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モモ【1】 ネパール化したモモ

インド食器屋「アジアハンター」の店主・小林真樹さんが、食器買い付けの旅や国内の専門店巡りで出会った美味しい料理、お店、そしてインドの食文化をご紹介します。


日本全国津々浦々。今やどこに行ってもインド料理店がある。そしてその多くがインド人ではなく、ネパール人による経営であるという事実もまた、多くの日本人が知るところとなって久しい。遠くからでもよく目立つ外観と、そこにはためくネパール国旗。特徴的な形状と鮮やかな赤色が、何よりもそこがネパール人の経営であることを雄弁に物語る。今や「インネパ店」などと略称され、チーズナンやバターチキンといった老若男女問わず好まれるメニュー構成で、すっかり全国の地元社会に溶け込んだ感がある。

そのきわめて最大公約数的な、誰の口にも合うような料理を集めたメニューページの中に、必ずレギュラーとして収まっているのがモモである。モモとはもはや説明する必要もないほどポピュラーな料理となったが、あえて説明すると、味付けしたマトンのひき肉を小麦粉の皮で包んで蒸した小籠包のような食べ物である。メニュー上には「ネパール式ギョウザ」などという補足がつけられていることが多い。

インネパ店の代表的メニューであるモモ
インネパ店の代表的メニューであるモモ


いまや置いていないインネパ店を見つけ出す方が困難なほど、どんなインネパ店でも例外なく主力選手となっているこのモモ。ダルバートと双璧をなすネパールの代表料理のようにみなされ、当のネパール人自身もネパール料理の一つだと認識する人が少なくない。しかし、果たして本当にモモとはネパール料理といえるのだろうか?

ネパールの首都、カトマンズを歩くと街角や辻の至るところに「カジャガル」と呼ばれる軽食屋を見かける。。カジャとはネパール語で「軽食」を表す。このネパールのカジャガルにはたいていモモを蒸すアルミ製の大きな蒸籠(ネパール語で「モモ・コ・バーロ」)が置いてあり、街ゆく人々がふらりと立ち寄っては小腹を満たしていく。注文すると薄いアルミのプレートまたは使い捨ての紙皿に10個前後入って一皿180円~250円ほど(具材による)。薄暗い店内で、常連らしき客が店主のおじさんまたはおばさんとする談笑をBGMに熱々のモモをほお張ると、いかにもネパールらしい日常の中にとけ込んだような気分にさせられる。しかしネパール社会にここまでモモが増殖したのは、さほど昔のことではない。

カトマンズのカジャガル
カトマンズのカジャガル


ネパールにおいてモモは北方チベットからやって来た。ネパールの先住民族で仏教徒であるネワール族の行商人は、かつてヒマラヤを超えチベットまで仏具・法具などを売りに行っていた。中にはチベットのラサで店を構えていた業者までいたという。ネワール族は工芸に秀でた人たちで、今もカトマンズ市内の寺院や住宅の壁面には彼らの手による見事な装飾を見ることが出来る。そのネワール族行商人が、チベットで食べられていたモモ(チベット語では「モックモック/mogmog」)をカトマンズに持ち帰ったのがネパールにおけるモモのはじまりだといわれる。ただしそのチベットもオリジナルではなく、中国内陸部から伝わったものだとする説が有力だ。チベットにはほかに、具なしの蒸しパンであるティーモモや、麺状にして茹でて汁と共に食べるテントゥックやトゥクパといった小麦粉を使った食文化が中国内陸部からもたらされ、モモほどの知名度はないもののネパールでも食べられている。

北インドのチベット人集落で食べたモモ。形状がネパールのそれとは異なる
北インドのチベット人集落で食べたモモ。形状がネパールのそれとは異なる


ネパールでモモが一般化した経緯だが、あるネワール族の知人によると、1960年代ごろに彼のお祖父さんが自転車の荷台に蒸籠を乗せ、カトマンズ市内を売り歩くようになったのが商売としてのはじまりではないかいう。こうして商品化されたモモは、やがてその味と手軽さからまたたく間にファストフードとしてネパール全土へと広まったが、導入時の記憶から今でもモモはネワール族固有の食べものだと誤解しているネパール人は少なくない。

日本では主に調達ルートの関係でマトンが具材に使われることの多いモモだが、一般的にネパールでは水牛肉が使われる。これも最初に商品としてのモモを売り出したネワール族商人の影響だろう。標高の高いチベットにはそもそも水牛は生息していない。水牛肉を好んで食べるネワール族は、チベットから持ち帰ったモモに水牛肉の具材を入れてネパール化したのである。一頭あたりの可食部分の多い水牛は、山羊肉などに比べて今でも価格が安い。部位によって肉質は硬いが、ミンチにすることで使用可能な部位が拡がり食べやすくなる。宗教上の理由で水牛肉食に抵抗のあったネワール族以外の人たちにとっても、鶏肉や野菜など自在に中の具材を変える、あるいはクミンなどの香辛料を入れるといったカスタマイズが容易な点がネパール全土に広まった理由だろう。

カトマンズ市内ではゴマ味のスープにひたしたモモが人気
カトマンズ市内ではゴマ味のスープにひたしたモモが人気


インドでも同じことがいえるが、一つの料理が普遍化するかどうかは、その料理がカスタマイズしやすいかどうかにかかっている。ネパールはインドに比べれば人口も少なく面積も小さな国だが、それでも多くの異なる文化・宗教をもつ民族で構成されている。中の具を自在に変えることでどんな民族・宗教にも対応可能なモモは、正に不特定多数を相手にしなければならない商業料理としてたいへん都合のよい、売れるべくして売れた商品であるといえる。

そしてこの「カスタマイズのしやすさ」は、とりわけ隣国インドにおいて、現在の爆発的な拡散と増殖の起爆剤となった。今やインドにおけるモモを取り巻く状況は、チベットからネパール化したモモの変貌ぶりの比ではないほどに、大胆かつ不敵にものになっているのだ。





小林真樹氏

小林真樹
インド料理をこよなく愛する元バックパッカーであり、インド食器・調理器具の輸入卸業を主体とする有限会社アジアハンター代表。買い付けの旅も含め、インド渡航は数えきれない。商売を通じて国内のインド料理店とも深く関わる。
著作『食べ歩くインド(北・東編/南・西編)』旅行人『日本のインド・ネパール料理店』阿佐ヶ谷書院
アジアハンター
http://www.asiahunter.com/

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