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村上春樹『街とその不確かな壁』を読んだ

一週間ほど前に『街とその不確かな壁』を読んだので、感想を書きます。

まず驚いたのは表紙のイメージ画像が掲示される前から、書店には予約開始ののぼりが立っていたことですね。作家性がここまで全面に出されているのは、村上春樹さん独特のような気がします。普段本を手に取らないという人も「村上春樹だから」買うという人も多いのではないでしょうか。私の母もそうでした。「で、村上春樹の新刊は面白かったの?」とふたこと目に聞かれました。

面白さについて、上手くまとめて言うのは難しいです。私は読書での一つの「面白さ」の基準を、体感時間が実読書時間よりも短いことと考えています。これは楽しい時間はあっという間だ、と言う主観から発想した「面白さ」の考え方です。
映画を例にとるとわかりやすいと思います。たとえば「THE FIRST SLAM DUNK」は約2時間の映画作品ですが、体感は30分くらいでした、本当に。確かに面白かったと言う感覚が、今でも思い出せるほどしっかり残っています。

『街とその不確かな壁』に関して言えば、良くも悪くもこの面白さの時間感覚を失ってしまったんですね。
物語の中でも時間についての言及が繰り返されます。二軸で進んでいく物語それぞれの中で時間が伸び縮みし、うろうろ読み進めていくうちに、読者である私自身も一体どのくらい『街とその不確かな壁』の中で読書時間を過ごしたのか主観で感じられなくなっている。ただ読破するのに4日かかったということ以外は、なんの確信も残っていないわけです。
そうすると「楽しい時間はあっという間にすぎる」理論で、『街と、その不確かな壁』を面白い作品だとは言い切れなくなりました。

ここまでの話は一例に過ぎませんが、『街とその不確かな壁』について、友人に感想を話そうとするほど、一体どういう作品なのかわからなくなり、どんどん印象が手元から離れていくような気がします。
それこそ「知りたかったら読んでみてください」というしかない、小説としては非常に完成度の高い作品になっているのではないでしょうか。

表現の内容については、宇野常寛さんがnoteで公開している記事に深く同意しました。広範囲のネタバレになるのでここには書きませんが、ネタバレをするつもりだとしても宇野さんほど上手に文章が書けず猿真似になるのが恥ずかしいので控えます。
宇野さんのnoteをぜひ多くの人に読んでいただきたいです。
作品は思い思いにひたすら読んで、それから宇野さんのnoteを読むと、落ち着いて本作品について考えられた気がします。それまでは内容がいけすかないとか、混乱混乱、ばかりで、しまいには本の重さに腹が立ってくるほどなんだか焦ってしまっていました。

ただ最後に近づくにつれて、早くこの「壁の世界」から切り離されたいと思う一方で、もう終わってしまうのだなと言う寂しさが残る、不思議な読書体験でした。

ぜひみなさんの感想も聞かせていただきたいです。

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