人生:仕事と幸せって

人によって考え方が違うのは当たり前。
だからもちろん、人生も人それぞれ。
なのに何故、
“自分の考え通りの将来を人に歩ませようとするのか”
私には理由は何となく分かっても分かりきれない。

例えばお金に視点を置くと、
・収入が安定している
・失業することもなかなか無い
これを満たすものでよく言われるのは“公務員”であろう。
でも、“お金が沢山あるから幸せと感じる”というのは世界全ての人に当てはまるものでは無いと私は思う。
確かに裕福であること、お金があることには悪いことは無い。しかしそれで全てが埋まるかと言われればそれは違う。


私はたまたま産まれた家が裕福であったために小さな頃は沢山贅沢をさせてもらった。

成長期ですぐ着れなくなるのに1着何万とする服、靴、帽子、アクセサリー。大企業の子供たちが通う幼稚園。1皿何万とする板前寿司に、1杯何千円のバー。「ファストフードなんて食べたらダメだ」、そういう風に教えられていた。
こうやってあげてみると本当に凄いなと自分で思う(笑)

そんな家に産まれた私だが、こんな時期も長くは続かず、大変なことが沢山あった。父に暴言・暴力を振るわれたり、両親の別居・離婚、いじめ、転校等15年で色々な経験をした(他投稿参照)。
その中で、とても古くて汚い(失礼)アパートに母と二人暮しをしたこともある。その頃は丁度反抗期でもあったし、母のアルコール中毒による家庭環境がとてもじゃないがよろしくなかったので、家に帰るのが遅い日がほぼだった。家にいることが辛かった。
でも今思えばこの頃が1番楽しかったし幸せを感じることが多かった。(この頃に戻りたいとは思いませんけどね😅)
まだ16年しか生きていない私だけれど 幸せ=お金では無い ととても思う。これは私個人の意見であるし、全ての人がこう思うとは全く思っていない。沢山の意見があって当たり前だ。生きる為の衣食住を整えるための収入は必要だと思うし全く仕事をしなくていいだなんて思っちゃいない。
ただ、今回書きたかったのは、人によって幸せを感じるきっかけも物事も違うということ。
言葉に表そうとすると難しいのだが、私にとっては一日一日の些細なことで幸せを感じることの出来る、そして幸せだと感じたその瞬間が一瞬がかけがえのない“幸せ”なのだ。例えば家族と楽しく食事ができたとか、散歩中に芽吹き始めたたんぽぽを見かけたとか、つがいの鳥が楽しそうに水浴びをしてるとか、公園で楽しそうに遊ぶ子供たちを見守る親御さんを見かけたりとか。そんなことでいい。平和じゃない世の中だからこそその中の小さな平和を見つけたい。

時たまに「〜する方が貴方のためだから」だとか「幸せだ」とか言う人がいる(私の家族はだいたいそう)。幸せを願ってくれるのは分かるし、嬉しい。けどその人の幸せと私の幸せは違う。それを話して分かってくれたり、「貴方の人生だからね」と言ってくれるならいいのだが、押し付け気味に言う人もいる。それは違うんじゃないか?とよく思うのだが…(笑)まぁこれも人それぞれなのだろう。だけど、そう思うのは構わないから心の中で止めておくか、「私はこう思うんだけどね・・・」と話す様になってくれると私は嬉しいし、それこそ“幸せ”だ。

最後に、この前私の祖母が最近騒がれているコロナウイルスによって不安定になるこの世の中についてのニュースを見ながら私に
「安定した収入を得られるし、失業することもないし、勉強を熱心にして公務員になりなさい。それが貴方の幸せの道だから。そして私に自慢の孫だと言わせて。」
と言ってきた。
この言葉を聞いて皆さんがどう思うか、これも人それぞれ。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

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