじゃないかな、みたいなことを感じたのです。

敢えて言うなら、「完成してへん」「出来上がってない」ような。
 
だから私は「この野郎(笑)」って思いながら、
ちょっとホロリと来て、同時に、笑いました。
いいものを観たなあ。
で、先月もう一度観返してた(仕事中のBGMがわりに)。

男子校と女子高の合併、まさかの共学化?!
その男子校はアホな仏教系、女子高は賢いカトリック系。
すべてに置いて、真逆、かつ、相容れられない、無理(笑)なのに、
突然始まった「お試しクラス」の行方は?
というストーリーが、
静岡・三島というローカルな地域の、
ローカルだからの困りごと多々とご当地感たっぷりに、
クドカン的いつものわちゃわちゃした悪気ないギャグとキャラ設定で描かれます。
主人公である男子校の迷える先生、お寺の息子(関ジャニ∞の錦戸亮)は
自身の高校時代の「誰にも言えないあの日のあのこと」がありまして。
そんな葛藤を抱えた彼が、
女子高のオラオラな厳格すぎるクリスチャン先生(満島ひかり)をはじめとする濃すぎる大人たちと自由過ぎる生徒たちに振り回されながら、
男女共の学園祭の開催を目標として、悩みながら、がんばる。
はちゃめちゃに描くから伝わる、〝伝えたいこと〟、
この人特有の真面目過ぎてチョケてしまう、〝照れ隠しのスタイル〟。
錦戸亮のたれ目と常に困り眉は毎回毎シーン印象的で、
満島ひかりのあのテンションは今作も最高だったのですが、ですが。
 
すべてに置いて、真逆、かつ、相容れられない、無理(笑)な設定じゃないですか。
 
男性と女性、仏教とキリスト教、学生と大人、大人になりきれない大人。
つまりは、この設定、なんかこの設定がこの人らしいなあ、なんだけど。
今回、思ったのです。
本放送を観たときにこんな感想を持った人は多いんじゃないかな、って。
 
「え、いつものクドカンじゃない(ような)」
「やっぱりクドカン無理―」
真逆な、ふたつ。
 
クドカンのこの作品までの作品ってさ、
男の子たち(の中心にいつもは我らが長瀬)が
チョケながら下ネタとか言いながら爆走しながら、
はちゃめちゃと、でも、人情と「うえーい」と「へいへいへーい」な世界観、結果、人情、みたいな、じゃないですか。
でもね、これが、これに、「ん?」「んー?」ってなることやひとって、多いかもな、とも頭の片隅で思ったりもしてきた。
下ネタとか、男、とか、男の子たちのあの感じ、とかが。
下ネタを中心としたギャグにはどうしても、女性をそうみたりそう扱ったり、がつきまとう。
これまでの作品でもどこかそれは滲み、匂いまくりはしていた、悪意や悪気はないけれど、ないから、こそ。
いや、その人情味はええけど、
それで騙されねーぞ、とか、それで回収してるんじゃねえぞ、とか、って、思う人も少なくなかったんじゃないかな。
でも、このカオスと人情とへいへいへーい、うえーい、が、
若き日の彼のカラーで持ち味であり、
それはつまりいわゆる(全部じゃないが)〝あの頃の小劇場〟らしさみたいなものでもあって。
それを愛したというかハマったひとや許容範囲と出来る人にはハマって来た。
 
だからこそ、今作、前者の感想となったんじゃないかなあ、って。
 
「うえーい」と「へいへいへーい」じゃなく、
相反するものにふりまわされ、男と男の友情でそれに立ち向かえも出来ず(出来きれず)
困り眉と葛藤、多々の主人公に「んー?」って。
 
一方で。
相反する、ほぼほぼ〝一緒になれない(なれそうにない)〟ことたちを、共学、「一緒になるには?」を描く際、彼の下ネタだったり、濃く盛り盛りのギャグは、これまでの作品以上に目立つ。
ということで、「やっぱりクドカン無理―」な後者の感想もきっと多かったんじゃないか?
 
実際、視聴率はあまりよくなかった、と、知った。
 
わたしには、でも、今観て、だから、良かったというか、涙が出たのです。
 
迷いながら、悩みながら、でも自分らしさは大事にしながら、
頑固さじゃなく柔軟さは大事、でも自分らしさも大事、まちがいじゃない、
みんなで、困りながら、いっぱいいっぱいになりながら、考えていこうよ、
〝一緒に〟生きるために。「無理」じゃなくて「アリ」に出来ないなりに出来れば、皆、皆で。
(男とか女とか、いや、そういう性別二元論だけじゃない話もちゃんと出てくる、この話、神回やと思っています)
そんなのが、作者、主人公、登場人物たち、作品から滲んで伝わってきたように思えてん。
 
漢字では、「女子」と書いて「好」だけど、「男子」という漢字はない。
でももし「男子」という漢字があったらなんて読む?と困り眉先生に言われた
女の子たちは口々に「キモイ」「馬鹿」「うざい」「エロい」とか最初言います。
でもこの〝宿題〟に、ある女子が、いろいろあったあと、「アリ」と答える。
 
「決して好きではないけどアリかナシかで言ったらまあアリかなって意味です。私たちは男子と書いてアリと読むことにしました」
 
ちなみに、これ、まだ前半の前半の話。ええ、どんだけ展開するん、情報量多いん?(笑)
 
