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小野不由美『残穢』と エンタメとしての恐怖

本棚に置いておくのも怖いとのレビューがあった『残穢』。私がこの本を手に取ったのは、今まで読んだことがなかったホラー小説に挑戦してみたいと思ったからでした。
というのも、最近youtubeチャンネルの「不思議大百科」にハマり、作業中にずっと視聴していたことで、怪談とか不思議な話をもっと知りたいと思ったのです。
今回は、小野不由美さんの『残穢』とエンタメで描かれる恐怖について、横断的に話したいと思います。

入念なフィールドワークに裏付けされた確実な恐さ

この家は、どこか可怪(おか)しい。転居したばかりの部屋で、何かが畳を擦る音が聞こえ、背後には気配が……。だから、人が居着かないのか。何の変哲もないマンションで起きる怪異現象を調べるうち、ある因縁が浮かび上がる。かつて、ここでむかえた最期とは。怨みを伴う死は「穢(けが)れ」となり、感染は拡大するというのだが――山本周五郎賞受賞、戦慄の傑作ドキュメンタリー・ホラー長編!

新潮社

「残穢」という言葉を聞いても、怖そうという印象くらいでピンとこないのが私のようなホラー初心者だ。穢れという言葉が、呪いや怨念、あるいは執念とどう違うのかさえ、わかっていなかった。

主人公が作品中で「残穢」という言葉に行き着くのは、終盤に差し掛かってからだ。この作品は主人公が奇妙な出来事を聞かされ、取材を通じて謎に迫っていく形で進行する。その進み方からして、「残穢」という現象ことが、物語の奇妙な出来事の根幹にあるということが判明するのに時間がかかるのだ。
だからこそ、ものすごく怖い。

恐怖とは得体の知れないものに対して生まれるらしい。『残穢』が最恐だと言われるのは、得体の知れないものが得体の知れないまま話が進んでいくことが大きいのではないか。そしてそのまま終わるから、自分の身の回りに起きないとも限らないと思って、余計に怖い。

例えば、不思議大百科の「【怪談】おかしな土地」は『残穢』と同じく、その土地に住んだ人が体験した怖い話だ。
この話の中盤で当該の地域について調べてみた結果、怪談に結びつくような歴史があると説明してくれる。怪奇の種明かしがあることによって、少し安心するとともに、いわゆる曰く付きの場所というのは実在するのだな、とゾッとして、話の締めになっている。
私はこの形の怪談を聞くのが好きで、「どうしてこんなに奇妙なことが?」と解説をドキドキしながら待っているタイプだ。

けれども『残穢』では種明かしが一切ない。過去の自殺や殺人事件などは次第に明らかになっていくが、思慮深い主人公は「でも、人が生きているってことは死ぬこともある、偶然が重なったのでは?」と入念に、慎重に取材を続ける。
取材を重ね、怪奇現象の元種がわかったと思ったら、その怪奇現象にさらに元種がありそう…という連鎖が続いていくのが『残穢』なのだ。
だからこそ、恐怖は確実性を増しながら増殖していく。

聞くことと伝えることから生まれる怪の存在

作家である主人公は、取材を続けながらどんどんと「残穢」の連鎖に近づいていく。気がついた時には本人が体調を崩すほど、まるで渦潮に巻き込まれていくように、「残穢」に引き寄せられていくのだ。

「会談というのは、語ること自体が怪だという側面はあると思います。怪談の内容ではなく、ある怪談について語ること、そのものに怪しいものが潜んでいる」

『残穢』

怪談は、実体験を怪談師が語ることもあれば、誰かが体験した話をもとに怪談師が話術に乗せて話す時もある。
『残穢』で印象的なのは、前述した通りの、緻密な性格の主人公たちによる丁寧な聞き取り取材だった。後半ではここに主人公自身が目撃した怪異も加わって、物語が加速する。伝聞調の怪談が、実体験ものになることによって、冷静な主人公にも動揺が見えはじめる。

この辺りから、怪談師による怪談とはまた違う良さが際立ってくる。
小説の場合、主人公(今作では一人称)が見聞きしたものを、読者は主人公と同じ目を通して見、同じ耳を通して聞くことができるからだ。
「おんぎゃあ」と赤ちゃんが泣く声がする、と書かれているならば、読者の耳に聞こえるのは、「ぎゃおー」でも「ぴゃー」でもなくて、「おんぎゃあ」になる。
怪奇現象を体験している主人公の、五感となれるのが怪談小説のとても面白いところだと今回大きな発見があった。
小野不由美さんの文章力の巧みさはもちろん、作品中で何度も繰り返されたはずの取材場面を毎回フレッシュな気持ちで体験させてくれることにも生かされている。
けれども最も目を見張ったのは、主人公の五感がみずみずしく描かれ、それが本当に怖ろしく感じるところだった。
並の技術ではいくら題材とエピソードが禍々しくても、あそこまで脳に直接送信されたような怖ろしさは生み出せない。怖かったけれど、とても丁寧に作られた芸術を見ている気持ちになった。

人怖と、怪談と、不思議な話のコンボ

オカルトyoutubeチャンネル「不思議大百科」では、不思議な話全般を広く扱っている。その中で使われているゆるい区分が、人怖・怪談・不思議な話の三つだ。

ここでいう三つの分類は次のように捉えている。
人怖は、殺人事件や事故、宗教、奇人・変人のエピソードなど、実在の出来事に関わるもののうち、怖いと感じること。怪談は、幽霊や天狗などの超常現象によってもたらされた怖い思いが軸になった話。不思議な話は、今でもどういうわけかわからない話で、怖い体験も含まれるが、面白い体験も含まれる。

この三つの分類をに沿って『残穢』を考えると、まずは奇妙な音がする、そして女の幽霊が見えるという現象なので、怪談から始まる。
そして調査していくうちに、家庭内暴力や、精神疾患と思われる人への自宅監禁(当時は合法)、戦中戦後の出生増加と軽視される命など、人怖へと移行。
最終的には主人公自身が体験した奇妙な出来事の重なりは、恣意的に結論づけられるでもなく、不思議な話として着地する。

三つのうち、どれを恐怖に感じやすいかは人によると思うが、人怖・怪談・不思議な話のコンボをで構成されているから、さまざまな怪奇に飽きている暇も慣れる暇もないのだし、いうまでもなく何かしらの要素が深く突き刺さる。
作中での取材が丹念であるからこそ、特に人怖の部分は際立っていると思う。怪談パートが、感じる人は感じ、見えない人には見えない主観的な語りであるのに対して、閉鎖的な家庭での陰湿な情景は想像に易く、本当に嫌だな、恐ろしいな、という実感が伴う。

色々なタイプの怖い話があるなかでも、全ての要素が凝縮されているという点で、どのパートが恐ろしいと感じたか、考えてみるのも楽しいと思う。
私は断然、人怖が「こわい」と思ったですが、皆さんはどうだったでしょうか。ぜひ感想を聞かせてくださいね。

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