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現代病にかかった親友へ本を贈る

私には、人生の半分以上の年月で仲良くしている親友がいる。

彼女はプレゼントを贈りあう習慣が嫌いだ。


お互いに気を遣いたくないし、贈った贈ってないだので、いちいち悩みたくないからだろう。

もしくは単純に彼女の良い意味でケチな性格からきているからだろう。

そんな彼女を私はとても好きだ。


浪費癖のひどい私にとって、彼女のケチさがいい薬だ。そう話したら、昔金銭感覚の違いすぎる友達を持っていたことを話してくれた。

その子は高校の時のクラスメイトで、親がホステスのオーナーでお金持ちだった。毎回遊びに行くと、お高いランチ、ディナー、買い物で、1日で1万円以上平気で使ってしまう子だったそうだ。

高校生の1万円は社会人にとっての10万円といったところか。さすがに金銭感覚が違いすぎて、友達は辞めたのか今はもう会っていないらしい。


そんなケチな親友である彼女とは、誕生日が3日しか離れていない。

だからプレゼント交換するよりも、誕生日が近くなったら毎年2人で少し遠くのほうへ遊び、お互いの誕生日を祝し、毎度毎度10代の頃の昔ばなしをしてゲラゲラ笑っている。

それだけで幸せになれるのが私たちの関係だ。

それに彼女は自分にはケチなくせに、私と遊ぶときは途端に羽振りがよくなる。車を出してもらったりスタバの500円券を分けてくれたり、逆に奢るといっても「いいよいいよ!」と拒否されたり、私とのお金のことはしっかりしていないのだなと、勝手に思っている。また逆も然り。


そんな彼女とはこれまでにお互いに不要になった服をあげたりくれたりして、ときどき物々交換をしている。彼女とは骨格が正反対だから、似合わない服も彼女にとって似合うし、逆もある。必ずしも全ての服がそうなるわけではないのだが。

こんな感じで気まぐれに、重すぎないように、でも心をこめていろんなものを贈りあっている。


先日遊んだ時に読書にハマっていると話したら、彼女も昔は本が好きだったようで、最近は読めていないと話していた。

なので彼女には本を贈ってみようと思う。もしかしたらありがた迷惑かもしれないが、本を貰ってうれしくない人なんていないだろうと軽く考えている。

それに、プレゼントを贈る習慣が無くなるのが怖いから、というのもある。私の母は、400km離れた東京に住む親友へ、30年以上毎年プレゼントを贈りあっている。私が産まれても引っ越しても離婚しても。親友というのは夫という存在よりも固い絆で結ばれているのかもしれない。私は夫も親友だと思っているが。

なんせ人に本をプレゼントするなんて人生で初めてだ。あまりにも周りの友人、知人、家族が本を読まなさすぎる。

「現代人は本を読まない」といわれたのは50年前からだそう。今の70歳も本を読まない人が多いのだ。仕方ない。自分も含めみんな現代病にかかっているのだ。齋藤孝さんの「読書する人だけがたどり着ける場所」にも綴られていた。

親友の彼女にどんな本を贈ろうか、ランキングを見てみる。彼女はミステリーが好きだと言っていた。でも彼女の人生のような作品もある。わかったつもりでこの本を選ぼうか。

彼女と会うまでに用意しておかなければならない。文庫本ではなくあえて単行本を買う。装丁がしっかりしているほうがいいだろう。

「用意しておかなければ」と書いたが彼女に別に「本が欲しい!」といわれたわけではない。日頃の感謝も込めて贈りたくて贈るのだ。これこそが本当の「気持ち」ではないか。毎年決まってプレゼントを渡すのではない。気まぐれに用意するのがいいのだ。

期待し、期待されるよりもなんでもない日にプレゼントを用意するのが私の昔からの癖。

さて、今日はスーパーへ行く前に本屋に行こう。文芸誌も読みたくなってきた。

今日はどんな本に会えるかな。プレゼント選びは自己満でもあるのだ。


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