オチというか、最後、テーマと伏線の回収の仕方は、
やはり、観る人によっては「綺麗事」とか「童話(大人の童話)」とうつるかもしれないな、と、とも、思いました。
日曜22時に地上波で2014年にこのテーマで描き切ろうとするとこれが限界なんやろか?
いや、わたしは、解決しないこととか、相容れられないようなことも含めて、この持ってゆき方と最終回は「ええな」って思いました、ほろり、泣きました。
コテコテかもしれないけれど、でもだから、だからでも。
登場人物たち、と、それを演じる人たち、つまり「そのひとたち」が生き生きしていて
(私がこの人の描くドラマが好きな理由はこれも大きい。思想とか、それらを通り越して、みんな(役者も役の人も)「めっちゃ楽しそう」に生きてること)
ああ、青春やと思いました。ダメなこともいいことも、「これから」へ、な、青春。そして青春を経ての「これから」。
 
人間ってそんなうつくしくもなく、でも汚く(だけでも)もなく、
皆、きっとそう強くはなくて、でも強くもあって。必死。
必死だからこそ思い込んだり、愚かな過ちや、凝り固まりや、葛藤もあって。ぐちゃぐちゃで。悩み多くて。
特に「青春」は。それが青春なのかもだけれど。
でも、大人になれば、大人になっても、訳のわからない、答えなんてあるけどないことだらけで。
その、もがき。愚かさやダメさ、から、必死さ、葛藤、もがき。
わかりあえない、でも、わかりあおうと、ちょっとでも、する・できるには? なこと、たち。
 
それでも、〝皆〟で。
 
クドカンの書くものはね、
はちゃめちゃだけれど、決して誰のことも否定せぇへん、
置いてけぼりにせぇへんような気がするのです、
いつも、どんな作品でも、たくさんの誤解はあったりもすれども。
聖人は出てこない、完璧な人もいない。
はちゃめちゃやし、そのはちゃめちゃの中には「お、おおっと」も少なくない。
むしろ、多い。ポリコレが、と言ってしまうと、お、おおっと、は止まらなすぎる、そこ、そこよ。
でも、大ヒットの「あまちゃん」を経て、本作を経て、
「え、いつものクドカンじゃない(ような)」と「やっぱりクドカン無理―」を経て、この後の作品、迷って以降、確実に、なんか、変わる、変わっていった気もするのです。
うおー、っていう爆走から、困り眉から、の、その後の作品、が。
ブレないけれど、なんだか、確かに。
だから、「俺の家の話」はあんなに、アホ炸裂もいっぱいあるのに、あるからこそ、いや、あれこそが彼で、その「照れ」と決して気取らず押し付けない美学の先のあのテーマが、泣けるのかもしれない。
 
そんな意味で
〝相容れない〟と〝青春〟な、
まっしぐらで、迷うからこそ皆の顔がキラキラな本作は、わたしには、なんだか、印象深く、「いいものを観たなあ」になりました。
泣き笑い、笑い泣き、してしまったのでした。
 
いつもいつも書くことですが、
いろんなすぎる皆が「共に」「皆で」って果てしなく無理な無理に近いこと、だけれど、だから、
わたしは、その奇跡みたいな瞬間が本当に愛しくて尊くて、好きで、
大好きな人と人たちがいる劇場でいつもそれを感じています。
だから、難しすぎるそのことをやはり信じられるような気もして、考えていきたいな、って、思います。
 



あー、なんか何日か告知ばっかりしてnoteさぼっていたら、
変に長いだけでまとまらずになってしまった、びゃー。
でも言いたいことはたぶんいつもちょっと一緒です。

ということでここ最近のつぶやいていた告知もまたまとめて書きますね。
ネタも書かなあかんこともたまってるるるる。

◆◆◆
以下は、すこしだけ自己紹介 。よろしければお付き合い下さい。

構成作家/ライター/コラム・エッセイスト
中村桃子(桃花舞台)と申します。

大衆芸能、
旅芝居(大衆演劇)や、
今はストリップ🦋♥とストリップ劇場に魅了される物書きです。

(普段はラジオ番組構成や資料やCM書き、各種文章やキャッチコピーなど)

劇場が好き。人間に興味が尽きません。

演劇鑑賞(歌舞伎、ミュージカル、新感線、小劇場、演芸、プロレス)などの鑑賞と、学生時代の劇団活動(作・演出/制作/役者)経験などを経て、
某劇団の音楽監督、亡き関西の喜劇作家、大阪を愛するエッセイストなどに師事したり。
からの大阪の制作会社兼広告代理店勤務を経て、フリー。

舞台と本と、やはり劇場と人間と、あ、酒も愛し、人間をひたすら書いてきて、書いています。

lifeworkたる原稿企画(書籍化)2本を進め中。

その顔見世と筋トレを兼ねての1日1色々note「桃花舞台」を更新中です。
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あ、5月1日から東京・湯島の本屋「出発点」で2箱古本屋、やってます。

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関東の出版社・旅と思索社様のウェブマガジン「tabistory」様にて2種類の連載をしています。

酒場話「心はだか、ぴったんこ」(現在17話)と
大事な場所の話「Home」(現在、番外編を入れて4話)

旅芝居・大衆演劇関係では、各種ライティング業をずっとやってきました。
文、キャッチコピー、映像などの企画・構成、各種文、台本、役者絡みの代筆から、DVDパッケージのキャッチコピーや文。
担当していたDVD付マガジン『演劇の友』は休刊ですが、YouTubeちゃんねるで過去映像が公開中です。
こちらのバックナンバーも、さきほどの「出発点」さんに置いてますよ。

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